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エッセイ

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記事一覧

日記

最近になって徐々に色々なことの辻褄があうようになって来たと思う。間違えだらけだった過去の時間が無駄になってはいなかったのだと思った。残念ながら上手く行かなくなってしまった元友人との時間だって、想いを伝える程でも無かった淡い恋心だって、一応昇華してあげられたのかも知れない。ずっと一人だと思っていた私は結局一人では無かったのだと今年になってやっと気がつくことが出来た。愛されていなかったはずの家族から実

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私は私がわからない

「自分で自分のことをわかっていて、的確に分析できる人」って凄いと思う。     「自分を客観的に見ることが出来る人」って大人だと思う。
私は自分のことを自分で分からない。心のことも体のことも。そんな中での私の判断基準は信用できるかどうか。感覚的に信用できないなと思うともうダメで、そんな私は私を信用しきれない。自分は矛盾していることがとてもダメで、そこには自分も他人も関係無い。でもどうしても矛盾して

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焼肉パーティーでお肉が食べられない

「他人が肉をさらった後で、あの肉は焼けていたんだと知る」
私は箸を伸ばすタイミングが分からない。

皆で一斉に突っつく系の料理はだから苦手。シェアをすること自体は別に大丈夫。ただお皿に分けたりすればいい。でも、よーいドンで食べる系で私はいつも皆と同じようにスタートを切れない。

「お肉食べ過ぎてない?」「偏って焼いちゃってない?」とか他の人とのバランスとかそんな一々考えなくてもいい様なことを一々考

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頭の中

こんばんは。今日も寒いですね。今日も特に何もせずに終わっていきそうです。毎日の変化に鈍感なのである程度日数が経ってから始めて「結構変わったんだな」って思うんだと思います。私の中で変わらないものと言えばきっと身長くらい。
HSPという言葉を自身に当て嵌めるべきかどうかは分からないけど、私は兎に角「明るさ、煩さ、人の気配・声……」そんなものにとても悩まされる。特に最近は音が辛い。ヘッドホンをしてるのは

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大人の迷子

何かの目標に向かって歩いている時、ふとした瞬間に「あれ、なんで私は歩いているんだっけ?」と分からなくなってしまうことがある。私はある。と言うか絶賛迷子中である。
こんなんで良いのかな?大丈夫なのかな?本当に私なんかに達成できるのか?とかいろんな不安に苛まれると途端に全て諦めて逃げ出してしまいそうになる時がある。
迷子中なんて書いたけど、別に道が分からない訳じゃなくて、あれ?この道をこれからも進んで

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先に進まねば

学生時代の思い出。時は嘘のような速さで過ぎ去って、気が付くとそこは止まった時間から遥か先に進んだ場所だった。
自分はもう大人と呼べるような年齢になったものの、実際の意識としては学生時代のまま止まってしまっている気がする。自分が当時思っていた大人は今の自分よりももっと大人な存在だったように思う。今自分が一応の大人になってみて思うことは、なんとも不十分で物足りないという感覚だった。いつかはそこから抜け

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幾何かの想像力を以ってして、明確な殺意の下、僕は人を殺した

偶に生きていて「これはちょっと危ないな」と思うことがある。偶にといっても結構ある。
ふと我に返った瞬間まで、越えてはいけないラインの少し手前まで気づいたら立っていることがある。
猟奇的な犯罪者と普通の人との違いは、決定的な違いは、実害を伴う罪を犯したかどうかの「結果」だけであって、普通の人の中にも間違いなく猟奇性は孕んでいる、過程だけ見ればさほど変わりは無いのかも知れない。黒くてどろどろとした塊を

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文章を読む能力と書く能力

今日の昼にネット記事を読んでいたら、「若者の論理的に文章を読み解く力が明らかに衰えている、文章を文章そのままに読むことが出来ない若者が増えている」という内容の記事を見かけた。中高生に簡単な論理的文章を読み解かせる問題文を何題か出題し、それをただ正確に読めているかを選択形式で答えさせる、という調査なのだが、中高生どちらも60~70%の正答率だったという。
この記事を読んで文章を読む能力が低いとい

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七割で生きる

生きづらさに苛まれたとき、人は弱い自分を責める。もっと強かったら、妥協していなかったらと、ことあるごとに自分を責める。
全力投球で生きること、最近はそれが求められる。
人生全力投球で、甲子園球児の如く。
僕はそんな自分に疲れてしまった。結果がすべてのこの世界で結果を出そうと必死ないま。結果が出せていないと無駄に肩に力が入る。
出来なかった自分を責めない生き方をしてみたい。人生きっと80年くらい嫌で

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悪人の命は…

例えば今日誰かが人を殺してしまったとする。例えばと言ったが、きっと今日だって誰かしら、誰かのことを殺してしまっていると思う。だからこれは割と現実性を帯びたものになりうる。そうだとする。

自分は昔からこの思いが強いのだが、「自分は犯罪者に強い興味がある」。無論罪を犯すことに賛成を示している訳ではないし自分が何かしらの罪を犯したわけではないことを自身の名誉のために主張したい。

例えば誰かが複

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幸せの定義

これはなんだか書いていて胸が詰まりそうなタイトルだな。僕はこれを書く前からなんとなくそう自覚していた。幸せになりたくない人なんてきっといなくて誰しもがそれを渇望しているのだろう。でも誰しもが幸せを感じているとはとても思えない。なんて言ったってこんなにも漠然とした存在なんだもの、もしかしたらみんなの望みなだけであって存在しえないものなのかも知れない。それでも僕たちはそれを渇望する。その為に死んでしま

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心と身体と自分のはなし

日常生活の中で自分のことについて話すことってあまり無いんだけど、というよりも自分の話をしたところで話せない内容が多いし、相手にとってもあまり興味の湧かない内容であることが多い。自分の話ばかりしていて、尚且つその話がつまらないと来たら先ず真っ先にこの人は避けようと思われてしまうことは間違い無しな訳で、とにかく自分のことをあまり自分の口からするのは好きではない。だけど、自分の中にあった出来事、気持ちと

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言葉を纏う

僕は言葉というのは衣服と同じ纏うものだと思っています。こう言うのもなんですが僕は自分のことが嫌いです。自分の容姿が、声が嫌い。つまり自分の中にある他人に見られる部分がとにかく嫌いでそれで何かでそれらの嫌いな部分を補う必要がありました。だからまず僕は衣服を纏いました。勿論僕は裸で生活をしているわけではありません。ちゃんと服は着ています。だけど何処か着ている感覚が無かったし、しょうがなく着ている感じが

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生で見て、聴く

iPodやウォークマンが復旧して音楽は持ち運びが出来るようになった。僕たちは電車に乗るとき、歩きながら、ご飯を食べながら…イヤフォンを耳に挿して毎日お気に入りの音楽を聴いている。勿論僕もその一人だ。ウォークマンを肌身離さず何処行くときにも音楽を手放すことがない。必ず僕の傍には音楽がある。

大学生になってから縁あってライブハウスに通うようになった。ことの始まりは小南泰葉という女性アーティストとの出

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