私は私がわからない

「自分で自分のことをわかっていて、的確に分析できる人」って凄いと思う。     「自分を客観的に見ることが出来る人」って大人だと思う。
私は自分のことを自分で分からない。心のことも体のことも。そんな中での私の判断基準は信用できるかどうか。感覚的に信用できないなと思うともうダメで、そんな私は私を信用しきれない。自分は矛盾していることがとてもダメで、そこには自分も他人も関係無い。でもどうしても矛盾してしまうのが人間で、もうそこからして矛盾してしまうからなかなか生きづらい。

私は私以外の人を信用しきることは無いし、そこに両親、恋人、友人の差異は無くて、極論何かの拍子に裏切られるし、殺されるんだと勝手に思っている。裏切られる準備を日頃からしていれば、いざ裏切られても傷は浅くて済む。誰かと何か約束をしたとしても、その約束が果たされないことはもう約束した時には覚悟してしまっているから、良く言えば他人に期待をしていない、悪く言えば人間不信となってしまうんだろうと思う。親はそんな私を冷めているという。
そんな私だって、昔はこれでもある程度自分自身を信用してあげていた。他人を裏切ってしまうことも沢山あったけれども、それでも私は私を信用してあげていたと思う。だから何があっても私は大丈夫だという自信みたいなものがあった。今じゃそんな半端な自信すら無くなって、私は私すらも信用できない。
思い返すと私は色んな形で裏切られることが多かった。でも次こそは大丈夫とか、この人なら大丈夫とか、そう思うことでやり過ごしていたけれど、それでも裏切られてしまうことはあって、小さな約束を破られるのはとても悲しい。子供の頃に休日はディズニーに行くと親から言われて、当日に父親が突然仕事を入れてしまったり、天気が悪くて行けなかったりして、楽しみにしていたディズニーに行けなくなってしまった時、何もかも裏切られた気がして、小さなことかもしれないけれどとても悲しくなる。そんなことが今の歳になってもあるんだから嫌になる。
例えば友人とご飯に行く約束をして忘れられたり、急遽行けなくなってしまったり、そんな小さなことこそがとても悲しかったりする。別に私の所為ではない筈なのに、私が悪いのかも知れない……なんて思ってしまって、一年くらい前の小さな言い争いを思い出して、もしかしてそれが原因……?とか思ってしまうから本当に頭が悪いと思う。

話を戻すけど、私は私が分からない。もしかしたらわかっているのかも知れない。ある意味では、私は私が分からないということを分かっている。
私が私のことをどう思っていようと、結局は他人が私をどう思っているのかが私の周りの世界を作っていくのだし、自分のことをどう捉えていようと、勝手に私は出来上がっていく。誤解含めながら、どんどんと創り上げられていく。それが何だかやるせない。「私はそんなんじゃない!」って叫びたくなる。誤解をされてしまう理由は何となく分かっている。私が自分のことを極端に話さないから。そもそも人と殆ど話さないから。
そんな私を他人は恐いと言う。でも私は私を恐くないと思うし、いきなり襲ったり、叫びだしたり、ナイフで刺したり、そんなことはしない。
理解が出来ないものに人は恐怖心を抱くらしい。
別に私のことを理解して欲しいだなんてそんなおこがましいことは言わない。だって私ですら私のことが理解できていない。この歳にもなって。人間としての練習期間である学生時代を半ば棒に振ってしまった私は、もう生きることに失敗しまくっている。私は私が分からない。性別ですら。両親には私の性別は「無」とだけ伝えた。理解してくれたかどうかは分からない。「そういう時代なのかねー……」と言っていたけれど、別に私は流行に乗ったわけでは無いし、そもそもそんな流行なんて無かった筈だ。

私はコミュ障では無いと思うし、人とお話すること自体は好き。他人がどう思うと好きだと思う。でも人と話をすることはとても苦手なんだ。考え込んだりしてしまうし、声が出ずに口をつぐんでしまうこともある。でも好きなんだ。だけど他人はきっと私は人と話すのが嫌いだと思っている。それってとても不幸だし、悲しいことだと思う。
でもね、話をすると、噛み合わなかったり、上手く返せなかったりして不快な思いをさせてしまうことも多くて、自分のことばかり話してしまう癖が昔あって、だから今は自分のことがあまり話せ無くなった。とても怖い。こうして文章に書くのは大丈夫、でも話すのには抵抗がある。これでも話す練習はしてるんだけどね。自分の根本にあるのは漠然とした嫌われることに対する恐怖心なのかもしれない。人って誰かを嫌う時「今からあなたのことを嫌います、良いですね?」なんて普通は言わない。気がついたらその人は離れていって、「ああ嫌われたんだな」と、後になってから思うことになる。そんなことが過去に何度もあった。「嫌われても良い」と思う時もあったけど、必ずしもそうではないと思う。人を大切にしないと誰からも大切にはされないし、自分を大切に出来ないと上手に人を大切にすることは出来ないと思う。

子供の頃、私は母親のことが理解できなかった。詳しくは聞いて無いけれど、母親は心の病気で苦しんでいたという。そのことを私は理解ができなかった。それで何度も傷つけた。母親を母親として思えなかったし、他人だと思ってたし、最近になるまでずっと私は母親から愛されていないと思っていた。私自身の心が壊れてしまって、初めて少しずつそういったことの理解が出来るようになって、「辛かったんだな、母なりに頑張っていたんだな」って思うようになった。
母の母親としての二十年間は子供に傷つけられてばかりだったのかと思うと、きっと悲しかったと思う。

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ほしと

エッセイ

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