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シャオラ!ドキワク日記

最近よく考えること、というか普通に懸念した方が良い事案なのだけど、私は辛い食べ物が好きすぎる。「辛味」は味覚云々ではなく痛覚という話を聞くが、つまり私は美味しいものを食べたいという欲求はなくただ痛みを求めるだけのドM快楽主義者なのだ、、( ;  ; )

一味と七味をかけた麻婆豆腐。辛くはなかった

もっと深刻な話をすると、私は咀嚼数が少ない。というのも、自分の口腔内で食べ物がグチャグチャになるのが気持ち悪くてすぐ飲み込んでしまう。私は楽しい食事ライフを送れてないという自覚がある。
逆にみんなは美味しいって毎日思ってご飯を食べているのか?美味しいってなんなのか。齢17歳中原。未だよく分かってないのかもしれない、、

黄身が割れて提供されちょっと悲しかった

美味しいが分からない。というよりは満足に食べれられるゾーンがあまりにも広いから、自分が美味しいと思うものが把握できてない。といった感じかもしれない。
そういえば、例えば果物とかジューシーなものは、噛んだら水分(または油)が沢山出てくるから舌の感覚的に楽しいなとは思う。あと、固いものとかコリコリしてるものも、顎の感覚的に楽しいなと思う。ヤゲン軟骨とか。
「これが一番好きな食べ物!これを食べたら幸せな気持ちに包まれるんだ!(味覚的幸せ)」ってもの、みんなにはあるのかな?私が食物に求めすぎてるという可能性もあるのか?
みんな食べられるもののゾーンの中で、美味しいを見出しているのだろうか。今度から脳内で食レポしようかな。美味しいって、理由ありきの方が確信出来るのかも。

便座のフタについてえっちにお願いされてしまった。

この日は近くのコミュニティセンターの図書館に勉強をしに行った。この図書館はかなり思い出深い。小学五年生の時、西尾維新さんが執筆した「物語シリーズ」という小説シリーズを一日一冊位のまあまあなスピードで読み進めて、当時20冊ちょい読み切ったという思い出がある。間違いなくこの図書館は私の青春だ。続きが気になりすぎて雨の中自転車爆走したなあ、、
西尾維新さんの作品は大半は読んだことあるくらいには好きだ。かなり影響を受けた私は痛い小学生だった。(読んでもらったらわかるが、西尾維新さんは結構痛い文章を書く。)
小学生の時は、分厚くて文字が小さくて多くて読むのに苦労したけど、今読んでみると、会話劇は軽快ですぐ読めるなと思ったし、言葉遊び多すぎて少し胃もたれして胸がゾワゾワしたりなんかして、大人になった気がして悲しくなった。でも、今読んでも色褪せない面白さはあった。


抽象的な地蔵
お地蔵様を正しくは「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」といいます。地蔵菩薩は古代インドで生まれ、サンスクリット語では「クシティ・ガルバ」という名前です。「クシティ」には「大地」、ガルバには「胎内・子宮」という意味がそれぞれあります。その名が示す通り、命を育む力を持つ大地のように、大きな慈悲の心で苦悩する人々を包み込み、救ってくれる存在と信じられてきました。
お地蔵様とは〜いまさら聞けない意味や由来を解説

大地と言われれば大地を感じなくもないし、子宮と言われればそうだなとも思う。めっちゃかっこいい地蔵じゃないか。友人が、「神は多面体で、みんなが色んな方向から見ているから色んな形に見えてるだけで全て元は同じ神だ!(意訳)」と言っていたのを思い出した。つまりこの抽象地蔵は、無駄なものを全て削ぎ落とした究極の核の部分であり、本質なのかもしれない。そんなのが横須賀西地区の山の中にあっていいのか。
ちなみにこれは私の家から歩いて10分位のところにある、ソフトクリームが大きすぎて有名な関口牧場という所の近くに設置されていた。牛達の安産を願う地蔵にも見える。しかし設置場所的には道祖神ぽい。それにしても草が生えすぎて静かかつ荘厳なオーラが出ちゃってる!本当にかっこいい。抽象的な地蔵。
抽象彫刻がかっこいい所以はやはりここにあるのだろうな。何にも見えるし形態のカッコ良さで誰にも文句を言わせないみたいな、、私なんかがものを言える立場では無いですけど、、

まじで私の顔くらいあるクソデカソフトクリーム

このクソデカソフトクリームもかなり懐かしい。牛の搾りたての乳を使ってるであろう、超濃厚、超デカイ、すげえソフトクリーム。
これも、小学生の時死ぬほど食べていた。なんと、こんな大きいのに300円!(現在は400円だった)かなり良心的な価格設定だったな、、デカすぎて食べきれず、手がベタベタになってしまっていたのも懐かしい。関口牧場のすぐ近くに運動公園と呼ばれる大きめでトイレも水道もある、まじ有難い公園があり、そこのアスレチックで鬼ごっこしたり、中一の時はそこで体育祭のダンス練をしたような気がする。自粛期間には縄跳びをしに行ったこともあった。私は三日坊主だったが。
公園っていきなり懐かしくなるから罪だ!

東京・浅草

法事の関係で家族で東京まで行ったのだが、人為的に許さないらしい。めちゃ怖、、
商店街のような所だったのだが、ここだけ店はなく空き地になっていた。これは、この空き地があった店に言ってるのか、下にあるもの達に言ってるのか?あるいは書かれているこのお店に言ってるのか。よく分からない。

ある目的のため、自然や天然のものに人の手が加わるさま。
人為的  意味

つまり。え?なんなんだ。よく分からない。
「ここにあった店が空き地になってしまったのはこの店(書かれてる側の店)に人為的に行われたものだ!許さない!」
とか?いやーイマイチわからない。何なんでしょうかね、、

東京・日暮里

東京、、、、、

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