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歴史・人物伝~エピソード編㊾:永倉新八「近藤、土方や新選組への思いを胸に」

幕末の京都で治安維持の活動をしていた新選組は、明治に入ってからも「仲間でも容赦しない殺戮集団」などと揶揄されてきました。一方で、新選組の生き残り隊士や東京の多摩地方の人々は、新選組の正しい足跡を後世に残す努力をしたのです。

その一人で、初期からの新選組の幹部だったのが永倉新八です。新選組の頃の永倉は、近藤勇や土方歳三らの路線に反発していた人物として知られ、「近藤の増長をたしなめてほしい」と会津藩に直談判したこともありました。

最終的には近藤、土方と袂を分かつことになりましたが、明治になって間もなく、近藤らを供養するための碑を東京の板橋に建立しました。板橋は近藤が処刑された場所であり、共に活動し、戦った仲間への鎮魂の思いを込めたのでしょう。

永倉は大正時代まで生き抜きましたが、その間に「新選組顛末記」を記しています。映画やドラマなどで紹介される新選組の様々なエピソードは、顛末記から引用されることも多く、新選組の実像を伝える貴重な資料です。

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