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ワインの価格高騰を嘆く若者へ

今日はこんな記事を見かけました。

「ブルゴーニュワインの現在とこれから」

週末は平日よりむしろパソコンを開かなかったりで読み物が溜まっていたりしますね。

価格編なので値段の高騰について触れられています。

私はお酒が飲めるようになったのは4年前ですから、もちろん1990年代はおろか2015年ほどまでは全くワインの値段なんて気にしたこともなかったことになります。

そんな我々世代のワインに興味がある人がつい言ってしまう言葉があります。

「生まれてくる時代間違えた。」


いやほんと、今や10万を越えるブルゴーニュやボルドーのワインが平気で2万円とかで売られていたなんて私からは想像もできませんし、

その年代の先輩方は

「あの頃は学生でも少し背伸びをすればあらゆるワインに手が届いた。」

といった旨のことを仰っています。


たしかにそういった意味では我々は不遇の世代なのかもしれません。

しかし、先に紹介した記事でも懐古ばかりしてても意味がないということを仰っています。

私もその通りだと思っていて、実は全く嘆く必要すらないのではないかと思っています。


私にはブルゴーニュだとかボルドーだとかの超一流ワインをブラインドでテイスティングして絶対にあの値段は付けることができません。

もちろん私もそれなりに高いワインを飲んで感動したこともありますが、それが5万とか10万とかしたかと言われればそんなことはありません。

感動するワインは1000円ぐらいから3万ぐらいまで色々とありました。

3万はたしかに高いですけどね。

ちなみにそれなりの値段帯で感動したワインはこちら(感動はかなり主観的でありバイアスが多分に含まれています)。
どれも1000円から3000円ぐらいです。

Honig Sauvignon Blanc 2013
Mezzacorona Castel Firmian Riserva Teroldego Rontaliano 2011
La Massa Toscana 2013
Paul Kerschbaum Zweigelt 2013(日本では手に入らないかも)


それはそうと、たしかに低価格帯レンジのワインでもそういったクオリティのものが生まれるような時代でもあるということなのです。


そもそもワインで感動するというのは「美味しい+α」によって構成されています。

そのため究極に良いクオリティ(クオリティの定義は置いといて)のワインだからといって感動に値するとは限りませんし、100万のワインの価値は「ただの希少性」だったりするわけです。

希少性というのは価値の源泉であり、本質ではあるのですが、その希少性に万人が価値を感じれるかという話は別問題です。


そういうことを考えると、ワインの値段の高騰に際して思うのは

特定ブランドの増産は追いついてなくとも、業界自体の技術向上によるクオリティの上昇、特に低価格帯でのワインの味わいの向上は著しいのではないかということです。

そしてその傾向は今後もどんどん加速していくだろうということです。

そう考えれば、私たちの時代は有名銘柄を追って楽しむ世代ではなく、
ワインの開拓や、発見を楽しめる世代だということができるのではないかなぁと思います。

それはワインを生業としている人でも同様で、

有名銘柄を正しく評価し、満点の状態で供出するのも1つのスキルです。

一方で、あまり有名でないワインに付加価値を付けていける、自分なりの使い方ができるようになるというのも重要なスキルだと思っています。

そして後者が今の時代のニーズにも合うんじゃないかなぁなんて思うわけです。

もう1つだけ付け加えておくと、

もしかしたら高級ワインが飲めない、経験したことがないなんて不勉強だと言う人もいるかもしれません。
そういう方には、
「じゃあ逆にその高級ワインからなにを学んだんですか。」
と聞き返したらいいと思います。
恐らくその先のような発言をするような人であれば、抽象的な言葉しか並ばないでしょう。


そんなこんなで有名銘柄を追っていきたい人にとっては、そして過去を知っている人にとってはツラい時代でも、それしか知らない我々の世代にとっては大した問題ですらないのではないかと個人的には思っています。

今回は取りとめもないふと思ったことを書いただけの記事でしたが、
嘆いている暇があれば、その向上した技術の1つや2つ勉強しようよ(それが積み重なったら有名銘柄を飲む機会も訪れるよ)ということでこういう記事になりました。


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