吟遊酒人という肩書き。
SNS界隈ではわかりやすい肩書を持ったほうが、認知されやすいというのはどこからともなく聞こえてくる話。
あの100mlワインの人ね。
あの三代目Mr.SAKEの人ね。
といった具合に。
この御二方を選んだのは、その肩書に「個」が載っているからである。
つまりこの肩書と「=」で特定の個人に行き着けるだけの肩書であるということだ。
私がツイッターでお世話になっている方に
「ワインコンサルタント」や「ワインソムリエ」を肩書き名に使っている人もいる。
どちらがいいというわけではない。
というのも彼らは彼らのターゲットがあり、この2人はどちらかというと一般に対してワインを発信している方だからだ。
そのときに奇をてらった肩書きをつけていては、ターゲットに引かれてしまうのが関の山である。
ただ私はどちらかというと前者寄りののスタイルの肩書きを持つことを選んだ。別にこれを付けた当初は特に深く考えがあったわけではないのだが、今一度このことについて考え直してみたいと思う。
吟遊酒人とはなんなのか。
吟遊酒人というのは言わずもがな「吟遊詩人」という単語からきている。
以前のパラディンの記事のようなもので、我々がよく耳にするのはRPGゲームなんかでのジョブとしてだろう。
最近はバードという訳語で登場しているかもしれない。
そんな吟遊詩人は各地をふらふらと巡りながら詩を吟じている人というのが元である。
それをそっくりそのまま酒に変えるのであれば、
各地をふらふらと(ちどりあし?)巡り、酒に酔って愉快になっている人。
といった具合だろうか。
ここでワインというものに肩書を特化させなかったのは、自身が生粋の酒類好きだからであり、日本酒だけでなく、蒸留各種、カクテル、ビールなど守備範囲はかなり多岐に渡ると思っているからである。
そのほとんどは未だスタートラインに立っていないようなものばかりだが、次の帰国後は一旦、日本酒にフォーカスしようと思っている。
そうやって日々どこかで酒を飲んで、気ままに暮らしている今の私の姿は「吟遊酒人」そのものと言えるだろう。
なぜこの単語が私の頭に降ってきたのかはわからないが、ある日ふと思いついたので愛用させてもらっている。
なぜ吟遊酒人が「=」の肩書なのか。
その吟遊酒人がなぜ100mlワインや三代目Mr.SAKEと同様の固有名詞のようなものになるのかというのにも少しだけ触れておく。
例えば上記の2つは、自身のオリジナルのプロダクトに紐づいたものであったり、なにかしらの団体に認められて呼称として使えるものだったりする。
一方で吟遊詩人なんて一般名詞だし、吟遊酒人だってただの軽い造語だ。
しかし吟遊酒人を名乗っている人は現状ネット上には全くいない。
ましてやそれが個人名と紐づけられるような単語として扱っているのは私だけだろう。
これは私はワインリテラシーとテイスティング入門という本を書いたときも比較的気にするようにしていた点ではあるのだが、そのときワインリテラシーという単語はネット上にほとんど存在していなかった。
こういった造語はブルーオーシャンである。
そして、先に名乗った人勝ちのところがあるのだ。
もし今後、吟遊酒人という名を別の人が語り始めたとしても、そのころには私の吟遊酒人という肩書がもう少し浸透していったあとだろう。
酒類の業界は狭いので、その占有度で十分である。
ワインリテラシーも同様である。
もし今後何かのきっかけでワインリテラシーという単語が叫ばれ始めたときに、先行して本のタイトルに冠しているというのはアドバンテージになると思っている。
少し最後の方は論点がズレたが、そういうこともあって
「吟遊酒人」が「奥村嘉之」と「=」で紐づけられるのである。
私は別にワインのうんちくを垂れたいわけでも、技術論を心から広めたいわけでもない。
ただふらふらと各地の美味しい酒と飯を食べて生きていたいのである。
そしてこの肩書は、そんな1人の酒好きが居るんだなと色んな人に思っていただくためのものであり、それ以上でも以下でもないのである。
彼は行く。
今日もまだ見ぬ酒を求めて。
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