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「デッドプール2」ネタバレあらすじ感想


0,基本情報

2018年の作品

監督:デヴィッド・リーチ

時間:2時間


1,あらすじ

前作から2年後。ウェイド・ウィルソン(デッドプール)はガールフレンドのヴァネッサと同棲して、ヒーロー活動を続けていたが、麻薬カルテルとの戦いの巻き添えでヴァネッサが死んでしまう。自責の念からウェイドは自殺を図り、爆死に失敗したところでX-MENのメンバーのコロッサスによって保護される。コロッサスはウェイドをミュータントの学校にしてX-MENの本部である「恵まれし子らの学園」へと連れて帰ると、彼を諭し再びX-MENへと勧誘する。ウェイドはこれに渋々同意する。
見習いとして最初の任務に挑んだウェイドは、14歳のミュータント孤児であるラッセル・コリンズ(ファイヤーフィスト)の暴走を止める。能力抑制装置を付けられたラッセルが施設の理事長と職員達から日常的に虐待を受けていることに気付いたウェイドは、職員らに発砲し数人を殺害する。ウェイドは拘束され、ラッセルと共にミュータント専用の刑務所「アイスボックス」に連行される。自身も能力抑制装置を付けられたウェイドは、ヒーリング・ファクターが抑制されたため末期ガンが再発、協力を訴えるラッセルを無視してゆるやかな死を望む。そこへ、遠い未来からタイムトラベルしてきた謎の男ケーブルが現れ、ラッセルの命を狙う。刑務所全体が混乱に陥った中で、ウェイドは重症の身をおしてラッセルを庇いながらケーブルに挑むも圧倒されてしまう。捨て身の攻撃で致命傷を負うが、その拍子に能力抑制装置が外れヒーリング・ファクターが復活、自爆してケーブルを退けるが自身もアイスボックスの外へ放り出される。ラッセルは生き残り、ひとり刑務所へと戻る。

引用:Wikipedia


2,予告編


3,感想(ネタバレ有)

まあ今回もネタに走りに走りまくった作品であり、そのネタの多さからMARVEL版「ロジャー・ラビット」の雰囲気を前作よりも感じた。


私が知っている中でも、バンビやライオンキングでの「親の死」ネタやスター・ウォーズ、アナ雪の名曲「雪だるま作ろう」の盗作疑惑?やケーブル役ジョシュ・ブローリンをMCUに登場するサノスでいじるネタ、グリーン・ランタンやウルヴァリンなどデッドプール/ウェイド役で主演を務めるライアン・レイノルズの過去作(あんまり評価が良くない)についてのネタ、X-MENやホークアイ、ブラック・ウィドウ、ブラックパンサー、くまのプーさん、ターミネーターやDCユニバース全体などがネタにされていた。真の映画好きであればネタの宝庫をあけるだけで物語が終わってしまうだろう。私は「ムカデ人間」や「氷の微笑」のネタなどについては調べて初めて知ったので拾いきれなかった。それでもこの量。映画好きにはたまらないだろう。

他作品を取り上げたネタ以外にも笑いの要素が多く盛り込まれており、相変わらずの下ネタ(今作は割と少ない方)とメタい発言、X-フォースが戦闘前に全滅してしまうところやジャガーノートとの戦いの終わらせ方、突然始まるアニーwww子どもの足でウェイドがケーブルに握手を求めに行くシーンは赤ちゃんが初めて立った時を彷彿とさせるwww


ここで書き切れる量では到底ないwww


アクションに関してはスローモーションなどに加え、狭い輸送車のなかでの戦闘やX-MENがミュータントらしいギミックを用いていたりと、なかなか楽しめるものであった。だが、やはりデップーのアクロバティックな戦闘シーンがたまらない。MCUでいう「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のように「家族は血じゃない」という展開もあり、確かにファミリー映画だと納得させられた。


前作では「そんなのいる?」と片付けてしまった(デップー風に言うなら「俺ちゃんワンダヴィジョンの最新話をすぐ見たかったのごめんね♡」)MARVEL作品の「真の魅力」についてだが、2まで見ると、ここまでネタだらけでも見えてくるものがあった。デッドプールはX-MENと世界観を共有している作品だが、真の魅力もX-MENから引き継ぎ「人種差別/共存」というところにテーマがあったように思う。


矢旬氏の『「2つのナショナリズム」の狭間で:人種問題に揺れる米国』やジャーナリストのミシェル・ノリス氏によってNATIONAL GEOGRAPHICに投稿された「白人が少数派になる米国で今、何が起きているか」によれば、2016年までで、アメリカの人口構成比は白人が大幅減、ヒスパニックの流入で黄色人種や黒人の割合は増加した。また、そのような状況の中、2012年2月に無防備の17歳の黒人少年が白人の自警団員によって射殺され、犯人が無罪評決を得たことに対する抗議運動として#BLM(Black Lives Matterの頭文字を取ったもので、黒人の命を軽く見るなという意味)は開始された一方、構成比で少数派になりつつある白人至上主義者グループもまた黒人や移民批判というような運動を行った。2018年に「デッドプール2」が公開されるまで、アメリカ社会にはこのような動きがあったのである。


第四の壁の手前側ではこのような出来事が起こっている中、本作が公開されたわけだが、ネタや物語の展開を見ると、人種関連のものがいくつか出てくる。「ブラック・ブラック・ウィドウ」(この役を演じていたスカーレット・ヨハンソンが白人であることに対し、ドミノが黒人であることをいじったネタ)や「ブラウンパンサー」(この役を演じていたチャドウィック・ボーズマンがアフリカ出身の黒人であることに対しインド人のドーピンダーをいじったネタ)、ブラック・トムをケーブルが誤って?銃殺した際にデッドプールが発した「黒人差別だ!」(ここ一番笑った)や音楽を止めるように言ったケーブルに対してデッドプールが発した「インド人差別だ」というセリフ。考えすぎかもしれないが、ミュータントであり、エセックスで理事長に虐待されていたライアンを演じるジュリアン・デリソンとライアンを虐待していた悪人で、エセックスの理事長でを演じるエディ・マーサンについて調べてみると、ジュリアンはニュージーランド出身でエディはイングランド出身、ここもなにか人種問題に対するものを感じる。


思えば、前作「デッドプール」も、ミュータント細胞が活性化して皮膚がボロボロになってしまったウェイドを見て、民衆はまるで化け物を見ているかのようなまなざしを彼に向けた。ウィーゼルも彼を慰めるどころか普通にウェイドの顔面についてひどいセリフを浴びせていたが、ウェイドはフランシス以外にはぶち切れることもなく、最後には恋愛を糸口にし、ヴァネッサに受け入れられ、自分の容姿を気にしなくなっているかのようであったりと、人種問題に繋がる要素がいくつかあったように思われる。


単なるジョーク、誰かがそういえばそれまでだが、人種問題という流れを引き継いで話を進めるなら、「デッドプール」が展開した物語というのは、差別や迫害の対象となっていたミュータント自身、デッドプール自身が差別に対しての不当さを主張することで現実世界で起きた運動を投影しているとも考えられる。X-MENやX-フォースを警察に見立てれば、ライアンは暴力を行使する過激派の象徴のような存在だろう。また、前作「デッドプール」が大ヒットしたことを受け、大暴走を許された制作陣が、まさに理想郷でネタにしても許される世界線を構築し、人類のあるべき姿を提示したのだろうか。それとも、デッドプールはライアンに対し、理事長と同じ立場になってしまうから殺すのは辞めた方が良いとは言ったものの結局はドーピンダーによってひき殺されたシーンは、ここまでしないと問題解決には至らないという現実の厳しさを込めた制作陣からのメッセージだろうか。R指定で物がわかるようになった者しか見ることがないという点ですら何かの意図を感じる。


X-MEN関連は「X-MEN」と「デッドプール」「デッドプール2」しか鑑賞していないので、あくまで考察にはなるが、これら、そしてこれから鑑賞する予定の「ウルヴァリン」や「ローガン」というようなデッドプール以前のシリーズ続編は世界観を共有しているのと同時に、容易には解決できない「異人種共存」という問題についてそれぞれの作品で異なる解や考えを見せていくのではないだろうか。


ネタ作品として見ても、シリーズの続編としてみても、他の作品を見る種としても、一つのMARVEL作品としても面白い作品であった。この作品についてより深い考えを持つために再び鑑賞し、そして他作品ネタも元ネタ鑑賞によって追いかけていきたい。



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