国立新美術館にて

「ただいま待ち時間が大変長いですが、よいでしょうか」

チケット売り場でそんなことを言われた。10時を過ぎたばかりなのに、行列は館外へ続いていた。示されるままに進み、チェックのシャツを着た背の高い男性の後ろにつくと、そこが60分待ちの最後尾だった。

国立新美術館、『ミュシャ展』。

展覧会は6月5日(月)まで。考えてもみれば、こんな私でさえ知っているミュシャなのだから、終了日間際の混雑は予想できたはずだった。後ろから「お手洗いに行っておけばよかったわ」とか「熱中症になりそう」といった、ため息まじりの声が聞こえてくる。折り返し地点では、スタッフの人達によって水が提供されていた。

やがて前後の人たちと会話を交わすようになる。チェックのシャツの男性は、三回目のミュシャ展を楽しむために横浜から車で来たと言い、二人連れのおばさまはごく近所に住んでいると言った。近所だなんてうらやましい。私は飛行機できました(なんとなく言えなかったけど)。

さて、だいたいこういう場面では、この中に画家、あるいは絵を目指している人はいるのか?という話になる。チェックの男性が言葉を濁した。「ぼくはピカソです。誰だってそう言えば、言ったもの勝ちですよ」なるほど、画家は彼だと確信し、私とおばさまは目を合わせた。

ミュシャ展は、入場口から惜しみなく始まる「スラブ叙事詩」で鑑賞者を圧倒する。縦6メートル×横8メートルという壮大な作品が20作。広く知られた装飾的なポスターなど、小さな作品は後半に展示されている。

写真撮影をしてもよい部屋は、ちょっとした熱狂と混乱が渦巻いていた。完成当時は日の目を見なかったというこの作品群が、チェコスロバキア国外で初めて一度に展示されている。この特別な機会に居合わせた人々が、重なり合いながらできるかぎり腕を伸ばして、夢中でシャッターを切っているという具合だった。ここは、もう、ゆっくり鑑賞するという雰囲気ではない。右へ左へと肘を押され、なんとなく焦って「早く移動しなくては」という気分になり、進行方向もわからなくなってしまうくらいだった。

正直なところ、私にとっては、チェコスロバキアの民族叙事詩はあまりにも遠い出来事だった。だから、不勉強な私がお行儀よく順番を待って得るものは、どうしても既製品的な感動にすぎないだろうなと覚悟もしていた。でも、ここには大きなエネルギーがあった。画家が晩年にたどり着いた、祖国への誇りと希望。歴史が私たちに訴えかけるような、観る人をハッとさせる視線。それは太陽の下で燃えさかる透明な炎のように、はっきりと目には見えなくても、私たちを確実に焚きつけている、そんなふうに思えた。

出会った人たちとは、入場口のところで自然に解散した。ふとした待ち時間にも一期一会がある。そういうのをとても好きなのは、現実を物語的にとらえたいという私の習性みたいなものかもしれないな。そういえば画家の彼に「ミュシャ展を三回も観たいと思ったのはなぜですか?」と訊ねたところ、こんなふうに答えてくれた。

「そうですね、出会ってしまった人に、二度会いたいと思うのは当然でしょう。三度会いたいのは、違う面を知りたいからでしょうか。むしろ裏切られたいくらいです」

素敵な裏切りはあったのだろうか? それは彼の制作に活かされるだろうか? 同じ列に並ぶ私たちにも、ひとりひとりの物語がある。「居合わせる」という偶然の交差は、なにかの始まりの光かもしれない。

ミュシャの世界に比べたら、それは小さな小さな空想でしかないけれど。

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■基本情報

国立新美術館
ミュシャ展

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ミュシャで知られていますが、チェコ語では「ムハ」と発音するそうです。ミュシャ(ムハ)についてはあまりにも不勉強で、展覧会のことは書けず、日記になってしまいました。ごめんなさい。



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