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マガジン『一服』寄稿/Smoke

じっくりお湯を注いで淹れたコーヒーは美味しい。すこしだけ手間と時間はかかるけれど、コーヒーメーカーの一杯にはない深いコクが出る。

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このたび、mao nakazawaさん編集長のMAGAZINE『一服』に、書き下ろしエッセイを寄稿させていただいた。

(MAGAZINE『一服』表紙)

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『一服』と聞いて、まず私が思い描いたのは、コーヒーとタバコ。

もうすこしイメージを広げてゆくと、ていねいなマスターによる至福の一杯と、たゆたうタバコの煙。たぶん季節は夏で、気兼ねない時間を過ごしている誰かさんのシルエットが、モノクロームで浮かび上がる窓ぎわ……。

もしかしたら、いつかの記憶かもしれない。あるいは、素敵な雑誌の写真だったかな。

と、そんなイメージを抱いたけれど、私はタバコを吸わない。20代の時に吸っていたことはある。でもさっぱりやめてしまった。

幼く見える私が喫煙する姿を、皆ものすごくいやな目でジロジロ見て行くものだから、それが決別のじゅうぶんな理由になった。そもそも、格好をつけるために吸っていただけだ。恰好がつかないのなら、やめた方が身のためだ。

けれど、今でもときどき夢を見る。とても生々しく鮮やかな、タバコを吸う夢を。

煙をゆっくり吸い込むと、胸の奥がキュンとするような、かすかな風味のメントール。指先から立ち上る白い糸が、うすれて闇に消えていくさま。

人ってあんがい、身体の感覚を総動員して、細かなことを記憶しているものだ。

夢の底からふと浮かんでくるものを追想する。そういえば、私はその頃みっともない恋をしていた。恋人のような恋人でないようなその人に「禁煙しなよ」とよく言われていたっけ。「女の子はタバコなんて吸わないほうが、かわいいよ」と。

ひとつのシーンが別のシーンを呼び、乱反射する光のオーナメントのようにくるくる回って昔話をはじめる。なるほど、私にとってタバコの夢はおそらく、叶うはずもなかった恋のことと密接に結びついているんだ。

どうしてだか私は、その人と恋人ごっこをする期間だけタバコを吸い続けた。きっとそうさせる何かがあったのだろう。やがて私は別の人と出会って結婚し、痛みとか未練とかいったものはすっかり消えてしまった。その代わりに残されていたのが、みっともなさだった、というわけ。

ちなみに、夫はとても美味しそうに楽しそうにタバコをのむ。

タバコを吸っていた私が、タバコを吸わない人との恋を捨て、タバコを吸わなくなって、タバコを吸う人と結婚したなんて、ね。

Life sometimes looks smoky. 

話が脱線してしまったけれど、一服はあくまで一服だ。うすれた過去の弔いに捧げるなら、タバコ一本ぶんくらいの時間でいい。夢の時間にぼんやり長居してしまうと、マスターのコーヒーにひそむ極上の「ふしぎなコク」が、感情の深いところにとめどなく押し寄せてきて、動けなくなるかもしれないから。

コーヒーをぐっと飲み干したら、さっさと立ち上がって、歩き出そう。

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ところで、編集長のmaoさんは、まさに「さっさと立ち上がって、歩き出す」というイメージの人だ。

今年3月に開かれた彼女の個展を拝見した時、それぞれ写真に寄せられた文章(彼女はこれを「ステートメント」と呼んでいた)がとても素敵だったことが印象的で、彼女独特のこの世界観を、世に出し続けてほしい! とずっと切望していた。だから今回の『一服』刊行のお知らせはとってもうれしかった。

記念すべき第一号に関わることができて、とっても感激です。とても素敵なMAGAZINEなので、ぜひお手に取ってみて下さい。


#magazine一服



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10月某日、maoさんが送ってくれた『一服』が届いたのもつかの間、とつぜん入院することになり(!)、下書きに置いていたものを発表するのが遅くなってしまった。やっと書けました。

生活もすこし落ち着いてきたので、また書き始めます。人生のビターなところを舐めたような感じの病院生活も、きっとどこかに書くと思います。

また、よろしくお願いいたします。

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