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世界の底のロマンティック/The Red Carpet

寒いくもりの日は、視界がぼんやりとして、向こうまで見えない。
だからなのか、近くばかり見ている。

そういえば私は地面ばかり見て歩いている。(このnoteも、そんな感じ。)秋、私は入院していた。退院したばかりの時は、睫毛さえ重く感じて、真正面だってうまく見据えることができなかった。そもそも見たいものが何なのか、自分でもよく分からなかったのだと思う。

年末の買い物を終えて帰路につく。すれちがう人たちはどこか急ぎ足で散り散りに去ってゆく。その先の、テレビのついた、ぬくぬくとした部屋がなんとなく見えるようだ。

下、私の足と靴。
上、凍てついた空にたどり着く。

しんしんと、音にならない気配のようなふるえが、雲と空のさかいめから、やわらかく舞い降りて来る。雨ではない。何か白く冷たいもの、あらゆるものを覆い隠してしまうもの、舌を出してちょっと舐めてみたくなるような、ふわふわなもの。

雪だ。雪が降り始めた。

家の近くの歩道で、“それ”を見つけた。無造作に茂っているサザンカの下で、私を待っていた。

〈“それ”は、こんな光景〉

冬の女王がちょっと休憩をするのに選ぶのは、きっとこんな場所なのだろう。無数のサザンカの花びらを見ていると、マンガみたいな無数のハートが頭に浮かび、どこからか甘い香りがするようで、そのロマンティックさに痺れた。何の変哲もない歩道からロマンティックがつづくなら、日常も捨てたものではない。

その傍に佇み、これを作った人のことを考える。じっと見ていると、目の奥がじん、とする。

これを作った人は、神さまだろうか? 

神さまの手仕事は、なんて巧妙なのだろう。空にグレーの蓋をすると同時に、世界の底に、こんなにきれいな絨毯を敷くのだ。

サザンカのレッドカーペットは近寄りがたいほど霊的で、足先でそっと一枚踏むと、光の集まるステージの上につづいている気がした。

今年は『でも、ふりかえれば甘ったるく』が出版されたり、リトルプレスを刊行したり、MAGAZINE一服に参加させていただいたりと、成長の機会に恵まれてとても充実していた。でもその一方、秋からは健康上の問題にかかりきりで、私の活動は一気に失速せざるを得なかった。

落ちた花びらは懸命に咲いた証だ。すこし元気のない私に、花たちが「大丈夫だよ」と言ってくれているような気がしてならず、ドリーミングな気分に浸りながら、

(遠くを見なくちゃな)

と思った。

真っ直ぐ前を見据えて。行きたいところをさだめて。

「来年から」なんて言わずに、今日から、ね。

全てはあっという間に白へ白へとうずもれてしまうから。無かったことになってしまうから。

自分へのクリスマスプレゼントに買った、1月始まりのスケジュール帳に封を開け、どんどん書き込んでいる。

メリークリスマス。そして、ハッピーニューイヤー。





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