『ムーンライト』を観て

『ムーンライト』はアカデミー授賞式で多くの注目を浴びることとなった。神様はそう望んでこの脚本を書いたのだろう。あの取り違えがなければ近所の映画館でこの作品を観ることはできなかっただろうな、チケットを買いながら私はそんなことを思っていた。

『ムーンライト』は三部で構成され、幼少期は「リトル」、少年期は「シャロン」、青年期は「ブラック」とそれぞれタイトルが付けられている。マイアミの貧しい地区に生まれたゲイである黒人青年の物語は、どの部分を見るべきか戸惑うほど、様々なマイノリティ要素が含まれている。けれども強調されているのはその特殊性ではない。見終えると、ある男性の半生が優しく照らし出されていた…という印象が残った。

第一部では、マイアミの貧しい地域に母親と二人で暮らすシャロンの幼少期が描かれる。偶然知り合った麻薬の売人フアンとの交流が、内気ないじめられっ子であるシャロンの唯一の心の拠りどころである。子どものいないフアンは父性のような愛情でシャロンに接する。まるで父親のようにシャロンを海に連れ出して泳ぎ方を教えるのは、社会での生き抜き方を教えるということでもあるのだろう。「自分の道は自分で決めろ。周りに決めさせるな」というフアンの言葉は、後のシャロンの人生に大きく影響していく。

麻薬中毒になってゆく母親や、幼なじみのケヴィンに募る恋心、同級生たちのいじめなど、家にも学校にも心休まる居場所を見つけられないシャロンの孤独が、第二部では息苦しいほど執拗にふちどられる。どんなに誠実に生きようとしても、自分の力ではどうにもならないことがある。それは、生きていれば誰だって感じることだ。私たちの視線は、いつのまにか、できるだけ彼の心へ近づこうとしている。

ところが、少年期から青年期へと切り替わった瞬間、物語は急展開している。私たちはシャロンの大きな変化に戸惑いながら「彼にいったい何が起こったのだろう?」とその心の動きを見つめていくことになる。

それぞれの時代で際立っていたのは、誰かと心を通わせた愛の記憶だ。黒人貧困社会で ”のしあがった” シャロンは、フアンの言葉通り「自分の道を自分で決めること」を実行している。それは、どんなに以前の姿とはかけ離れていたとしても、ほんのひととき誰かに正面から愛された記憶が、彼の中に脈々と続いているということの証だ。その愛は彼に、母親や、恋心を抱いているケヴィンとの関係を展開させ、ひとつの結末を迎える。

月明かりの下、浜辺に一人の男性が凛と立っている。光が青く彼の頬を染め、潮騒が優しく響いている。きっとそれは、ずっと続く。そんな映像が頭に残るほど、いつの間にか、彼の半生にすっかり引き込まれてしまっていた。

個人的な話になるけれど、去年まで私はいろいろな出身国の人々とチームで仕事をしていた。国や文化の違いから、時々「?」と違和感を覚えるようなことがお互いにあったと思う。相手を尊重しようとするからこそ敢えてそこには触れず、「いろいろな考え方があるよね」と乗り切ってきたのは、都合のよい倦怠だったのかもしれないな、と今になって感じる。

もし私がそれより前にこの作品を観ていたら、見えない境界線の向こう側、そのほんの少し先にある理解と優しさへ手が届いたのかもしれない。「いろいろな考え方があるよね」という大きな括りを細かくほどいていけば、行き着くところは個人になる。そう考えると、シャロンの物語は決して他人事ではないのだと思う。それは私たちのための、というよりも、私たちの次の世代のための気づきなのだ。この作品のもつ素晴らしさって、きっとそういうことなんだろうと思う。

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それにしても神様って、こんな計らいをするものなんだな。



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西平 麻依 /まいも

共著『でも、ふりかえれば甘ったるく』リトルプレス『アイスクリームならラムレーズン』ZINE『ロマンティックはつづく/Romantic Bites.』『ドリーミングガール・ダイアリーズ』 Web https://maimo.jp 連絡先 maimonote@gmail.com

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【エッセイ】日々の暮らしのなかで気づいたことを綴っていきます。

コメント2件

私は確かに「神の粋な計らい」をこの映画に感じました。素敵なレビューをありがとうございます
TheBottleさん、コメントありがとうございます。政治的な意味合いもあったのだろうと思いますが、それも含めて、今の時代には必要だったことなのかなあと思いました。今の日本人にとって共感しづらい感じの作品でも、多くの人の目に触れるということが大事なのだと思います。
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