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もう一度、服を捨てる

 去年、たくさん服を捨てた。お気に入りのものだけを残した。それなのに、着たい服がない。

 そうか。こんな感じの私を残したかったんだな、と、私の抜け殻を見て思った。そんなふうに服を眺めていたら、一年前の自分に再会できたような気がした。

 服にも色にも詳しくはないけれど、自分の好みにはこだわる。たとえばグレーのニットといっても、明度の高いもの。透明感があるもの。肌ざわりのよい生地が好きで、着てみてよいと思ったものしか買わない。どれもぜんぶ、そんなふうに揃えたものばかり。

 そうして慎重に手に入れたものを、ブラシでお手入れをして、手洗いで洗濯して、大事に大事に着ていた。

 けれど、今年の私は、どの服もしっくりとこない。 …もう私は「会社員」じゃないんだ。それは、もちろんわかっていたつもりだけれど、あらためて認識すると、ふっと、見え方が変わった。

 さて、二度目の衣替えをしよう。もう着ない服を選別して、新しい服を買わなくちゃ。袖のおちた、ゆるゆるとしたセーターを、ほんとうは着てみたいと思っていたし。

 それに合わせて、真っ赤なルージュを引いてみたっていいじゃない。

 これまでいくつの服や靴を買い、手放してきたのだろう。その途方もない数を想像する時、過ごした日々のことを思い出さずにはいられない。

 成人式の日、友人と私は、眉の上で前髪を切って、おしゃれなスーツを着て行った。あの時ほど、強烈な自意識で、自分のためだけに服を着た日はなかったと思う。それは決して正しいこととは言えないのだけれど、とても、良い思い出。

 その頃の日々のどこかで、旅行会社やみどりの窓口ではないチケット売り場で、大人列車の片道切符をどうやら手に入れることができたみたいで、いまその旅の途中だ。

 服を買っては捨て、脱皮をくりかえしながら、「こうありたい姿」さえも更新しながら、笑って旅をしている。

 私の旅にひとつ何かの考えが加わったのだとしたら、こうありたい姿は、ときどき誰かと共有する場面があるということ。もしかしたらそれは、恋のことかもしれない。あるいは、もっと広い意味で、愛のこと。

 手持ちの服を吟味する。全部捨てるというわけにはいかない。一気にクロゼットを様変わりさせられるほど、たくさんお金が余っているわけじゃないし。こうありたい姿を、強くイメージする。

 変わるものと変わらないものが混じり合い、同じ呼吸に溶け合って進化しながら、終点駅につくころには、別人のようになれていたらいいな。

 その時に何を着ているかなんて、全く予想もつかないけれど。でも、まあ――次の駅までのライドは長い。この切符を、無くさないようにしなくちゃ。




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 いつも読んで下さってありがとうございます:)ひとつだけ、ずっと好きなものがあって、黒色の、コンバースオールスター。履きつぶしてしまっても、結局また同じように買い求めてしまうのです。ジャックパーセルを履いてみたこともあるけれど、かっこよすぎるような気がして。もしかしたらオールスターは、私にとってのライ麦畑みたいなものかもしれない。


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