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広島県立美術館にて

広島県立美術館で開催中の「ターナーからモネへ」(英国ウェールズ国立美術館所蔵)。十九世紀から二十世紀の初頭にかけてイギリスとフランスで活躍した画家たちによる、作品七十点余の作品が展示されている。美術館と隣接している縮景園、桜の見どころは過ぎただろうか。広島市内に用事ができたので、足を延ばすことにした。

写実主義や印象派、印象派以降の作品を、順を追って観ていく。と、知ったかぶりをして館内を歩く私は、実はアートについてほとんど知識がありません(ごめんなさい)。音声ガイドの丁寧な解説を聞きながら鑑賞していくと、当時の背景や人々の関心の動きが、だんだんわかるようになってくる。

それにしても、画家の目という器官はいったい、どうなっているのだろう、と思う。とくに印象派とよばれる画家たちの作品の前に立つと、彼らが光というものをいかに描きたかったのか、ということに思いを馳せることになる。モネの『サン・ジョルジョ・マッジョーレ』『パラッツォ・ダリオ』、中でもこの二つの絵にはきらきらと光があふれていて、絵であるということを忘れるほど、ひとときも静止していないように感じた。

「…この頃、開発されたある発明品により、それまでアトリエにこもっていた印象派の画家たちが、こぞって外で絵を描くようになりました。それはいったい、何でしょう?答えは、トラックの#番を聞いてください」…すっかり楽しくなった私は、すぐに答えを聞いてしまう。なるほど、画家たちが屋内から外へ出たことは大きな転機だったのだ。なんだか私も、画用紙と色鉛筆をもって、外へ出てみたくなる。

こういう風景の中で、今この瞬間にも光は、画家の目の中に新しい色彩を与えているのだろう。三階のガラス張りから下方に広がる縮景園を眺めていると、桜の花びらが風にあおられ、下から上へと誘うように舞ってくるのがなんともふしぎな美しさだった。いちど地面についた花びらも、このようによみがえって、何度でも光を受けにいく。

じっと闇の中で自分の内面に意識を集中させる人もいれば、外に飛び出してあるがままの色彩を全身に受けたいと望む人もいる。その二つは、両極にありながら、「光」の存在を感じようとする試みにおいては、どちらも同じことを意味するのかもしれない。帰り道、夕暮れの中でそんなことを考えた。

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広島県立美術館「ターナーからモネへ」英国ウェールズ国立美術館所蔵
5月28日(日)まで。9:00~17:00(金曜日は20時まで)会期中無休。


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