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今日をなんとなく生きたら/NEW DAY, MY WAY

2018−2019.片付けて、水拭きして、疲れて眠っている間に年が明けていた。年越しそばも除夜の鐘もすっとばしたから、旧年と新年のさかいめは、なめらかに一続きになった。

目が覚めた時、出遅れたような気がしなくもなかったけれど、部屋のすみずみまできれいなのを見て、私らしい元旦に満足した。ハレの日は、ひそやかなくらいが丁度いい。

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ハレの日は、盛大にするのではなく、自分なりのささやかな過ごし方をするのが好き。

コアントロのびんに花を一輪さすだけで何時間でもご機嫌でいられた母のように、たぶん私にもそんな素朴さが備わっているのだと思う。仰々しいのは、照れくさいし、ね。

そういえば成人式の日も私は特別なことをしなかった。いつも通りのおめかしをして出掛けて、友人とドーナッツを食べながらつつましく祝っただけ。ちょっと味気なかったかもしれないけれど、でもやっぱり満足している。私なりのおごそかさ。その充実で心が満ち足りることが分かってからは、ずっとこんな感じだ。

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お宮参り、お食い初め、七五三。バースデー、卒業式、成人式。

私たちには、たくさんのハレの日が準備されている。

両親が準備してくれたお祝いごとは、成長を重ねるにつれやがて自分のためのお祝いごとに変わっていく。あるいは、大切な誰かのための。

大人になるというのはもしかしたら、生まれた時両親が書いたさまざまな書類に、自分でペンを持って上書きしていくということなのかもしれない。誰もがやりたいように、自分らしく生きられるように。

いろんな過ごし方のハレの日があればいい。誰とどんなふうに過ごすか、それこそが自由を生きるということだから。

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「一生に一度」のハレの日に、何をする/何を着る/何を食べる/誰と過ごす?

そんなことを考えるケの日も、一生に一度のかけがえない「今日」であることに変わりはない。

ケの日のその総量が人生の中で圧倒的に多いことを考えると、今日の中の一秒だって無駄にすることはできない。今日をなんとなく生きたら、人生をなんとなく生きたのと同じことになってしまう。

だから私は、過ぎゆく時と新しい時のさかいめにたたずみ、懸命にその瞬間を密度高くして生きようと思うのだ。

そのさかいめが、じりじりと残り時間を燃やしつづけていることを忘れないようにして。



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