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桜、そして、誰でもない「私」のこと

物語に取り組んでいる。やっぱり、うまく出来ない。

完全に手が止まって窓の外を見ると、家々のあいだにゆらぐ淡い色があり、ちらちらと何だか手まねきをされているような気がした。薄いコートを羽織って外に出る。

途中コンビニに寄ってカフェラテを買った。カフェラテが出来上がるまでの時間くらい、桜は待ってくれるだろう。
「お客さん、今月末で失効するポイントがありますよ。使いますか?」
「あ……、またにします」
咄嗟のことだったのでそう答えた。横断歩道を渡って桜並木の方へ向かう。

いちめん、春の海みたいだった。

甘い香りが鼻先をくすぐる。
プシュー、とビールを開ける音。
にぎわう宴会中の人々。いま、15時すぎ。

目星をつけた場所に良い感じのベンチがあった。春の妖精と王女さまがピクニックをするならこんな場所だ。小川洋子さんの『シュガータイム』(1991年/中央公論社)に、「桜は、全体で見ると光だった」から始まる美しい描写があるけれど、ほんとうにその通りだな、と思う。

桜は、全体で見ると光だった。太陽の存在を忘れさせるような幻想的な光だ。でもよく目を凝らしていると、繊細な花びらの輪郭が見えてくる。程よい曲線や先端の尖りを、目でなぞることができる。一枚一枚花びらを確かめていくと、あまりの精巧さにめまいがしてくる。

桜の光にすっぽりと包まれて、心地良い。

開花はずいぶん進んでいた。一点の曇りのない空に、ピンクの淡い泡がいくつもフワフワと浮かんでいるように見える。うっとり見とれていると、たしかに今度はその枝葉や花びらのひとつひとつが際立って来るように感じた。アイデアが湧いてきたので、あわてて携帯にメモしていく。「桜 冥途 土手 踏切 赤提灯」 … いったい、どんな物語を目指しているんだか自分でもよくわからない。でも、満足だった。

そのアイデアをもう少しつきつめてみたくて、ぐるっと遠回りしながら帰ることにした。緑道を南に行くとJRの駅があって、たこ焼き屋さんもあったような気がする。

桜と桜をつたうように歩く。冬のあいだ黒々とささくれていた木々たちはこうして、いま豊かに花を咲かせて人々を笑顔にしている。コートを脱ぎ、明るい色を着ている人たちも多い。私もつられて、桜色の服を着たくなる。

そういえば、と思い出した。
桜染めは、花びらからではなく、樹皮や枝葉からすると聞いた。ということは、桜の中には一年中、途切れることなくピンク色がつまっているのだ。

決してそうは見えなくても、脈々と。

ふと私は思った。
一途というのは、そういう姿のことなんじゃないかな。

私たちは、そうやってじっくり溜めた力で、咲くべき時に咲いて。
ときどき誰かを羨んでしまいながら、せいいっぱい枝分かれして。
全身で「自分」になるしかなくて。

そして、誰かがそれをきれいだと思ったら。

それって本当に素敵なことだ。

もう一度小川さんの言葉を引くと、「太陽の存在を忘れさせるような幻想的な光」。それはきっと、他の誰でもないその人の内にこそ流れる色が、為せることなのかもしれない。

部屋に戻って物語の続きを書いた。時間も空間も、静かなあたたかみを帯びていた。いいものを書けたかどうかは分からなくていい。いつしか私は、文章を読んで下さった人からいただいたうれしいメッセージのことを思い出していた。その応援が、心の奥底に染み渡ってくるのを感じた。

今週末ぐらいには桜が満開になりそうだ。つぎは誰かと一緒に。

そうだ、今月末で失効するポイントを忘れないようにしよう。




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いつも読んで下さってありがとうございます。うれしいお言葉を下さった方、ほんとうにありがとうございました。

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