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アジアの純真

 ヒッチコックときいて、まず思い浮かぶのはトリュフォーではなく宇多丸の世代で、頭のなかでは、岡村靖幸さらにRHYMESTERの「マクガフィン」が流れる。『北北西に進路を取れ』や『疑惑の影』、『知りすぎていた男』などのタイトルがリリックに織り込まれた傑作で、作曲の岡村ちゃんのペンも冴えている。マクガフィンを笠原和夫流に言い換えるならば「オタカラ」だろうか。敵味方のあいだで揺れ動く、物語のエンジン。

〈上辺ばかりで中身はなくたっていい〉

 と言い切られても、それが阿部和重の「アルフレッド・ヒッチコック試論」だとしたらどうだろう?彼のキャリアからして、中身がないとは到底思えない。もちろん『ブラック・チェンバー・ミュージック』の劇中では、著者ではなく金正日が書いたということになっていて、その翻訳家と掲載紙をめぐる謎が、半島の南北それぞれの情報当局やヤクザをも振り回す(話はそれるが、韓国の諜報員が日本で秘密裏のミッションにあたる場合、まずはヤクザを頼るというのは基本なんだろうか?荒井晴彦ファンとしては、どうしても『KT』を思い出してしまう。もっとも、あの作品での組長役は白竜で、であれば、KCIAのなかに何らかの関係がある人間がいたのかも。と想像できなくもない)。

 じつは金正日がシネフィルで、世界中のフィルムを収集していたという噂は、映画ファンであれば誰でも耳にしたことがあるはずだ。歴史のIfとして、これほど魅力的なマクガフィンもちょっとない。北の特命を受けたヤクザから掲載紙を入手せよと命じられた主人公・横口健二は、とりあえず評論のコピーに目を通してみる。内容はヒッチコック作品における階段の機能をテーマ別に検証したもので、個人的には、著者の『監獄学園』評(ジュンクのフリーペーパーに掲載)を連想した。が、あのギャグマンガを、水をモチーフにして、あそこまでしつこく論じられるのは、後にも先にも阿部和重だけだろうけれど、ヒッチコックの階段についての論は、それぞれの映画を未見の読者ですらもすんなりと納得させられるのではという明快さと慎みに満ちていて、暴君たる将軍様が書いたとはとても思えないバランス感覚が見て取れる。画家がキャンバスに絵の具をのせる筆の運びのひとつひとつをつぶさに見つめるかのような批評のスタイルは、蓮實重彥の門下生ならではのもので、そのへんは著者のファンならではのお楽しみだろう(また話がそれるが、本作のヒッチコック論と同様に、蓮實重彥の批評は、脚本に即した演出の効果をしっかりと論じるものなので、単純に反物語(もしくは脚本)派と見なすのはマチガイだと思う。詳しくは『ラルジャン』評をあたって欲しい)。

 この論文が北の国家機密とどうリンクするのだろう?と読者は考え込んでしまいそうになるが、当の健二は〈なるほどそうなのかと素朴に感心〉するぐらいで、割に平然としている。『シンセミア』や『クエーサーと13番目の柱』に登場した輩どもであれば、格好の餌食とばかりに、質の悪い電波にまみれた牽強付会な持論をぶつに違いないのだが。

 健二にとって大事なのは、暗号の解析よりも、北のエクスペンダブルとして遣わされたハナコを守ることだ。物語の進行に伴い、その振る舞いは徐々に恋愛感情を帯びるが、彼自身の本能的な優しさに基づいており、小林信彦がいうところの、無意識過剰なヒーロー役にふさわしい。所々で、ヤクザを相手にちょっとどうかと思わせる図々しさも、この際プラスだ。考える前に動く彼は、社会人としてはアレかもだが、巻き込まれ型サスペンスの主人公としては大合格だ。その働きへのご褒美であるかのような、海上の甘美なチルタイムは、直前の廃病院でピークを迎えた血生臭いトーンを一気に浄化する。にもかかわらず、船の操舵士は宮史郎に瓜二つで、こうした喜劇的味付けの匙加減も小林信彦マナーだ。『サイコ』を『激突!』や『カリフォルニア・ドールズ』と同じ構造を持つ作品として愛する菊地成孔の論に倣えば、サスペンスを中断するこの「休憩」は、ヒッチコックのパスティーシュでもある本作の白眉だろう。

 事の顛末はどうあれ、健二と不法滞在民のハナコとの両想いの行く末は、残念ながらも、大方の想像がついてしまう。しかし、ハリウッドの黄金期のメロドラマを範にとった著者の本気を甘く見てはいけない。冒頭で引用した「マクガフィン」のリリックの続きには、こうある。

〈オレだけに見せる特別なスマイルがあればいいんだ、Baby〉

 ラストの、最も現代的で、原始的な純真に拍手を送りたい。

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