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龍神考(30) ー「竜」が現生する日本ー

「似て非なる」者同士の強い縁

「竜」という字の下部「日+乚」=「隠れた幼い・若い春の太陽」=「五柱の神々に囲まれて降臨する天孫」、上部「立」=「即位」と解釈して、「竜」の一文字が「天孫降臨」を象徴し、それが広義の「天孫」=歴代天皇のご尊顔を「竜顔」とも申し上げる背景にあるのではないかと考えました。

 また「地震」の「震」に「雷」の意味があると知って、両者に共通する「雨」以外の「辰」と「田」にも相通じるものが認められました。

「辰」の字を含む「宸襟」は竜顔の天皇の御心を指す一方、「田」は「狩猟・農耕用地の土地区画」の象形で「狩猟・農耕」の意味を持つことから、天皇親政時代の天皇は土地区画の最高権力者であり、人皇初代神武天皇は狩猟神と農耕神の性格を継承して即位されたことに想い到ったからです。

 一般に農耕・稲作の場とイメージされる「田」が「狩猟」の意味も持つことは、縄文時代から弥生時代にかけて生業の中心が狩猟・採集から農耕に徐々に移行していったこと、また狩猟と農耕は相補的な関係にある実相を示すものでもあります。

 それは、神話的な意味で天孫降臨前の日本の地上の支配者=土地区画の権力者と考えられる大国主命が鎮まる出雲大社の本殿が「田の字形」に仕切られていることや、大国主命の国譲りの後の暫定的な地上の支配者と想像される猿田彦神の神号に「田」が入っていることにも窺えました。

 さらに「天孫降臨」の過程を細かくみると、そこで決定的な役割を果たしていく武甕槌命や猿田彦神、大国主命とその二柱の御子(事代主命、建御名方命)はお互いに「似て非なる」面が意識的に描写されていることも明らかになってきました。

「似て非なる」が故に縁が生じ、その縁が何らかの展開と結果をもたらすことは、古事記や日本書紀などの神話だけでなく、各地の神社やお寺の御由緒や御縁起から各種の祈願やお守りにまで、よく見られるモチーフです。

 例えば、男女の「縁結び」など、二つの異なる存在の「結び」が重視されますが、両者が特に強く結ばれるのは、「似た者夫婦」という言葉にも窺えるように、両者が似て非なる性質だから強く結ばれ易いと考えられたと思います。

 その好例は、国土と多くの神々をお産みになった伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)という、神号が一文字だけ異なる夫婦神

 しかし伊邪那岐命と伊邪那美命はそもそも兄妹としてご誕生になります。

 兄妹が夫婦になるのは現代ではあり得ないですが、あえて「禁断のカップル」が神話に登場し、しかも古事記で「二霊群品の祖」、つまり万物の祖と表現されるのにはどのような意味があるのでしょうか?

 これまでの人付き合いの経験から、仲の良い夫婦や長年連れ添った夫婦は表情が似ている印象がありますが、一般的に顔が似ている男女は、親、両親を同じくする兄と妹、姉と弟ですし、従兄弟・従姉妹の場合もあるかも知れません。

 また前世を視ることができる人などからは、夫婦や兄弟姉妹は前世でもお互いに一つの家族だった例が多く、そういう前世からの縁によって、現世でも多少立場が変わりながら同じ家族になっているという話が聞かれます。


 そういう能力など私にはありませんが、伊邪那岐命と伊邪那美命の兄妹が夫婦として国土や神々をお産みになる神話からは、前世の人間関係が現世に反映される魂のご縁の法則のようなものがやはりあるのではないか?と考えさせられます。


 他にも兄妹や姉弟の神々は多く、中には伊邪那岐命と伊邪那美命のように新たに神産みをなさる神々もいます。

 その中のやはり神号の言霊が一字違いの速秋津日子神(はやあきづひこのかみ)と速秋津比賣神(はやあきづひめのかみ)は、「龍神考」でも取り上げてきた天之水分神(あめのみくまりのかみ)と国之水分神(くにのみくまりのかみ)など、やはり神号がよく似た八柱の神々をお産みになります。

 また神号はまったく違う兄妹、山の神の大山津見神(おおやまつみのかみ)と野の神の鹿屋野比賣神(かやぬひめのかみ)も、天之狭土神(あめのさづちのかみ)と国之狭土神(くにのさづちのかみ)など神号がよく似た八柱の神々の両親です。

 私たちが最もよく見聞きする天照大御神と須佐之男命は姉と弟で、神号はまったく違いますが、心の潔白を証明する「誓約(うけひ)」の結果、宗像の三柱の女神と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと:天孫の父)など五柱の男神がご誕生になります。

 こうしてみると、日本の神話や信仰思想が、親子や兄弟姉妹の因縁も鑑みた人類や自然界の実相を精緻に観察した上で編み出されてきたことが窺えます。

 ならば、「日本の信仰は自然崇拝」とお題目を唱えるだけで終わらず、神話などの展開や表現を細かくみていくことで、日本の信仰思想の普遍性に気づいていくことになるのではないでしょうか?


「雨」=「立」=「雷」

 さて、冒頭の「竜」の下部「日+乚」は「隠さた幼い・若い太陽」という解釈の他、「申」=「雷光」の象形であることも「電」の成り立ちを調べて知りました。

「電」と「竜」を比較すると、「日+乚」=「申」が共通していますが、「雨」と「立」もほぼ同義になりうることに、今回の執筆を始めて気づきました。

 朝夕の急な雨を「朝立(あさだち)」、「夕立(ゆうだち)」ということを思い出したからです。

 そこで改めてこれらの言葉を調べてみました。


 ウィキペディアの「夕立」の記事の中で特に興味深いのは、『広辞苑』(5版)の「夕立」を典拠とする次の一節。

ただし一説に、天から降りることを「タツ」といい、雷神斎場に降臨することを夕立と呼ぶとする[1]

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「夕立」より

 まず「天から降りること」自体を「タツ」と謂うことは、冒頭に記したように、「竜」の一文字が「天孫降臨」を象徴するとの結論に相通じるものがあります。

 次に「雷神が斎場に降臨することを夕立と呼ぶ」ことは、天孫邇邇芸命が雷神の猿田彦神が雷光で示す道筋に沿って降臨されたことから、地上に降臨されるときの天孫を「若い春の太陽」と「雷」が一体化したものと同一視してきた、これまでの考察とも合致します。

 これはあくまで「夕立」の記事の中の一節ですが、「朝立」についても同様だと思います。

 しかも「夕立」は夏のにわか雨ですが、「朝立」は季節に関係なく早朝、つまり東方に朝陽を拝む時間帯のにわか雨ですから、春の早朝のにわか雨でも「朝立」と表現できます。

早朝に発生するにわか雨を「朝立」と呼ぶこともあるが、夏特有の現象というわけではなく、単純に早朝に発生するにわか雨のことを指しているだけで、あまり使用されない言葉である。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「夕立」より


 すると、奈良の猿沢池の西側や池に浮かべた舟から東を望むと、御蓋山や春日山に昇る朝陽と、それを囲んで守るような雷雲や雷雨=朝立があったことが、「天孫(春の太陽=春日)」が春日の地主神で雷神の猿田彦神の道案内された「天孫降臨」神話の背景にある自然現象と考えられないでしょうか?

 この自然現象は、神護景雲二年(768)に春日の御蓋山に降臨された雷神武甕槌命への信仰にも継承されたと考えられます。
 
 こうしてみると「朝立」、「夕立」の「立」は「雨」の意味になり、「竜」は「立」を「雨」に置き換えると「電」になり、空中の電気は「雷」、そして前述の『広辞苑』のとおり「雷神」が斎場に降臨することが「タツ」、と繋がります。
「立」=「雨」→「竜」=「電」=「雷」→「雷神の降臨」=「タツ」

「タツ」の言霊と「竜」の字霊が統合する「雨」と「雷」と「春の朝陽」の一筋縄ではいかない結び=「産霊(むすび)」が「天孫降臨」に感じられます。


夕立と博多総鎮守櫛田神社の拝殿の兎(中央上)、雷神(左)、風神(右)、龍神(中央奥)の彫刻(2019年9月)


棒と円形の組み合わせ

 上の写真の夕立の雨は無数の水柱が立ったように写りましたが、雨粒は長い棒のように落下し、草木の葉に付着して玉のような形をとることもあります。

 この点に注目すると、細長い身体で球形の宝珠を持って地上と上空を行き来する昇竜・降竜の図像を連想させます。

先端が丸まって細長く尾を引いて降りてくる竜雲(福岡市東区和白丘の竜化池の上空、2023年7月18日朝)



 竜の細長い身体と球形の宝珠は、棒と円の組み合わせと謂うこともできます。

 このように一旦抽象化してみると、神前の左右に飾られる真榊の短い刀剣と鏡も棒と円の組み合わせであることが思い出されます。


 棒は男性性、円は女性性の象徴とも連想できます。

 ただし、鏡の方には勾玉を連ねた輪も一緒に掛かっています(画像は下記サイト『神棚・神具 やまこう』参照)。


 これは博多総鎮守櫛田神社の御祭神でもある天照大御神と須佐之男命の「誓約(うけひ)」において、天照大御神は須佐之男命の剣を三つに折って噛み砕いて吹き出した霧から宗像三女神が現れたこと、次に天照大御神が身に着けておられた勾玉を須佐之男命が噛み砕いて吹き出した霧から天忍穂耳命を始め五柱の男神が現れたことと関係があるでしょう。

 天照大御神の御神体は鏡と云われますが、「誓約」で須佐之男命が天照大御神から受け取ったのは鏡ではなく勾玉だったのは重要な点です。

 勾玉自体が、丸い球形のものと棒状のものが合体したもの、言い換えると男性性と女性性がすでに一緒になっているものだからです。

 天照大御神=男神説を唱える向きもありますが、「太陽」と謂う表面的には陽性=男性性が強調される神格が、日本神話であえて女神天照大御神とされてきた理由について、今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか?

 
 棒と円・球の対照的な組み合わせは日本の信仰思想において重要な要素であり、この点で神道も仏教も変わりありません。

 福岡県糟屋郡新宮町・久山町と福岡市にまたがる立花山には、唐から帰朝された最澄(伝教大師)が日本で最初に開いとお寺とも伝わる天台宗立華山明鏡院独鈷寺があります。



 ここは、最澄が現在の古賀市の花鶴(かづる)が浜に上陸、天台の法を広めるのにふさわしい地を探すべく、独鈷(とっこ)と宝鏡を虚空に投げ、それが発見されたと云う「伝説」の地(寺宝の独鈷と宝鏡の画像は上掲サイトを参照)。

 今回詳述は避けますが、花鶴が浜から独鈷寺まで5kmほどありますので、これを「史実」と言うには無理がありますが、むしろこういう「非現実的な伝説」こそ、「迷信」と切り捨てずに、このような「伝説」が生まれた信仰思想上の背景を改めて考える必要がある点だけ指摘しておきます。

 その背景は実は多岐にわたりますが、ここでは独鈷と宝鏡という細長い棒と円形のものがセットになっている点だけ強調しておきましょう。

 また江戸時代の筑前は黒田家が治めることになりましたが、江戸幕府への献上品に選ばれた博多帯に入れる柄も、棒状の独鈷と円形の華皿という仏教の法具を象ったものであり、「献上柄」と呼ばれています。


日本=独鈷=天照大御神

 黒田日出男著『龍の棲む日本』(岩波新書、2003年発行)には、中世日本では国全体を「独鈷」とする見方があったことが詳述されています(Ⅰ 行基式〈日本図〉とは何か:14頁〜52頁)。


 これは、龍関連の文献としてとてもオススメの名著ですので、ご関心のある方は同書を実際に読んでいただくとして、ここでは当時の日本人が自国をどうイメージしていたのか、本稿と関係する点だけ整理して箇条書きにします:

日本は独鈷の形

②「五畿七道」の「五畿」は「玉の国」「七道」は「天照大神の国」
*「七道」は「五畿」(今の奈良県、京都府中南部、大阪府、兵庫県南東部)を除く本州+四国+九州

③伊勢の内宮(天照大神)の社形は独鈷の形、外宮(豊受大神)の社形は八葉蓮華の形

④伊勢の神宮の心の御柱(社殿の床下に立つ柱)も独鈷

⑤イザナギ・イザナミの国生みに用いられた天瓊矛(あめのぬほこ)も独鈷

⑥天瓊矛が投げ下ろされた日本の海底にある大日如来の印文(=三輪の金光)も独鈷

日本=独鈷杵(とっこしょ)、震旦(中国)=三鈷杵、天竺(インド)=五鈷杵

 これだけ抽出、列記しても何のことか分からないと云われるかも知れませんが、それぞれについて詳しく書いていくと、とても今回の記事には収まりません。

 ごく大まかに中世日本の信仰思想に基づく国土観をイメージするためのメモとして、受け止めてください。


 とにかく一言で表現すれば、「日本の国土=独鈷」なのです。

 上記の中でまず注目されるのは、③の伊勢の神宮の内宮(天照大神)は独鈷、外宮(豊受大神)は円形に近い八葉蓮華としてイメージされている点です。

 これは、②の畿内「五畿」が「玉の国」とされる一方、「七道」が「天照大神」と考えられていたことと対応すると思います。

「七道」は「五畿」(現在の奈良県、京都府中南部、大阪府、兵庫県南東部)を除く本州、四国、九州……すなわち当時の謂わば「首都圏」を除く全国を意味します。


 ⑥天照大御神の本地仏、大日如来の印文=象徴も細長い独鈷であると観念されたことにも合致します。


 天照大御神の象徴は円形の鏡というイメージが現代は強いと思いますが、中世においてはそうでなかったのが興味深いです。

 前述の「誓約」でも天照大御神の鏡ではなく、円形(球形)と棒状の勾玉から天忍穂耳命を始め五柱の男神がご誕生になりましたので、天照大御神=太陽の女神=円形の鏡というイメージに囚われてはいけないのでしょう。


 こうしてみると、冒頭に触れた「竜」の下部である「日+乚」または「申」も、丸い太陽=「日」と細長い「乚」や「|」の組み合わせであることに気づきます。

「竜」と謂う字がますます奥深いものに見えてきますが、一般的に「龍」の略字とされるこの奥の深い字は、なぜか現代の中国や台湾ではほとんど知られておらず、廃れて久しいようで、日本でしか使われておらず、むしろ「日本の字」と思われているのが実情のようです(詳細は下記サイト『三省堂 ことばのコラム』参照)。


「竜」がなぜ日本にのみ残っているのか分かりませんが、太陽の女神天照大御神を勾玉や独鈷で象徴してきたわが国には、現代も「竜」が生きています。

独鈷のように細長く伸びる朝陽の金光(福井県小浜市若狭遠敷の方向から昇る2016年3月2日7時過ぎ)

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