源平藤橘 ~日本人の先祖はみなこの4氏って本当?!~

 みなさんこんにちは。苗字研究です。

 先日も苗字調べをしている依頼者の方から、「日本人って、先祖はみな源氏か平氏にいきつくって本当ですか?」という質問がありました。これに関して一般的には「源平藤橘」の4つの氏にいきつく、という話もよく聞きます。

 実際にルーツ探しをして、これまで1000件近くのおうちのご先祖さまを探してきたわけですが、そこで出た答えは

『かならずしも、源氏・平氏・藤原氏・橘氏に行き着くわけではない』

ということがまず、ひとつあります。しかしながら、それは単一の苗字に注目するからそうなるわけで、お父さん、お母さんで2氏、両親それぞれのおじいちゃん、おばあちゃんまでで4氏もしくは3氏、とカウントしてゆくと、私達の先祖は「無限に近いくらいの氏族が関わりあっている」ことがわかります。

 その中には、おおむね

「源氏か平氏、藤原氏」がどこかで繋がっている

くらいのことは言えると思います。(橘氏は、もともと数がごく少ないので、ちょっと除外しておきます)

 源氏というのは、天皇の子供、もしくは孫が臣籍降下して、家臣となったために姓を得たものです。平氏は天皇の孫以降の人たちとされています。

 藤原氏は、教科書でもおなじみの「中臣鎌足」が大化の改新の功績で「藤原」姓を得たものです。鎌足のこどもの「藤原不比等」という貴族がいますが、彼がのちに結婚した女性が「橘三千代」という女官です。

 橘三千代は、もともと県犬養三千代と言いましたが、天皇から直接「橘」の姓を賜りました。ところが、三千代さんには、最初の結婚で生まれた子供たちと、再婚である藤原不比等との間に生まれた子供たちがいることになります。このうち、再婚以前の子供たちが「橘」氏を継ぎ、不比等との間に生まれたこどもは当然「藤原」になりました。

 (このあたりに、未来の日本がもし夫婦別姓になるなら、子供たちはどうしたらいいのかみたいなヒントがあるような気もします)


 さて、面白いことに現在「藤原」さん、「源」さん「平」さん、「橘」さんは、日本にいることはいますが、「それほど多い苗字ではない」ことにお気づきだと思います。

 源さんなんかは、私でもドラえもんのしずかちゃんくらいしか知りません。(←実在じゃありません)

 これまた一般論として「藤原」という苗字の人は、藤原氏の子孫ではない、なんて俗説もあるくらいこれらの4氏はそのままの苗字が残っているわけではないのです。

 なぜそうなったかというと、源平藤橘の子孫はそれぞれ日本中に散らばりましたが、その行く先々で「自分の領地となった場所の地名を、新たに自分の苗字にした」ということがあるからです。

 そのため、日本の苗字の9割以上は、「土地、地名に由来する」ものになっています。でも、それぞれの氏族は、本来の姓は、別のものを持っていたということですね。


 苗字や氏族というのは、歴史学の中でも異端扱いで、「その時代の物的証拠が少なく、言い伝えや伝承しか残っていないので捏造ができる」ということで、まあまともな歴史学からは相手にされていません。

 しかし、個人的には、苗字調査を進めるうちにそれぞれのおうちが「元は源氏だ」とか「平氏だ」という伝承を持ちながら、あるいは時に「系図を捏造してでも、よりよい立場に就こうとした」「よりよい家系に見せかけることで、生き延びる努力をした」という意味では、その伝承は尊重すべきものだと思っています。


 最近、これも個人の見解ですが、私は苗字調べで

もっともっと恐ろしいこと

に気付くようになりました。その”恐ろしいこと”というのは次のような仮説です。

『もしかすると、昔々の時代を遡ればさかのぼるほど、いわゆる一般的なふつうの人たちや”庶民”と言われるような人たちは、実は途中で子孫を残せず、絶滅しているのではないか?』

ということです。

 なぜ、そう感じるかと言うと、苗字の歴史は没落の歴史でもあるからです。

 源氏、平氏、あるいは藤原氏といった天皇の直接の子孫や、貴族だったものが、どんどん「自動的には食べられなくなってゆく」のが日本の歴史です。なので、地方に散らばって官人(公務員)をしたり、荘園の管理者として仕事をして食べてゆきます。あるいは武士になって、戦いという労働をして領地を得てゆくわけです。

 そうなると、現在田舎で土地を持っていて、農地を耕している人たちは、実は「ただの庶民」ではなく、「土地を開発し、開拓し、領地とした武将たちの子孫」であることがわかります。

 もとを正せば皇室や貴族から出て、長い年月の間に各地に根付いていったのが日本人の多くだということです。


 逆に、江戸時代の江戸にいたのは、多くの地方から出てきた成人男性でしたが、その多くは子孫を残さずに死にました。しかし、地方からは、土地を相続できない次男や三男、あるいは女子が江戸や大坂の町に人口として供給され続けたのです。

 現在、都市で派遣社員をして結婚できずに、子孫を残さず死んでゆく庶民が多いように、中世から江戸時代にかけて「庶民」の多くは実は数世代をかけて淘汰されている可能性が高いのです。

 そうすると、次に供給される「庶民らしきもの」はかつての何世代か前は土地持ち領主であった貴族の末裔、ということになります。

 これを繰り返すと、日本人というものは

「卑弥呼の時代から庶民だった人たちの末裔が、現在も生きている」

のではなく、

「かつては貴族だったものの子孫が、没落を繰り返しながら庶民を生産し続けている」

のだということがわかるのです。

 恐ろしいことながら、庶民は途中で消えてゆく

のが、歴史の真実なのかもしれません。


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