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鬼滅の刃、とあなたのご先祖さまのお話


 鬼滅の刃、という漫画・アニメが大流行していて、こどもから大人まで鬼滅一色という昨今ですが、ちょっとおもしろい記事を発見したのでご紹介します。


https://www.gentosha.jp/article/16882/


 元ネタは山口真由さんという方が「鬼滅の刃」の映画に感動した点ということで「家族」「家」に注目して書かれた記事なのですが、ここでは

◆ 鬼は個人の能力を高めることを主眼としている

◆ 鬼滅隊や映画の主役である「煉獄杏寿郎」は”家”的な価値観を生きている

という違いに注目されていました。


 山口さんは法律家で、特に「家族法」というものを研究しておられる方だそうですが、アメリカの個人主義との対比として鬼滅における「家」の価値観に気付かされたのだとか。

 たしかに、そもそものスタートからして、「家族を殺された炭治郎が妹を守る物語」なのですから、鬼滅の刃は「家と家族の物語」と言っても過言ではありません。

 そこに鬼殺隊という「武家的疑似家族」が加算されるわけで、いい意味でも悪い意味でもこの漫画は「封建的時代」を彷彿とさせるものとなるわけですね。


 山口さんが感動したポイントは、「欧米的な個人主義」に対しての「家主義」「共同体主義」がいかにも日本的で、(それがいいか悪いかは別にしても)一種の懐古的な理想像のひとつである描き方をしている点ということになるのでしょう。

 もちろん山口さんは研究者ですから、冷静な視点における「煉獄さんのお母さんはどうなっているのか」(妻や母の立ち位置)なんて疑問も付け加えておられるのは流石という部分でしょうね。


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 さて、私も、実は親がキリスト教に傾倒していた時代があり、山口さんが述べられているような欧米的個人主義の概念が体験的によくわかります。

 つまり、「神様とわたし」という個人的関係がキリスト教では存在していて、ゆえに家や集団よりも個人が重視されるという感覚が理解できるのです。

 一方で、現在このnoteでも書いているように、先祖やルーツ、そして「家」というものを研究しているわけですから、まさに鬼殺隊の精神ともいうべき

個人は死んでも、思いや使命は残る

という部分を探っていることにもなるわけです。


 江戸時代の史料をまさぐっていると「軍記物」というおもしろい書物がたくさん出てきます。その内容は主に戦国時代にそれぞれの戦国大名や武将たちがどんな戦いをしたのか、ということが記録されているものなのですが、戦国時代が終わって江戸時代になってから書かれているものが大半なので、同時代史料としては、二級品となってしまう代物です。

 歴史学者からすると、その時代に書かれた一次史料が最高で、後代になってから書かれたものは、誤りなども含んでいるし、そもそも事実かどうかわからない部分があるので信頼性が落ちると考えます。

 一次史料というのは、その当時に武将が誰それに当てて書いた手紙が残っているとか、あるいは貴族の日記に日々の記録としてその話が出てくるとか、誰かの作為を持って創作できないような、平凡だけれど生々しい記録を指します。

 それに対して軍記物などは、「誰かの明確な意図を持って書かれており、事実がゆがめられていたり脚色されている」ことがあるので、注意を持って取り扱うこととされているわけですね。

 さて、そうした史料の性格はさておき、軍記物にはたくさんの登場人物が出てきます。それはもう、ものすごい数の人名が出てきて、味方だけでなく敵方についても戦いの折に誰がどうしたとか、誰それがどこで功績を上げたとか、誰それが討ち死にしたとかなど、こと細かに書かれているわけです。

 なぜこの軍記物が面白いかというと、歴史学者から見れば、「大物戦国武将が、どのようにこの戦いをせり合ったのか」ということなどがわかるからですが、ルーツ探しの面から見れば、「微妙で無名のモブキャラがどこでどうしたか」がわかるからハマるのです。

 モブキャラ、そう!戦国時代には大物である戦国大名もいれば、側近である馬廻り衆などの主要武将、そして、名も無き足軽・雑兵もいますが、その中間くらいの「名前だけ出てくるほぼ無名の武将」みたいのが山ほどいるわけです。

 ところが、その、ほぼ無名だけれど、「臨時雇いの足軽で、かつ名前すら記録に残らない人たちではないレベル」のモブ武将たちが、先祖探しにはとても大事です。

 たとえば、軍記物に「誰それなんとか太郎兵衛」がどこそこの戦いで東門を守っていたが、討ち死にした、みたいなことが書かれているとします。

 それから何代もあとに、その藩の藩士に全然別の人物「ほにゃ左右衛門」がいて、「先祖は、誰それなんとか太郎兵衛である」みたいなことが一行だけ書かれていたりするのです。

 そうすると、ルーツ探しにおいては、「ほにゃ左右衛門」の子孫が今のなんとかさんたちであり、彼の先祖は江戸時代は藩士で、戦国時代はいち武将であったということがわかるわけですね。

 おもしろいのはここからで、実はほにゃ左右衛門がその藩の藩士として仕えている理由は「太郎兵衛があそこで討ち死にしたから」だったりするのです。

 どういうことかというと、江戸時代は封建社会で、子に身分が継承されてゆきますから、仮にもともとの太郎兵衛が雑魚クラスだったとしても、

「なんとかの戦いで主君を守るために立派に戦い、そのおかげで主君は命が守られた」

なんてことがあると、太郎兵衛は「その功績で子孫が末代まで家臣に列せられる」なんてことが起きるのです。

 さらに面白いことに藩は定期的に藩士に対して「由緒書」というものを提出させており、 

「そもそもお前はなんでうちの藩におるねん。どういう経緯で家臣として給料をもらっているねん」

ということを問うのです。そりゃあ200年以上藩が続いていると、その職員がなぜ採用されたかなんて、後のほうではわからなくなっているのですね。

 そこで藩士は

「うちの先祖は誰それ太郎兵衛というもので、なんとかの戦いの時に藩主さまの先祖である初代を守って討ち死にしたので、それより子供の代より△△石の藩士として採用されております」

みたいなことを上申するのです。

 そして、その確認のために軍記物が役立つ、というしかけです。


 現代社会の「個人」の観点から見れば、戦国時代の先祖の功績で社員、職員の身分がもらえるというのは「意味がわからない」ことですが、封建社会ではそれが当然ですから、逆にだからこそ

「お家(いえ)が大切」

という感覚になるのですね。

 武将の方からみても、自分が死んでもその働きが認められるくらい活躍すれば

「子孫は安泰である」

ということはわかっているわけです。だから心置きなく戦え、かつ死んでいけることになります。まさに煉獄さんの考えと同じです。

 さらに面白いのは戦国時代から江戸時代、そして明治ごろまでの「家」というのは、血統や直接のこどもたちを繋いでゆくリレーではありません。ほぼ99.9%すべての家で「養子」を取って継いでいます。藩士・武士はかならずといっていいほど養子が入っています。

 なぜかというと、そうは都合よく男子ばかりが生まれないということもあるでしょうし、それ以外におそらくは「その役目に自動的に子孫がつく」ということの弊害を調整しようとした面があるようにも感じます。

 つまり、あまりにも役目にふさわしくない子弟がその家にいる場合は、よそからふさわしい人物を養子としてひっぱってきて、人物重視で入れ替えるということがあったのではないか?とも思えるわけですね。あるいは同クラスの藩士同士の家で、役職をどん突きで入れ替えるような動きもあったかもしれません。

 ということは、「家制度」は封建的であることは事実ですが、それがすなわち現代人がイメージするような「家族のつながり」を意味するものではないところがミソです。

 それよりも「家」というハコを継承するということは、なにか「テーマ」を継承するような、「主題・使命・意義」がつながってゆくような、そういう類のものなのです。

 だからこそ煉獄さんのように「鬼殺隊」の使命は、個人が死んでも受け継がれるんだ、という観点に近いわけですね。


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 話が長くなりましたが、このように「家」を守るということは、センチメンタルな「家族は仲良くしようね」というものとはちょっと違う面もあることを知っておくことは大事かもしれません。

 戦後の日本が「会社」という共同体を作って、それを擬似家族としてある程度うまく機能させたのは、そうした側面があったのかもしれません。

 それに対比して、これから個人主義の時代がもっともっと進んでゆくのだとすれば、人々はいっそう

鬼になる

のかも、なんてことも想像しちゃったりして・・・。

(おしまい)




 

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