「そういう人」になりたくない

月曜日の18時。駅のホームでは電車の音と「電車が来ます」という音しかないから好きだ。と思いながら改札を通ろうとしたら男性の怒号が聞こえてきた。「あ、怒号」だと思って音がした方を向くと30代半ばぐらいの男性と50代後半ぐらいのスーツ姿の男性が駅員さんを挟んで言い争いをしていた。

断片的にしか会話は聞こえなかったが「この人がカメラで私のことを撮っていた」「証拠を収めようとして」「こんなこと犯罪ですよ」という物騒な言葉が普段は聞こえないような人間の怒気を含んだトーンで耳に飛び込んでくる。

多くの人は迷惑そうにその人たちを避けて改札を通って行くが、こういう時「何か面白い事が起きるかもしれない」と思ってじっと見てしまうのは僕の悪いところかもしれない。実際こうやってnoteに書いてしまっている。とはいえ、事の顛末を全部見届けたところで何も残らないだろうしこの後人と会う予定もあるので僕も改札を通ることにした。「外で物凄く言い争いをしていた人たちがいた」という記憶だけを残して。

生きているとこういう事が多々ある。バイト中何が気に食わないのかずっと横柄な態度をとる客とか、池袋で警察官に囲まれながら怒鳴り散らす若者とか、そういう人たちを見る度に僕はその人たちを「そういう人たち」だとカテゴライズして、僕の記憶の中で「そういう人たち」として一生残り続ける。誰かに話す時も「この前こういう人がいて~」と話す。そうするとその話を聞いた人も「そういう人がいたんだ」と記憶することだろう。

しかし、当然ながら駅のホームで言い争いをしている人は、一生「駅のホームで言い争いをしている人」ではない。今までの人生があってこの後も人生は続いていく。そのことをふと考えた時になんだかすべての人間が怖く思えてきた。

今は阿佐ヶ谷のスタバでこのnoteを書いている。隣の席にはスマホをいじっている男性や何かをメモしている女性やお客さんに笑顔を向ける店員さんや仕事の話をしているスーツ姿の人たちがいる。今、僕にとってその人たちはただの「同じ店内にたまたまいる人たち」である。関係性で言ったらRPGに登場する村人と同じぐらい、自分の人生とはかかわりが無い。僕はそういう人たちを本当に村人だと思ってしまう瞬間がある。生きているのか死んでいるのかわからない、本当に自分と同じ人間なのだろうかと思ってしまうのだ。

でも、全員当たり前に人間なのだ。僕と同じように朝起きて昼にはお腹が空いて学校に行ったり仕事に行ったり、日々の中で楽しい事や悲しい事を何度も経験し、心をかきむしられるぐらいの恋愛をしているかもしれないし、明日に絶望して死のうと思っているかもしれないのだ。

周りの人間が僕と同じ”人間”だという事を普段考えないようにしているのは、周りの人の人生を常に考えていたら頭がパンクしてしまうからだろうか。「怒っているけど嫌な事でもあったのかな」とか「この後家では家族が待っているだろうか」なんて、街ですれ違う人すべてに思っていたら自分の事を考える暇もなくなってしまうかもしれない。だから、人は(少なくとも僕は)自分と関わりが無い人を「そういう人」とひとくくりにして深く考える事を放棄するのだろう。それは正しいとか正しくないではなく、そういう事をしなければいけないのだと思う。

しかし、僕がそう考えているという事は僕も他人から見たら「そういう人」だと思われているという事だ。僕もこのスタバの隣の席の人から「古いパソコンで何か文章を書いている人」だと思われているはずである。その人にとってその後の人生においても僕は「そういう人」となりそれ以上でもそれ以下でも無くなる。つまりその人の人生に何か価値を持って生き続けることが無くなるという事だ。

非情に烏滸がましい事かもしれないが、僕はそれが、すごく嫌だ。全国民に認知されたいとかそういう大きい事を言っているわけではないが、僕は僕と言う人間を多くの人の心の中に、確かな実感を持って存在させて欲しい。

別に外を歩いている時にすれ違った人にこう言っているのではない。例えばお笑いライブや例えば僕の文章を見た人にそう思って欲しいのだ。

お笑いライブで僕を一回だけ見て「名前は思い出せないけど一人でコントをしていた人」とか、noteのタイトルだけを見て「芸人でなんか文章を書いている人」とか適当な「そういう人」で終わってほしくない、終わらせたくないという気持ちが非常に強くある。わがままとか身の程知らずとかそういう事ではなく、お笑いと文章で生きて行きたいと考えている人間にとっては当然の考えかもしれない。でも、これほど「そういう人」で溢れている人生の中で名前と価値を持って生き続ける事がどれほど難しいことか、という事もわかります。

でも、それでも何とかして人の中に残り続けたいという気持ちが消えないのです。僕が死んだ後誰の心の中にも残らない、という未来に対する恐怖かもしれないし、「自分は何者かになれる」という確証もない高校時代からの考えの延長かもしれない。根源はどうあれ、今僕はそう思って生きているし、「このままじゃ終われない」という気持ちで生きている。なので、これを読んでいるあなたに僕のネタを見てほしいし僕の文章を読んでほしいし、僕が生きている姿を見てほしい。そしてできれば心の中で生き続けさせてほしい。「そういう人」にならない為に生きていきたい。


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19時15分開場 19時30分開演
(21時終演)
阿佐ヶ谷産業商工会館第一集会室
料金1000円

町ルダさん / 浦野タツヤ / 竹内ズ / 春とヒコーキ / ぎょねこ / レッドブルつばさ他



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