夜の日記

ネクライトーキーの「オシャレ大作戦」をもう何十回と聴いているのに、その何十回目かで泣きそうになったのはそういう日だったのかそういう感情だったのか。タイミングによって普段目にするものや耳にするものの捉え方が変わってしまうのは面白くもあるし恐ろしくもあると思う。

6時に起きた割には活動的だなと思ったのもつかの間でお昼ご飯を食べたら身体からあらゆる力が抜けてしまって、アマゾンプライムビデオでいろはに千鳥を見てただ笑うことしかできなくなってしまった。こういう時ただ笑えるものがこの世にある事にすごく感謝している。純粋な笑い以外のものが必要ない瞬間なんて山ほどある。

とはいえ自分でも自分のお笑いを作らなければいけない。お金がないのでもうドトールにも気軽に行けなくなってしまった。家でノートを広げる。ノートに必要な事柄を書いていく。「新ネタ」「感情」とだけ書いて完全に止まってしまった。なんだか毎日思うことが多すぎて、無意識のうちにお笑いのネタにそれを組み込もうとしてしまう癖があるのだけど、見ている人は知ったこっちゃないのだから純粋に笑えるやつだけを作ればいいのだ、なんて考えると何も作れなくなってしまう。そういう思うことを放出するために文章を書いているのに全く意味をなしていないのはどういうことだ。管轄が多分違うのだろうか。どちらか片方だけ満たされれば満足という事も無い気がする。

そういうグダグダ考えるけど、でも、譲れないものと他人が見てもめちゃくちゃ面白いと感じるものが奇跡的に重なり合っているネタが本当にたまに出来上がる。人はきっとそれを勝負ネタと呼ぶのだろう。今までの人生でネタを何個作ったかも覚えてないが今のところ1、2個しかない。もっと作りたい。

夜になると本を読みたくなるし本を読むと文章を書きたくなる。お付き合い頂きありがとうございました。文章のお仕事がしたいです。


頂いたサポートでドトールに行って文章を書きます