核酸は踊る

突然だが、わたしと妹は全く顔が似ていない。どの辺が似ていないのかと言えば、まったくどこも似ていないので本当に似ていないのである。目がぱっちり大きく、ときどき美人と評されることもある妹に比べてわたしは常に眠そうと評判であり、そのくせ寝付きが悪いので困ったことである。

何の話か。遺伝子の話である。

Prettybwoy「Genetics EP」は、彼の中国のレーベルSVBKVLTからは2枚目となるリリースである。ホントはさん付けで呼ばなければならない先輩であるが、この場の文章ということで敬称略とさせていただきたい。レーベルや彼自身の背景に関する簡単な説明についてはこれまた先輩の米澤慎太郎氏によるele-kingのレビューが詳しいのでそちらに譲ることとする。一言で言うと「日本のグライム/ガラージシーン(ここでは「グライム/ガラージ」を明白に分けないほうが面白いものが出てくるのではないか、という彼の過去のインタビューでの発言を尊重してこういう表記にしておく)における重要人物が新譜を出したぞ」ということである。

最初っから話を混ぜっ返すようで申し訳ないが、グライム、ガラージ、2ステップ。まあどういった呼び方をしたって構わないのだけれど、このEPを先入観なしに一聴してそういった用語群をパッと思い浮かべるのは簡単ではない。シャッフルした裏拍のハイハットもなければ、竹を割ったようなクラップが2,4拍目に律儀に鳴るわけでもない。R&Bのソウルフルなサンプリングのモロ使いもなければ、弾むようなオルガンベースも鳴らない。煙たいダブ・サウンドでもなければ、「オイお前、今こっち睨んだだろ、殴るぞ」みたいな早口のラップも入っていない(グライム的不良観が貧弱過ぎる)。代わりに鳴っているのはネオン・カラーのつやつやしたシンセサイザーであり、ノイズのような、もしくは金属質な、またはグリッチ・サウンドのようなハイハットと、それにかかった8メートル四方の部屋を思わせるリバーブであり、重力を失ったような、それでいてグリッドに沿った四角さも感じさせるドラム・パターンであり、それから聴き手に脳震盪を起こしぶっ倒させんばかりの低音である。

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ジェネティクス、遺伝学。メンデルの法則を学校で習った人も多いかと思うが、ワトソンとクリックの2重螺旋の発見以降(なおこの発見に関してはいろいろとゴタゴタがあった、という話を最近本で読んだ)、その範疇はミクロの世界へと到達している。本作のアートワークは王新一(Wang NewOne)によるものだが、被写界深度を浅くとった顕微鏡写真のように見えるところが興味深い。真ん中に映る植物の根のような物体には数本の芽が生えているが、これは見ようによっては動物の足のようにも見えるし、右下には神経を無数に生やした脊椎のようなものも見える。発生途中の胚。遺伝子の本領発揮の舞台でもある。「動的平衡」を保つ存在である生物は受精卵の頃から死ぬまで常に遺伝子の制御下において変化を続け、ついにはテロメアによって寿命を迎えるが、発生途中の胚の状態にある時、その変化は最も大きく花開く。

先程遺伝学はミクロの世界に到達した(大昔の話である)ことを書いたが、ミクロの世界とは擬似的な無重力環境でもある。空気中に埃が舞うように、もしくは水中にプランクトンが漂うように、細胞が分裂する際に、DNAの二重螺旋構造が複製のために解かれる時、そしてもう一度構成される時、その動きはほとんど重力の影響を受けていないようにみえる。足もとがぐらつき、ついにはふわりと浮いたような感覚。それはM2「Shadow Riddim」の落とし所を見つけられず(だってどこにも落ちないのだから!)永遠に16ステップの上をさまよい続けるスネア・ドラムのようであり、もしくはサウンドシステムで出力された超低域ベースがナイキのエア・マックス'97を床ごと揺らしたときのようでもある。M4「Footstep Flying」でのアタックの遅いサブベースがそうであるように。

そうしてM5「Outro Hello」で、ついに遺伝子によって形造られた構成体は重力の支配する世界に産み落とされる。顕微鏡世界からのOut、そして4拍目に置かれたフロア・タムが発生させる重力。伝統的なダンスのための音楽としてプログラミングされた遺伝子の"ハロー・ワールド"。ピアノのハンマー、フェルトと鉄が衝突する音。

Massacooramaanのリミックスが最後に配置されたのはおそらく「リミックスであるから」という理由であろうが、しかしこのバンガーなトラックがこの位置にある意味を敢えて見出そうとするなら、これもまた重力世界のありようなのではないだろうか。ヘッドバングに必要なのはなによりも僕らの身体と、それを支配する重力なのだから。

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伝統的なガラージやハウスに比べてこのEPに収録されているトラックたちが「踊りやすいもの」であるかといえば、そうは言いづらいかもしれない。無重力にわたしたちは慣れていないし、つぎつぎに予想しない展開が待ち構えている。しかしそれでも、エフェクトによって少しずつ形を変えるハイハットが、弾むようなキックが、なによりも超低域の、身体全体を揺らすベースが、わたしたちの遺伝子に命じるのは、これまでのダンス・ミュージックのそれを継承し、ただ「踊れ」ということなのだ。このEPは進化し続けるダンス・ミュージックの生態系に発生した遺伝子の突然変異であり、同時に我々の「ダンス」への挑戦なのではなかろうか。

まる。

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