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『今にも削除したくなるような自分語りを :エピソード3 ミリアッシュ設立』

 気温も天気も覚えていないが、場所はドトールコーヒーショップ半蔵門店だった。まだ暗くなる前の、薄暮だった。
「杉さん、一緒に会社やらない?」
 制作部の部長である杉山に向けて、竹谷は話していた。何か意を決した風でもなく、自然に言葉が出ていた。いや、そう装っているだけで、コーヒーカップを持つ手は少し震えていたような気もする。
 しかし、反応だけの人生はもう、終わらせたかった。震えは、自分で物事を決めた反動だったのかもしれない。
 杉山はよく笑う男だが、この時も笑った。
 この数か月後、株式会社ミリアッシュは生まれる。


 毎日、一日中ずっとゲームをして生きていければ、どれだけ幸せだろうか。
 竹谷が第二新卒として、ゲームイラスト制作会社へと入ったのは、2013年の春だった。入社するまでの1年間は、ニートをしていた。
 働こうと思った理由は次にほかならない。新卒時に蓄えた貯金残高がなくなったからだ。お昼にゲーム『Dragon’s Dogma』をして、夕食後にゲーム『メルルのアトリエ ~アーランドの錬金術士3~』をやり、ニコニコ動画でだらだらと動画を眺め、眠りたくなったら眠る。そんな最高な生活をしていたのだが、当然お金はじりじりと減っていった。いよいよもって働かなければと、90キロの重い腰を上げたのだ。
 条件は到って単純だ。簡単そうで、正社員で、完全週休2日制。ゲームコントローラーを片手にゆるく探していると、ようやく条件を満たしてくれる求人を見つけた。
 未経験者歓迎の、進行管理のアシスタント。完全週休2日制はもちろん、正社員で社会保険も完備だ。さらには、よくわからないがなんとなく良さそうな響きを持つ、フレックスタイム制とやらを導入しているとのことだった。その好条件で給与が25万円も貰え、さらには年末に賞与も出る。
 アシスタントなのに正社員で、しっかり休めて25万円プラス賞与。脂肪のたっぷり蓄えられた体が嘘のように、軽々しくその求人に飛びついた。
 すぐさま応募先の会社代表との面接となり、無事に採用となった。
「竹谷さんは、こういう資料とか作れる?」
「大丈夫です、できます。問題ありません」
 今推測するに、代表からの問いに間髪入れず前向きな返答をしたところが、採用の決め手となったのではないだろうか。
 実際、できるかどうかなど正直わからなかったが、新卒時にちょっと染み込んだ営業会社の遺伝子は、竹谷の中で湾曲して吸収され、何か決定権を持つ人間に対し「できません」と返すことに、抗いがたい拒否感を覚えさせたのだ。もはや営業でもなんでもない姿勢である。
 無根拠な自信に溢れた返事を繰り返した竹谷は、面接を通った。
 安定した状況で働きたい。アシスタントは楽で簡単そうだ。
 そんな思いをむちむちの胸中に秘めた竹谷は27歳、少し絞って85キロで入社初日を迎えた。


 『週刊ファミ通』を読むだけで、お金がもらえた。
 入社して最初の1か月は、やることがなかった。それもそのはずで、当時会社は設立して1年ほど、入社前の従業員数は5名、新入社員が竹谷含めて4名で、やっと10名に届くかどうかという規模だった。その内、イラスト制作に携わる者が8名。代表と竹谷だけがイラスト制作以外の業務、つまり営業や事務などを遂行する役目だった。そこだけを聞くと、やることが山積して大変そうに思えるのだが、ニートから足を洗ったばかりの竹谷は、武田信玄公も頬に涙が伝う程に、指示がなければ動かざること山の如しであった。
「業界のことを学ぶため、ゲーム情報サイトを見て勉強してくれ」
 代表からの下知へ忠実に、ネットサーフィンやゲーム雑誌を読んでいるだけで日が暮れ、労働と見なされた。この上なく幸せなことではないか、と恍惚としていた。繰り返すが、最高だった。
 当然、そのままグッドエンディングとはならない。グッドというよりは、スウィートでありオプティミスティックだが。
 少しずつ、代表から仕事を渡されるようになった。請求書を郵送したり、来客へ対応したり、資料を作ったり、クライアントへ訪問したり。
「竹谷さん、これできる?」
「やります」
 採用面接時にも発動した、歪な応酬技術は当面の間すこぶる効力を発揮し、明快にそして体育会系に、仕事は少しずつ増えていった。
 人数が少なく会社の業歴が浅ければ、課題は新雪の野のように手つかずだ。やればやるだけ結果となり、また評価にも繋がった。
 入社して2年が経った2015年、29歳の竹谷は経営管理部の部長となっていた。代表からは、竹谷が35歳になるまでには社長の座に就いてもらうと言われていた。次期社長かつ経営管理部部長という肩書。数年前までニートだった人間が、こんな状況にいるとは、竹谷本人もまったく考えていなかった。
 そういう事態を生んだ原因に、現ミリアッシュ副社長である杉山の存在は大きかった。
 杉山は、半年先に前社へ入っていた先輩だった。とはいえ先輩風を吹かされたことは一度もなく、気さくでよく笑い、謙虚で丁寧で、泥酔すると帰路が不覚になるような好青年だった。朝まで歌い踊り明かそうぜ、と誘われた新宿のカラオケ館にて、開始数分後に微笑みながらご就寝なさっていた杉山の天使のような表情は、仕打ちこそ悪魔的であれ今も忘れられない。彼の名誉のために付け加えると、今はへべれけとならずにお酒を嗜んでいる。そして竹谷は、それはそれで、一抹の寂しさも感じている。
 仕事にも波長というものがある。そう思うようになったのは、杉山との出会いからだ。
 会議での発言や、問題に臨む姿勢。竹谷が1を言うと、10まで理解してくれるし、逆に杉山の言うことは皆まで聞かず意を汲めてしまう。するするとテンポよく、面白いゲームをプレイするように働けてしまう。こんなに気持ちよく仕事に取り組めるものなんだと、20代後半にして気づいた。そして、気持ちいいことには、人間は率先して自発的に動く。竹谷の仕事に対する見方が、言いつけを遵守し遂行することから、問題を見出して解決することへと変わっていった。会社に絶えず噴出する問題を自分事として捉え、当事者意識を持って対処する。小規模な会社だからこそ、自分の仕事が会社へ与えるインパクトは小さくなく、その分の責任もあるが、何より楽しかった。
 また、社風として、変に上下感を持たずにフラットな関係で仕事ができる。それぞれが自由闊達に意見を言い、とはいえお互いに敬意を忘れず、丁寧に業務を進められる。

 そう思ってしまったのは、竹谷の未熟の致すところだった。

 部長になり、しばらく経ってから気づく。自分の言葉は竹谷個人ではなく、部長として上から皆に響くということに。同期にそういう嫌いはなくとも、後輩、特に竹谷が部長になってから入社してきたメンバーに関しては、部長という肩書が妙に威を放っていた。
 お願いします。やってみよう。その方向でいいんじゃないかな。
 そんな頼みやお願いが、指示として受け取られる。会議で竹谷が意見を言うと、なんだかそれが正しいのではないか、という同調めいた空気が生まれる。猛省した要因として、言動が荒く厳しい面もあったのだろう。冗談も、受取る側が冗談と思わなければ成立しない。そこに部長という肩書が加わることで、シーソーのように、水平だと思っていた関係に大きな傾きができてしまっていた。
 そしてこの状況は、今のままではいけない、と竹谷が強く思う契機となった。言動として表れる前の、思考の部分。そこに問題があったのだ。
 会社が成長するために働いていたが、ではなぜ会社を成長させたいのか。
 竹谷の中に答えはなかった。当然だった。安定して楽に生きたくて、簡単そうなアシスタント職の正社員に魅力を感じ、蜜へ群がる虫のように飛びついたのだから。

 竹谷には、信念がなかった。

 なぜを突き詰めると、何も出てこなかった。だから思考は揺れ、その先にある言葉、行動、習慣、性格、果ては運命までぐらつくのだ。同僚へ語る言葉も、どこかふわふわと浮力を纏う。とどのつまり、それは信念が欠けている証左にほかならない。
 何が部長か。そんな状態で次期社長と呼ばれている自分は、いったい何様なのだろう。
 焦り、信念を探す日々が始まった。ちょうど30歳で、部長となって1年が経った、2016年の頃だ。過労だったわけでもないが、体重は70キロまで落ちていた。


 乾いているのか、それとも、湿っているのか。
 前社の責任者たちの中では、ドライかウェット、という考え方があった。淡白と濃厚に換言してもいいかもしれない。端的に言えば、同僚の不安や悩みに対して、付き合う程度や頻度を指している。たとえば表情の曇った同僚から「会社を辞めたい」と退職の話を受けた際に、「どうぞ、ご自由に」と切り返すか、「何か不満でもあった?」と一度訊いてみるか。もちろん、相手の身上は千差万別なので杓子定規にそう反応するわけではないが、単純に言うとそんな具合だ。竹谷自身は、日によってドライだったりウェットだったり評価が分かれていたように記憶している。
 それもそのはずである。繰り返すが、竹谷には信念がないのだ。眼前に分厚い壁、マンガ『進撃の巨人』のウォール・マリアが不意に築かれた心地だった。
 壁に当たった時、どう打破するか。十人十色の解法があると思うが、多くの人が取り得る手段として、近しい誰かに相談する、というものがあるだろう。
 しかし、その手は使えなかった。竹谷は友達が少ない。頼れる先輩や、映画『アベンジャーズ』シリーズのスパイダーマンに対するアイアンマンのような、慕う年上の人物もいない。グループで集まって行動するのが、昔から苦手だった。嫌われていたわけでは断じてない。たぶん。祖先は狼だと信じている。
 そうなると、竹谷の採る手段はひとつしかない。本である。
 中高生の頃、塾に通えなかった竹谷は、ひたすらに教科書と参考書を読んでいた。その癖のようなものだ。
 偉人たちの残した本をぱらぱらとめくった。マンガ『封神演義』が大好きなので、マンガ『蒼天航路』で曹操も引用している、太公望が記したとされる『六韜三略』も手に取った。ゲーム『三国無双』シリーズでは孫策や黄蓋を使用していたので、孫氏の兵法も読んでみた。
 運命と言えるものがあるとすれば、竹谷にとってそれは、ジュンク堂書店池袋本店の陳列と祖父の名だった。
 その時は確か、『論語』を探して東洋思想のコーナーにいたのだが、『論語』の近くに『論語と算盤』という本が並べてあった。著者の名前に見覚えはなく、渋沢栄一と出ていた。それでも惹かれたのは、栄一という名だ。竹谷の敬愛する祖父、鷲尾栄一と同じ名だったのだ。妙な親近感とともに『論語と算盤』を買い、以降、竹谷は渋沢栄一と『論語』にどっぷりと傾倒していく。祖父の名付け親、つまりおそらく曽祖父母と、当時のジュンク堂書店の陳列には、感謝してもしきれない。令和の世にて、渋沢栄一が新たに一万円札の顔となることは、この上なく嬉しいことだ。
 渋沢栄一のどの本だったか、会社のトップにひとを選ぶ指針として、情の厚さを挙げていた。技術や知識ではなく、情であると。
 深く深く、竹谷の腑に落ちた。ドライとウェットは、左右の振れ幅のように表現されるが、そうではない。情に厚いか薄いかは、左右ではなく上下であると。そして竹谷は、情に厚い人間として生きていきたい。そう強く思った。
 そこからは早かった。『論語』も、マンガ『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』にて、悟りの書を前にした賢王ポロンのように、ひとつひとつの言葉が脳に突き刺さった。制度や予算の設計、採用や人事にも、これまでとは違う力が籠められていった。決めて、揺るがないことが、これほどの力を生み出すのかと思った。
 しかし、そこでまた葛藤が生まれる。
 ドライとウェットの並列で物事を見る会社に、情の厚さを大事にすると決め、ドライとウェットを直列で見始めた竹谷が、どこか逸れているような気がしたのである。
 同時に、『論語』の中に出てきた言葉が、頭から離れなくなった。
 不惑の40、という言葉を聞いたことはないだろうか。40にして惑わず。40歳になるとあれこれ迷わなくなる、という意味で、齢40を迎える際によく使われる言葉だ。
 これは『論語』の言葉で、不惑はある一群の文中に出てくる。
 そして、竹谷にとっては、不惑のひとつ前の言葉が、何よりも深く残っていた。
 30にして立ち、である。まさに、当時30歳であった。
 軸は決めたが、では、立つとは何か。
 結論から言えば、情をしっかり大事にするために、独立して会社を作る。それが、竹谷にとっての立つことだった。
 当時制作部の部長となっていた杉山に、よく代表の不満を言っていた。こうしたらいいのに、なぜああなのか、といった、雑多な愚痴に近しいものだ。それがいかに容易で、いかに幼稚であるかということを、感じずにはいられなくなった。
 会社を作ったのは、代表である。その会社に、竹谷は正社員として雇われている。ひとの傘に入り、肩にかかる水滴が鬱陶しい、地面に弾く雨が冷たい、と文句を垂れているようなものだった。自分で傘を差せばいい。そうは思っても、ちゃんと差せるだろうかと、妙な恐怖が皮膚の薄いところを這ってくる。
 思えば竹谷は、反応の人生を歩んでいたのだ。
 たくさん勉強して、良い大学に入って、良い企業に入って、安定した生活を送るのが至高である。世の中からか、親からか、もしくは学校からか、竹谷はそんな思想に染まっていた。そう言われたから勉強し、スポーツをするように言われたから運動部に入り、大学へ行き、大きな企業で働いた。しかし結局退職し、次に入った会社では、社長にならないかと代表から誘われ、是と返した。これらはすべて、ただの反応である。 
 そんな自分にも、いい加減嫌気が差した。
 自分で会社を作り、その上で、自分の大事にしたいことを貫く。それしか、竹谷に残された道はなかった。代表に馴らしてもらった、優しく舗装された社長への道を、さあ大変だ、こりゃあ難しいだのと口から零しながら歩くのは、もう無理だった。
 安定した生活などというものは、外側からではなく、自身の内側から獲得するものだ。環境に左右されない強さを持つことが肝心で、そのためには、自分で決めて自分で責任を負わねばならない。
 もちろん、思いだけで独立できるほど、世の中は甘くはない。竹谷にはものすごく欠けていることがあった。
 何もできないのだ。
 当然である。数年前までニートをやりながら鼻を超速でほじっていたのだから、できることなどほとんどない。かろうじて挙げるとするならば、新卒時代にかすかにかじった加減乗除の数値管理くらいである。
 独立できる。のみならず、間違いなくやれる。そう思うに到ったのは、杉山は当然として、もうひとり、制作部支援室の室長だった寺井がいたからだ。

 杉山を誘った時、竹谷の想定は2人の会社だった。
 杉山がイラストを制作し、竹谷がそれ以外をやる。ツーマンセルは、マンガ『鋼の錬金術師』のエルリック兄弟でも、マンガ『スティール・ボール・ラン』で馬レースに出場するジャイロとジョニィからもわかる通り、物事をそつなく運ぶ基本形だ。
 断られたらどうしよう、という竹谷の不安なぞ知らんとでも言うかのように、杉山は快諾してくれた。家を買ったばかりで、ローンは向こう何十年もあるのにだ。ちなみにとても素敵な住まいで、知っているひとは知っているが、その中のひと部屋が今のミリアッシュ本社となっている。
 しかし、杉山の参画は、竹谷が作る新会社にとっては朗報この上ないが、前社にとってはただの悲報である。
 制作部部長の杉山、経営管理部部長の竹谷。代表の直下に役員はおらず、部長である二人が代表の次席に座っていた。代表がマンガ『ドラゴンボール』のフリーザなら、杉山がザーボンで竹谷がドドリアである。
 30名規模の会社で、ほぼ設立当初からいる、且つ2人しかいない部長が、会社を抜けて独立する。自分が代表だったら、なんとしてでも避けたい事態だったはずだ。
 ちなみに、寺井は竹谷の半年ほど後に入社してきた後輩なのだが、年齢は4つ上で、頼れるお兄さんといった存在だ。寺井の入社初日、爽やかな男性が来た、と女性社員たちがグループチャットで高揚していたのを見て、小さからぬ嫉妬を抱いた記憶がある。竹谷にも割かし清涼感はある。器の大きな人間になりたくも、中々そうはなれないものだと知った。
 部長2人がいなくなると、代表の直下になるのは、制作部支援室室長をやっていた寺井だった。つまり、杉山と竹谷が抜けた分を、寺井が埋めざるを得なくなる状況だった。ゲーム『ぷよぷよ』では、杉山と竹谷が束になってかかっても倒せないほどのガチガチな強さを誇るが、用意もなく受動的に社内のナンバーツーへ立たされることを、酷と言わざるしてなんと言おう。
 申し訳ない、という気持ちで、代表よりも先に、寺井には話すことにした。杉山と寺井と竹谷で会議室に入り、独立する旨を伝える。なんとなく察していたのか、はたまた3人の中で最も慈愛に溢れた人間だからか、怒りや呆れという表情を見せることもなく、ただ承諾してくれたように覚えている。
 そして後日、一緒にやりたい、と申し出てきた。正気の沙汰ではない。
 竹谷は当時、実家住まいの気楽な身分だった。杉山は結婚しており、持ち家に住んでいる。寺井に到っては、既婚で持ち家住まいどころか、2児の父であったのだ。しかも玉のようにかわいい息女が生まれたばかりである。本当にかわいくて、竹谷は熊のぬいぐるみをかなり献上した。背中を押してくれた2人の奥方には、報いても報いきれない大恩がある。少なくとも、ディズニーリゾートには毎年ご同道願いたい。
 杉山も寺井も、世辞でなく、気のよく熱心にそして丁寧に働く人間だ。前社に残っていれば、相応の役職や報酬を手に入れられたと思う。転職しようとすれば、引く手あまただったはずだ。今乗っている船にいてもいいし、豪華客船に乗り換えることもできる。
 そうであるにもかかわらず、2人は、これから竹谷が作ると壮語するイカダに乗ると、なんなら一緒にイカダを作りたいと言ってくれたのだ。なんなのだこの2人は、と大きな嬉しさの中で小さな困惑さえ抱いた。
 正直なところを言えば、会社を作ろうと誘っておきながらも、本当に設立まで漕ぎ着けるかなんて微塵も自信がなかった。経験もなければ、知識もない。どこから始めるべきかも当然わからない。
 しかし、そんなことはすべて些末で、ここに来てはどうでもいいのである。
 杉山と寺井がイカダを一緒に作ろうと言うのだ。できるかできないか、ではなく、やるしかない。そのイカダの作りが甘く、隙間から海水が浸入してこようとも、船出する。
 想定を超え、スリーマンセルとなった。マンガ『NARUTO』的にも、『三国志』の劉備三兄弟的にも、マンガ『ゆゆ式』として考えても、線が面となり、より強力なパフォーマンスを発揮できる人数だ。また、不思議なことに、3人それぞれ得意な領域が違う。寺井は制作、杉山は制作と営業、竹谷はゲーム。ちなみに、変に仲違いせずやれていることに驚きの言葉をもらうことがあるが、ひとえに杉山と寺井の人格のなせる業である。マンガ『大東京トイボックス』から言葉を拝借すると、杉山と寺井とも、魂が合っているのだ。
 代表に3人独立の旨を伝え、了承してもらった。色々清濁ある感情を代表には抱いていたが、喧嘩とならずに新会社を設立できたことは、代表の人格あってのことだと強く思っている。
 なんとか登記も終え、登記簿謄本を見た際に湧き起こった感慨は、なかなか表現のできないものだった。まだ見ぬ大陸を求めて船を漕ぎ出す心境は、こういうものかもしれない。そう考えるのはきっと行きすぎた感想には違いないが、妙に少年めいた興奮を、この時竹谷は抱いていた。
 2017年2月8日、株式会社ミリアッシュは設立された。それ自体はすごいことでもなんでもない。これから何を成すかが肝要なことであり、会社を作った価値である。そう頭では重々理解できていても、それでも、嬉しかった。きっと、目指そうと自ら決めた場所へ向けて、自らの意志で進む覚悟の対価として得られたひとつなのだろう。
 マンガ『悟空道』の作者山口貴由先生の巻末コメントにある通り、「足を動かしている限り、近づいている」。そう意識して、3人で進む。

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