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『今にも削除したくなるような自分語りを :エピソード4 名となる文字列』

 まじまじと、キティちゃんを見つめていた。
 数分前、新卒で入った会社を辞めてからというもの、冠婚葬祭以外では着たことのなかったスーツを身に纏い、竹谷は銀行の法人用カウンターに座っていた。今から20キロ太っていた時のスーツはブカブカで、シルエットは酷いものだったが、きっと心証が良くなるに違いないと判断した。マンガ『BLEACH』の影響で、ネクタイは細くて黒色のデザインだった。いつか機会があって斬魄刀を佩かせてもらえるなら、迷わず侘助を選びたい。
 2月の外気は、まだまだ冷える。しかし、銀行内の強い暖房のせいか、場に慣れていないからか、竹谷の額にはじんわりと汗が滲んでいた。精神の動揺を悟らせてはならない、と持ち前の格安なポーカーフェイスを発動し、場に臨んでいた。
 法人の銀行口座を、開設しなければならなかった。そのためには審査が必要と言われ、渡された口座開設の申込用紙に記入していく。
 ミリアッシュ。
 謎の文字列を社名欄に書き、代表取締役という、突如偉そうになってしまった肩書とともに、自分の名前を続けて書いた。
 応接してくれた女性は若く、新卒から多少フレッシュさが抜けたような印象だった。幾千もの口座開設を担当してきたからか、事務的で、そして竹谷の勘違いでしかないが、どことなくサディスティックな表情を見せていた。真剣かつ冷静な眼差しで、竹谷から受け取った書面に不備がないか確認している。竹谷の字が汚いのは、幼少期左利きだったのを右利きに矯正されたからであり、竹谷のあずかり知らぬ範疇の原因である。本来の利き手なら上手に書けていたはずだ、きっと。読みづらくて本当に申し訳ない。
「いくつかご質問よろしいですか?」
「はい」
 女性からの問いに、竹谷は頷く。これも審査の一部なのだろう。凍りついたような視線がなんか怖いのでお家帰る、とは返しようもない。
「ミリアッシュという社名の由来をお伺いしても?」
 彼女は、付箋紙とボールペンを手に、まっすぐにそして冷静にこちらを見てくる。カチリと、ボールペンの頭をノックする音が聞こえた。
 そんなことを答えるのか。一瞬うろたえた竹谷の視線が、思わず付箋紙に釘づけになる。
 つぶらな瞳のキティちゃんが、これ見よがしに大きくプリントされていた。
 ミリアッシュの由来。
 竹谷とキティちゃんの邂逅など露知らず、女性は付箋紙にそう書いた。キティちゃんとミリアッシュが並ぶ。『ハローキティ』は40年超の時を生き、知らないひとなどいないような世界中で愛されるキャラクターであり、かたやミリアッシュは数日前に作られた、杉山と寺井、竹谷の3人と、法務局の人たちしか知らない文字列である。40歳と0歳。まさか同時に視界に入る機会があるとは思ってもいなかった。
 現実味を帯びない光景にまぶたを数度開閉してから、幾ばくかの恥ずかしさとともに竹谷は由来を話し始める。どちらかと言えばシナモンが好きです、という冗談を挟む余地もなかった。


 杉山と寺井、そして竹谷は、3人揃って前社の会議室で唸っていた。独立するとは決めたものの、まだなにも動けていなかった。
「社名なあ」
 コーヒー缶を両手で丸く包みながら、竹谷は呟く。会社の作り方などどこで学べるのか、という憤りに似た疑問とは裏腹に、検索エンジンというものは驚異的な代物で、会社設立や法人登記といった言葉を打ち込めば、すぐさま色々な情報サイトが出てきた。まったく人類は最高の生き物である。それらをカラカラと回覧し、また熟知したい部分は本を読み、今では設立までのロードマップがわかり始めていた。
 本社の所在地は、杉山の家の一部を借りることとなっていた。固定費、特に地代家賃は極力抑えた方が良い、という杉山の提案だった。普通に考えれば、自宅にほぼ毎日竹谷という少々のハチャメチャが押し寄せて来るわけであるから、かなりのストレスとハラスメントではないかと思うのだが、杉山はもとより奥方も快諾してくれた。奥方が帰社、ではなく帰宅なさると、杉山と竹谷の「お帰りなさい」がリエゾンするような、文字通りアットホームな会社となった。寺井は自宅にリモートワーク用のスペースを作り、基本的に千葉県で業務を遂行することにした。ちなみに寺井の家は、家庭菜園の域を凌駕した庭があり、瑞々しいアスパラガスや玉ねぎ、稀にマンドラゴラなども収穫できる。
 場所を決め、事業も当然イラスト制作と決まった。次に決めるべくは、社名である。
 イラストに関連した名にするか、会社の精神に焦点を絞った名とするか。外面か内面のどちらに紐づけるかで悩んでいた。元来ゲーム好きな竹谷は、キャラクターの名づけに関しては中々に輝かしい歴史を持っている。ゲーム『テイルズ オブ ディスティニー』ではなにも考えず直球で「アキト」と名を与えた結果、「アキト・エルロン」という未曾有の変異体が誕生したし、ゲーム『ファイナルファンタジーVIII』では、スコールという名の主人公に熟考の末「レヴィルド」と命名した。だれなのか。羞恥心は、突如として過去から真っ赤な致命傷を負わせにやってくる。まさに時は中学2年生であり、その病名こそ発明されていなかったものの、いわゆる中二病に罹患していたことは鏡にかけて見るように明らかであった。
 社名の要素となりそうな言葉を、ノートに書き落としていく。イラスト、色、色彩、絵、ペン、クリエイティブ。熱意、誠実、思いやり、仁義礼智忠信孝悌。それぞれを英語に変えたり、日本語のほかの表現を探したりもした。それらの言葉をくっつけては首を傾げ、順番を入れ替えては頭を掻く。
 とはいえ悠長にはしていられない。社名を決めなければ、物事が進まないのだ。
 なんとかしなければと、すがる思いで竹谷はゲームをした。ゲーム機の起動音を聴くと心が安らぐ。あと楽しい。言うまでもなく、我ながら天晴れな現実逃避であった。勉強時の掃除と同様、こういう時の逃避エネルギーはすごいものがある。
 しかし、やはりと言うべきか、ゲームはいつだって幸せを運んでくれるものだ。
 その時はゲーム『DARK SOULS III』をしていた。知る人ぞ知る高難度のアクションRPGで、発売から1年ほど経っていたが、時折無性にやりたくなってはキャラクターを新規で作りプレイしていた。映画『300』が大好きなので、ほぼ全裸に長槍と円盾というパンキッシュな出で立ちで、ダークファンタジーの世界を闊歩していた。転生するならスパルタ人になり、301人目になりたいほどだ。
 濃厚なダークファンタジーだけあって、とても静かで狂おしい世界を堪能できるのだが、主人公は色々な所以あって火と関係が深い。プレイする当人自身も、ゲームの結果として火に対して並ならぬ親近感を持ち、日常生活時に「篝火」という言葉が聞こえるだけで、じわりと口角が上がってしまうような現象さえ起こる。
 さて、主人公はとある女性キャラクターから協力を得るのだが、その女性は主人公を指して「灰の方」と呼んでいる。ゲーム内で話される言語は英語なので、「Ashen one(アッシュン・ワン)」だ。
 灰。
 アッシュを、なんだか良いなと思った。悲しいことに、中二病の残滓は、まだ少なからず脳内を蝕んでいたのだ。
 大学時代、竹谷は英語英文学を専攻していた。ゼミでは英国の女流文学を扱い、卒業論文は名著『嵐が丘』を題材に、作者エミリ・ブロンテの死生観を捉えてみせようなどという大二病を発症させていたのだが、個人的な興味は英語の歴史にあった。もう少し言うと、語源が好きなのだ。
 「ash」の語源を調べる。すると、元々は「燃える、熱がある、輝く」という意味だったらしい。そこから、燃えた結果として「灰」に転じたのだ。また、「トネリコ」という木の意味もあり、辿れば世界樹の「ユグドラシル」を指す。BUMP OF CHICKENのアルバム『ユグドラシル』からもわかる通り、「ユグドラシル」が嫌いな男の子はいない。かくいう竹谷も、『ユグドラシル』に収録されている曲はすべて気炎万丈で歌える。
 一気に、アッシュという言葉に惹かれた。さらに言うなら、竹谷がティーンの時分には、『Dragon Ash』というヒップホップのグループが爆発的な人気を獲得していた。埼玉生まれビジュアル系育ちで、悪そうな奴は大体他人という人生を過ごしていた竹谷少年でも、『Dragon Ash』の沼に五体でもって浸り、なんか悪い感じを出せたら恰好良いなと背伸びをしていた。もちろん、竹谷は『Dragon Ash』も歌うし、十八番という死語で表して良いなら『Deep Impact』と『Foundation』がそれにあたる。
 アッシュをノートの真ん中に書き、ほかの言葉を周辺に書き落として、接合していく。複数の単語を並べるのではなく、合体させて造語にしたかった。合体させたい思いは、マンガ『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』の合体魔法から影響が及んでいる可能性もある。氷の呪文マヒャドと風の呪文バギクロスを合わせて氷刃乱舞マヒアロスは最高にクールだ。氷なだけに。造語は新語であり、浸透するまでに時間を要するが、検索をかけた時に新会社だけが出てくるようにする、という狙いがあった。
 灰になるには、熱を発し煌々と燃える必要がある。そういう風に働いて生きていく。その思いをアッシュに籠める。そして、それは一滴二滴ではなく、数えきれないほどだ。その意図から、「無数の」を意味する「myriad(ミリアッド)」という単語を引っ張る。「million(ミリオン)も検討したが、アッシュの発音とスペルとの相性が良さそうな前者を組み入れた。
 ふたつを合わせて、ミリアッシュとなった。マンガ『ドラゴンボール』でいう、フュージョンでありポタラである。そして、最後に少し遊びを入れた。ミリアッシュは、英語表記では「myriashue」となる。「ash」の後に、「ue」が足されているのだ。
 これは、英語「hue(ヒュー)」に由来する。意味は「色」だ。イラスト制作会社として、色彩に関連する言葉を混ぜておきたかった。英語のスペルが長い時を経て発音から遠ざかったように、「myriashue」も久遠を過ぎ、気づけば「ue」の発音が抜け落ちた、という妄想を採用した。
 色、つまりイラストに携わる事業を、灰になるほどの強い赤誠や情熱とともに、無数にやっていく。
 ミリアッシュは、ゲーム『真・女神転生』シリーズでいう三身合体のように、3つの親から言葉の力をもらい、この世に生を受けた。


 銀行口座の開設審査は問題なく進み、無事にミリアッシュと文字列の入った通帳を受け取ることができた。正直なところ、登記を終えた時より、胸を深く撫でおろした。お金がなければ、会社はなにもできない。応対してくれた女性に感謝を示しつつ、これからはシナモンではなくキティちゃんを好くことを固く誓った。
 会社の通帳に資本金である330万円が記入され、竹谷の通帳からは大事に貯めた300万円がさっくりと消えた。自分のお金がなくなることへの恐怖感は、不思議となかった。数万円の買い物では小心者らしく怯えてためらうものの、300万円の規模だと、竹谷の怯懦もアニメ『マクロスΔ』の楽曲の通り『いけないボーダーライン』を越えて、ちょっともうよくわからなくなるのだということを知った。
 銀行口座ができたことで、クライアントとの契約書も締結することができた。妙に値の張った法人用の印鑑を、あまりない握力を籠めて押していく。登記簿謄本や通帳、契約書そして名刺に、ミリアッシュという言葉が刻まれていった。
 しかし、その文字を見ても実感がなかった。新会社をミリアッシュと命名したが、本当にミリアッシュなんてものが存在しているのか、という妙な感覚があった。名刺を交換する時に、ミリアッシュという言葉が出るとなんだか歯の浮く感じがあった。名が実を伴っていない。生まれた時すでに弾けていたバブルというものは、この感覚に近しいのかもしれない。そんなことを思った。
 とはいえ、思春期の竹谷のように、アイデンティティー・クライシスに陥っている場合ではない。ミリアッシュは作られ、最低限の手続きも終わり、仕事はもう来ていたのだ。
 設立月は2月だが、3月にはもう売上が経つ見通しだった。出来立てで薄氷のような会社であるにもかかわらず、信じてご依頼をくれたクライアントの皆様には、厚謝とともに仕事で報いようと強く思った。
 それに、会社のアイデンティティーはもう確固として存在している。
 情である。思う存分、情を大事にするため会社を設立した。
 しかし、情はそのままでは非常に抽象的なものである。杉山、寺井と同じ認識を持つためにも、しっかり具体化していかなければならないと思った。
 社名を決めた時のように、竹谷は再び、ノートと睨めっこをする。


 お金がすべてではない。おそらく百万回は聞いたフレーズではないだろうか。
 情をどこまでも大事にできる会社にする。そういった思いで、ミリアッシュを作った。
 その情のひとつは、まず杉山と寺井への報恩である。ふたりがいなければ、ミリアッシュは生まれなかった。ほかの道を選んだ人生の方が、面白く豊かであったかもしれない。そんなことを、彼らには一度たりとて思ってほしくはない。ミリアッシュを選んでよかったと、音楽グループ『Linkin Park』の楽曲を聴くように首を縦に振ってもらいたかった。
 では、なにで報いるのか。ゲーム『FINAL FANTASY X-2』の楽曲『1000の言葉』という題名のように、感謝を1000回伝えるべきか。
 もしくは、お金で応えるか。
 その時、会社にあるお金は、資本金の330万円。売上が入金されるより先に、役員報酬の支払日が来る。設立1年目は役員報酬を控えめに設定し、会社に現金を残そう。そういったアドバイスも、インターネットや本から学んでいた。その教えに従い、まずは安くして、様子を見つつ上げていこうと考えた。お金がすべてではない。好きな業界で好きなことをやれるのだ。やりがいに満ちている。
 しかし、拭えない拒否感が竹谷のふかふかした腹の底に居座る。ふたりに対して恩を返したいと言っておきながら、本心は実のところ、会社が潰れることを必要以上に恐れ、会社にお金を貯めておきたいと考えているのではないか。会社を長く続けていくことこそ第一に優先すべき事項だと、そんな高説をさかしらに掲げ、杉山と寺井という有為の人間をしめしめと安い人件費に繰り入れようとしているのではないか。
 怯懦を打ち払い、卑怯なことをせず、真っ当に情を大事にするため、独立を目指したのではないか。ここで覚悟を持って証明せずに、なんのための起業か。私腹を肥やしてどうなる。すでに腹は結構出ている。お金がすべてではない、と名言を軽々に吐くなら、お金が会社に残らなくとも良いのではないか。なぜなら、お金がすべてではないのだから。
 余剰なお金を会社に残さず、そして潰さない。
 マンガ『HUNTER×HUNTER』のネテロ会長の覚悟を拝借するなら、難敵にこそ、全霊を以て臨む。その道こそ、竹谷の歩みたいと願う道だ。
 役員報酬は、前社時の報酬よりも高い額に決めた。杉山も寺井も、低くて良いと思ってくれていたようだったが、映画『もののけ姫』のアシタカのように、押し通した。竹谷にとって情を大事にするというのは、こういうことを言うのだ。改めて、そう気づけた。
 そしてもうひとつ、情を考える上で、ミリアッシュにとってなによりも大切なことがある。
 作家との関係だ。
 ミリアッシュはイラスト制作会社であるが、内部は杉山と寺井という懇切丁寧なディレクター2名と、ゆるゆるゲーマー1名である。イラストを実際に描いてくれているのは、前社の時から依頼を受けてくれている作家の皆様だった。作家の協力なしに、ミリアッシュは存在し得ない。しても意味がない。
 役員報酬と同様に、稿料は前社の時よりも高くすると決めた。ミリアッシュが良い仕事をすればするほど、クライアントからいただく制作料は増え、作家へ支払える稿料の額も上げられる。現状維持では皆目駄目なのだ。クライアントから高い評価をいただき、制作料に反映してもらい、作家がもっと生きやすい世の中を実現していかねばならない。会社に余剰な利益が残ってしまいそうな時は、ボーナスのような形で作家へ還元するか、新たにミリアッシュで仕事を創出し、作家活動の一助としてもらおうと思った。
 また、稿料の支払い日を早めていくことも、視野に入れた。入金は一刻も早く、支払は極力遅く。たとえそれが経営と呼ばれる能力の大前提であったとしても、肯んじたくなかった。マンガ『蒼天航路』にあるように、人を顧みぬ刃は、武ではない。信念のないスキルやテクニックは、もはや竹谷の咀嚼したいものではなかった。ミリアッシュから払うお金は、その先にいるひとたちのことをしっかりと考え、早められる限り早めるのだ。
 作家は業務委託先だからとか、杉山と寺井はミリアッシュのメンバーだからとか、そういった区別は金輪際しない。たとえその結果、会社の存続が困難な状況が生じたとしても、悔いはない。
 そして、もっと作家と会う。イラスト制作はデジタルなものがほとんどで、メールやチャットで仕事は完結してしまう。だからこそ、対面でのコミュニケーションを忘れないようにする。例外もあるが、人間は人間の顔が見たい生き物だ。私は下戸だが、ビールのCMは、飲んでいるひとの表情にこそ購買意欲を刺激される。電車やバスなどで見かける広告も、タレントやモデルの顔で溢れているし、イラストも首から下だけの制作は、衣装デザインを除いてまずない。作家にはミリアッシュの3人を知ってもらいたいし、ミリアッシュは作家を知りたい。なにを見、なにを聞いて生きてきたのか。なにが好きで嫌いで、現状にどんな不安や希望があって、今後どういう仕事がしたいか。
 当たり前のことだが、作家も我々も皆生きているのだ。それぞれに生き方があり、ストーリーがある。仕事への姿勢も十人十色である。しっかりと話し、仕事に悩みがあるなら共有してもらい、ミリアッシュとして解決できるものは解決する。喜びがあるなら、一緒に喜びたい。もちろん、作家によっては会いたくない、と思うひともいて然るべきで、その思いもきちんと尊重する。作家の皆様にとって、最適で最善な環境を常に考え続ける会社が、ミリアッシュである。
 なんにせよ、たくさんの作家が、ミリアッシュと出会ったことで未来が多少なりとも上向きになるなら、それに勝る光栄はないのだ。
 しっかりとしたお金のやりとりを土台に、丁寧なコミュニケーションを取り、信頼関係を築いていく。社内と社外の垣根など吹き飛ばし、ミリアッシュの通奏低音を響かせるのだ。


 こと恋愛ものにおいて、負ける方を応援してしまう傾向が竹谷には昔からあった。マンガ『ときめきトゥナイト』では主人公の江藤蘭世ではなくライバルの神谷曜子が好きだったし、そこまで恋愛というわけでもないが、マンガ『ふしぎ遊戯』では鬼宿ではなく柳宿や翼宿を応援していた。アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』では、皆が大好きな歌『God knows…』よりも、その後に続けて歌われる失恋歌『Lost my music』の方が好きだ。
 しかし仕事では、相手に選ばれなければならない。情を、作家を大切にするのだと誓うのなら、なおさらクライアントから上位に指定してもらう会社となる必要がある。
 イラスト制作会社は、たくさんある。大きな会社もあれば、マンガ『左ききのエレン』で言うようにブティック型の会社もある。食べるパイも座るイスも、マルチタップで繋げるコントローラーも数は限られているのだ。前社から続く関係やよしみでやれていたとしても、その温室でいつまでぬくぬくと暖を取っていられるかわからない。
 月並みだが、他社との差別化を図らねば、と思った。ミリアッシュは、イラスト制作会社ではかなりの後発である。先輩が長身に筋骨隆々で逞しく見えるとも、早く肩を並べねばならない。後輩だからこそ、先輩がやっていないことを考える。後発には後発の進み方がある。産業革命は英国から始まり、大英帝国はマンガ『エマ』で窺い知れるような繁栄を誇ったが、グーグルにアマゾン、フェイスブックそしてアップルと、今では後発の米国がしたたかに世界のビジネスをリードしている。
 とはいえ、竹谷は凡人である。これができる、と胸を張れることはまったくない。新卒時代には、このぼんくらが、と上司に叱られたこともあった。
 それでも、たったひとつだけ。ゲームだけは、やめなかった。
 小中高大社、と年を経て環境とステータスが変わっていくなか、皆が大好きだったゲームは、気づけば竹谷くらいしかやらなくなっていた。社会と世界が拡がり、興味対象が増え、各々がそれぞれの好きなものへと向かっていくなか、竹谷はゲームから離れなかった。離れられなかった。
 それを空虚に思う時も、一再ではなくあった。子どもがやるもの、と言われるゲームを何十年も続けている自分は、どこか欠けている人間ではないだろうか。酒も煙草も飲めず、ギャンブルもやらない。大人の愉しみとされるものを嗜まず、モニターに向かってコントローラーをカチカチと指で弾く自分は、いったいなんなのだろうか。
 趣味を見つけようと思った。アウトドアのアクティビティもやった。意味もなく、仕事終わりに街へ出かけることもあった。楽しいと思えたものも、いくつかはあった。
 しかしどうしても、気づけばゲームに戻っている。
 こんな人生はつまらない。そういう生き方しかできない竹谷も、つまらない。ゲーム依存症という言葉もある。ゲームに喜怒哀楽愛憎悪をぶつけ、また受け取る自分は、病気なのかもしれない。
 これらはすべて竹谷自身の趣味の話であり、会社の設立とは微塵の関係もない。

 そのはずだった。

 『HORIZON ZERO DAWN(ホライゾン・ゼロ・ドーン)』というゲームがある。オーバーテクノロジーの失われた原始的な世界で、とある女性が強敵と戦いながら、世界の謎に挑むお話だ。荘厳なグラフィックとアクションの快感、そして重厚なシナリオで、間違いなく名作の一本である。当然竹谷は発売日に買い、すぐにクリアした。おでこを余すところなく出すポンパドールの髪型は昔から好きなのだが、惚れ直した。
 映画と一緒で、ゲームもエンディングにスタッフクレジットが流れる。良いゲームだったと余韻に浸りながら、下から上へ流れゆくスタッフの名前をそれとなく見る。
 どれくらいの時間が経ったか。まだ、クレジットは続いていた。映画みたいに長いなあ、となんとなく思った。
 そしてふと、胸中にひとつの思いが過ぎる。
 映画と同じだ。
 信じられないくらいの人間が携わり、ゲームは作られる。それを信じられないくらいの人間が買い、楽しむ。
 法律を犯すでもなく、大の大人が頭を捻りに捻って、どうしたら面白くなるかを圧倒的な熱量で研究して、ゲームは世に出されているのだ。
 当たり前のことだが、竹谷にはなぜか、とても新しい発見だった。
 ゲームは人間が享受する、極上のエンターテインメントのひとつでしかない。子ども向けもあれば大人向けもあり、皆で遊ぶものもあればひとりで遊ぶものもある。インターネットに繋いで遊ぶこともできる。それだけ選択肢のある、素晴らしいエンターテインメントなのだ。依存症というが、そもそも趣味は没頭、つまり依存したくてやるものではないだろうか。古代にも音楽や絵画、祭事があった。そして竹谷は、現代の最高級に贅沢なエンターテインメントの味を、長い期間堪能させてもらっていた。
 ありがたい。それ以外に、出てくる言葉がない。
 恩を返したい。そう思った。マンガ『進撃の巨人』で言われたように、ひとはなにかに酔っぱらっていないと生きられない。竹谷にとってはゲームに酔うことだった。酔わせてもらった。30年、ゲームから幸せをもらい続けてきた。次の30年は、ゲームを取り巻くさまざまな物事に、わずかでも明るい影響を残していきたい。太肉中背のぼんくらでも、やれることは、策と心胆を練ればきっとある。
 奇しくも、会社を作った。事業はイラスト制作で、ゲーム会社からの依頼が大半を占めていた。
 そこに、竹谷の私欲を少し乗せても、良いのではないか。
「CESAに入りたい。あと、東京ゲームショウに出たい」
 童子のわがままよろしく声高に、杉山と寺井に伝えた。


 CESAはコンピューターエンターテインメント協会の意で、たくさんのゲーム会社が所属している団体だ。前社の頃、年に一度のゲームの祭典である東京ゲームショウへ出展した折、その存在を知った。ちなみに前社が東京ゲームショウへ出展したのは、竹谷が企画や損益を拵えて代表に提案した結果なのだが、最新のゲームを会社のお金で試遊したいという単純な本音を、損益という複雑な建前に化粧したものだった。昔の方が、こういう小賢しさが竹谷にはあった。
 しかし、前社ではCESAに加入しなかった。メリットがあるかという代表からの問いに、竹谷が答えられなかったからである。
 今もまだ、効果は判然としていなかった。しかし、ふと思うことがあり、竹谷はCESAの加盟リストを眺め、ひとつのことに気づく。
 イラスト制作会社で、CESAに加入しているところはなかった。つまり、ミリアッシュが入れば、イラスト制作会社で初めてのCESAメンバーとなるのではないだろうか。オンリーワンかつファーストワンであり、順位ならナンバーワンだ。また、イラスト制作会社で東京ゲームショウへ出展している企業も、ほとんどいなかった。
 なら、設立初年度からCESAへ入会し、なおかつ東京ゲームショウへ出展することは、ミリアッシュにほかが塗り替えることのできない記録を与える絶好の機会ではないか。
 そして私欲としては、CESAと東京ゲームショウの一端を担うことで、ゲーム業界の隆盛に一寸でも貢献できるのではないか。
 そんな会社の論理と個人の感情を綯い交ぜにふたりへ伝え、CESAへ入ることとなった。また、東京ゲームショウにも、会社が続く限りは出ることにした。
 なんのことはない。今でも十二分に、竹谷は小賢しかった。


 杉山、寺井と話しては、ミリアッシュとして共通した見解を編み出していく。俄かには信じがたいことであるが、3人で差異はほとんどなかった。作家をより大切にしていくことも、CESAへ加入して東京ゲームショウへ出展することも、3人での総意が難儀なく取れた。変なプライドや他人を出し抜いてやろうといった感情もなく、余計な茶々が入らず話が高速に進む。それだけで、独立して良かったと心から思えるほどだった。時折竹谷が変な挙動を起こしても、ふたりは目を細めて見守ってくれる。猪八戒ひとりに対し、三蔵法師ふたりである。天竺までの旅路が順調とならないわけがない。
 話し合った内容を、小綺麗な文にまとめ、会社のウェブサイトに記載していく。ウェブサイトは、だいぶ完成に近づいていた。さまざまな企業のウェブサイトを見て、良いと感じた部分を節操なく取り入れる。先輩から学べることは、数えきれないほどある。そして、CESAへの加入に続き、作家への思いを記載したところの上部へ、マンガ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の明神弥彦のように、見様見真似で理念という文字を加え入れた。
 理念。
 これが理念というものなのか、と思った。大切にしたいことをしっかりと大切にする、という3人の意志と、ミリアッシュの存在理由が、理念という形を成して出力されていた。
 それから、竹谷は気づく。
 ウェブサイト、名刺、メール、契約書。どれを見ても、その文字列に違和感を覚えることはなくなっていた。竹谷は自然に、文字列を名として認識できていた。
 ミリアッシュは、もうここにあった。

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