優秀って

優秀の定義、そのものが人のみる視点で変わったり、時間ごとに変化していくことは異議がないだろう

小学校での優秀は、点数がいい、話が上手、運動が得意、弁が立つ等々
中学校での優秀は、頭の回転が速い、人の感情に敏感、責任感がある等々
高校での優秀は、本質を捉えている、処理速度が速い、器用等々
大学での優秀は、思考が深い、行動的、効率的、主体性がある等々
社会人での優秀は、課題発見ができる、解決できる、自責思考(予想)

以下にあげたものは個人的な偏見であり、大いに流動性を含む。しかしこのようにみると、より広範で本質的なものが見えてくるのではないだろうか。

それぞれの優秀の定義に当てはまる性質を持つ人がその時空で活躍する。小学校では「優秀」だったが次第にその威厳が失われる人、義務教育課程では表に出て来なかったが時が経って「優秀」と言われるようになる人。

世の中は理想郷ではないので全員が全部の場所で優秀なんてことはあり得ないし、みなが優秀になったら「優秀」という概念は生まれてこない。あくまで相対的なものだからだ。しかし、それは全世界を見渡した時の話であって、一定のコミュニティという枠組みがある場合には当てはまらない。優秀な集団というものが存在するのだ。(もちろんその中で優劣がつくことことにも間違いのだが)

こうした段階的な「優秀」な人を発見するシステムが今の日本社会であるように思う。中学受験、高校受験、大学受験、院試、就活、これらがまさにそうだ。

これらの苦悩を経験することで人財として深みを増してゆく。もちろん生まれた時からの素質というものはあるだろうから全部がうまくいくわけではない。しかし、このような定期的な試練によって物事と向き合う時間を提供してくれている。

かくいう私も、現在就活で自分のことを見つめたり考えてみたり、社会について捉えてみたりしている。本当にいい機会だな、と思う。

自分の中でのかつての「優秀」という概念に縛られずに、将来的な「優秀」を目指す。それが今年のサブ目標でもある。

就活で内定を取ることもそうだが、自分を高める道具として就活を活用していきたい。

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