共通テスト

毎年共通テストや国公立二次のときは交通機関の麻痺など何かしらのトラブルがある。しかし今回は事件が起こった。

考察や詳細は他にゆずるとして、英語がTOEIC寄りになったという講評を見た。理解力よりは情報探索力とでも言うべきか。情報が錯綜する世の中で、情報をゆっくり味わうことも大事ではあるが、それ以上に情報量に圧倒される。だからこその対応なのだろう。ただし、それは精読が出来てから、あるいはそのトピックに対する背景知識があってこそ十分に内容を把握できるものであると考える。

今思えば英語の文章を読んで初めて知ったこともあるし、英語の読解を知識の吸収だと思えば、まあ耐える。

ところで英語と言えば、deepLが役に立ちすぎる。試しに使ってみると、自動翻訳独特のクセが軽減されていた。英語を話せること自体がステータスではなくなる時代が来ているのだろう。むしろ、ジェスチャーや表情などの視覚イメージがより重要となるだろう。それは裏を返すと、日本語の時と全く同じスキルが問われるということ。より本質的なことがその人の能力判断になる。これが進むとどうなるのだろう。人間の本質とは何か。その人の本質とは何か。永遠に答えの出ない、否、出すべきでない問いがふと頭に浮かぶのであった。

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