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母からのお誕生日プレゼントがない誕生日は、私が私として新たにスタートしているのを感じた日。


今年、先日の私の誕生日、はじめて母からお誕生日プレゼントの図書券も、お誕生日カードも送られてきませんでした。

いつの頃からか、何十年と本好きの私の誕生日プレゼントには、母から図書券と誕生日カードが送らてきていました。


離れてからは、郵送で送られることもあれば、お盆のときに、実家で手渡しされることもました。

長い間生きてきて、本当に初めてのでき事だったので、多少の痛みも感じましたが、あっ、お互いにやっと母子癒着が終わったのだ、と、何か新しいスタートのはじまりを感じた日にもなりました。


なぜなら私がはじめて母に誕生日プレゼントを送らなかったのが、昨年の母の誕生日で、そのあとの私の誕生日にプレゼントが来なかったのが、今回初めてだったからです。 


たった1人の末の女の子として私は生まれ、過干渉に、母に呑み込まれて生きてきた私が、母を断ち切るまで、私にはたくさんの傷の癒しと慰め、労り、励ましが自分自身に必要で、そこにたくさんの時間とエネルギーを要してきました。


そして昨年秋頃、私は確か電話、手紙を夫に託して、

私はお母さんから愛されるために、お母さんを助けるいい子として、母子癒着をしてきましたが、もうそれは自分のためにやめます。
私は私の人生を優先して生きます。

だから、私は必要以上に実家に行きませんし、連絡も今までのようにはとらないので、代わりに夫がよく理解し動いてくれるので、よろしくお願いします、

と言うようなことを言った気がします。

あまりよく覚えていないのは、それを言ったら母が泣き崩れ、こういう弱い母だから、私は母を助けずにいられなかったんだ、と、泣く母に対して、こうして無意識に私に罪悪感を抱かせる母のやり方に怒りを感じてしまう私を、これはまだ、癒着なのか?など、自分自身の感情を読み取ることにフォーカスが向き、もはや自分が何を言ったのかも忘れてしまっていました。


自分の感情が落ち着いてから静かに悟ったのは、本当に母は未熟な傷ついた子どものまんまで、母は子どもである私に愛を求め、私を無意識に親にしていたんだなあ。

もうそれはどうしようもない現実で、私がこうして、自分で自分を育て直し、自分で新たに母との関係性を見直していかないと、変わらない現実だったんだなあ、ということでした。

そして、夫の親子関係にも似たようなことが起きているので、私が夫の代わりに夫の義母に会ったり連絡を取るとき、あー、本当にこの方も、子どものままで、親にはなれなかったんだなあと、静かに、労りのような気持ちで、でも、しっかり境界線を引いて接しています。

本当に幾つになっても、傷ついた子どものままの自分の姿に自分で気づき、その傷を何とか癒す手段を取り、自分で大人に育て直していかないと、こうして当たり前のように負の世代間連鎖は続くのだなあ、ということを感じます。


自分が幼少期に置かれた環境は、自分で選択できません。


が、大人になれば、私たちは自分で自分の人生を選択したり決断ができます。


生きづらさや、人との間で共依存になりやすいかも、などを感じたとき、そこから、成熟した大人へと自分で導いてあげるのは、ほかでもない自分しかいません。

親を頼る、助ける小さな子どものままでは、私たちは自分で自分の人生を大きく変化させていくことはできず、一生、傷ついた子どものまま、被害者、として生きる人生になってしまいます。

自分を変えるには、覚悟、忍耐、決断など大人らしい力も必要になってきます。

大人の感覚が育まれていないとき、私たちはうまくいかないのが当たり前です。

自力だけで解決するのは、正直難しいです。

世の中にはそこを切り抜けてきた、プロセスしてきたセラピストがいます。

私もその1人である、と自負しています。

セラピストに話しながら、自分の人生を良りよく変化させていきませんか?

必ず、人生を変えるチカラはだれもが持っています。

諦めずにいきましょう!

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