求めれば与えられる〜自分が掴んできたものと共に固定概念を外して〜
「求めなさい。そうすれば、与えられる。」
これは聖書のマタイによる福音書7章7節の言葉です。
このあと、「探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」と続きます。
そして「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい。」という言葉で結ばれます。
これらの言葉はイエス・キリストが小高い山の上で弟子達や群衆に語られた「山上の説教」の一節です。
最近、これは本当にその通りだな、と感じています。
こんなことをしていきたい、でも今の私の現状ひとりの力では難しいと感じながら、動いていました。
以前の私よりよく動いていたら、びっくりするほど出会いたいと思っていたような人に出会えたり、今の私に必要な物事にドンピシャで遭遇する、と感じています。
出会いが人生を変える
そこに付け足しをすると、いろいろもがいて学んでそれらを自分のなかに落とし込んできたあとだから、出会いが人生を変えていく、のだと感じます。
自分でこれは掴んできた、という確固たるものが自分のなかにないうちは、良いものに出会ってもスルーしてしまっていた、と感じます。
なぜなら、自分のなかに宝があると思えてはじめて、人のなかの宝を見出すことができ、そこを自信を持って称賛することができる、と感じるからです。
自分を卑下しているとき、人を本当の意味で尊重し、素晴らしい!と思いながら対等に話すのは難しい、と感じます。
自分を素晴らしいと思えるから、出会う人も本当の意味で素晴らしいと思えるのではないか、と。
なぜなら、私はかつて素晴らしい人に会っていても自己価値が低いので、本当の意味で尊重することはできていなかったのではないか、と感じています。
要は自分の内側が、他者との出会い方に大きく関わる。
自分を好きな人ほど、誰かを好きになる力も強いと。
また、自分を評価できていないとき、視野が狭く固定概念が強いです。
そうすると、自分と全く違うバックボーン、生き方、職業などだけでスルーしてしまいますし、知らない物事に関わりにくい、と感じます。
が、良き出会いや物事ほど、想定外のことが多い、と体験から感じています。
自分と全く違う生き方の方だったり、こんなところでという場所や物事だったり。
想定できないところにほど、良き出会いや物事があると感じます。
でも、冒頭の、自分が求めていないとそもそも与えられない、と感じます。
そして、与えることと受け取ることはイコールなので、与えればこそ受け取れる、与えられるのであろう、と。
これからの年末年始、来年に向けて、
自分は何を求め、与えられ(人に与え)ていくかを考える時間を作れればと思い、今日の記事に書きました。
お読みいただきありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?