なぜ私は走るのか

断然インドア派でまともな運動習慣がなかった私が
ここまでランニングにハマるとは人生何があるかわからない

きっかけは2020年春の緊急事態宣言による全国一斉休校
幼い子だけを留守番させる訳にはいかない親御さんたちは収入減となってしまったと聞くこの措置、多くの人たちが「リモートワーク」をやるようになるずっと前から在宅仕事だった私は、幸いにもその憂き目には会うことはなかった。
しかし既にお留守番は立派にできる、むしろ母親なんてうざったいだけの年頃の我が子たちと、朝から晩までさして広くもない家の中で過ごさざるを得ないことになったのだ。

次の春に大学受験を控えた子と ようやく高校受験から解放されたばかりの子。
二人が揃って通うのは地域では名門と呼ばれる県立進学校、つまりお勉強が出来る子達の通う学校なのだが「じゃあこの期間に自習しよう」とはならず、一日中だらだらとスマホ漬けの夜更かし朝寝坊という怠惰な毎日を送ることになる。
それでもせめて生活のリズムはつけなくてはと、決まった時間に3食用意する私の「ご飯できたよ」の声は悉く無視され、テーブルの上で冷えていく料理たちを見るたびに気が滅入る。
些細なことでイライラが募り、お互いの姿が見える空間にいることに限界を感じるもものの、通っていたスポーツジムも休業しているし、
図書館美術館映画館は勿論本屋すら開いていないので出かける場所がない。
営業しているのは生鮮食料品など生活必需品を扱う店舗だけで、それも「買うもの買ったらさっさとおかえりください」と無言の圧力かけられ、おいそれと出歩くわけにも行かないご時世、世間がかろうじて容認してくれそうな外出先は人気の少ない自然の多い場所くらい。

とにかく家にはいたくない私は、昔友達とのおしゃべりウオーキングの時に着ていたトレーニングウエアをひっぱりだし、本来はおしゃれ靴の実は重たいAirMaxを履いて、家から1kmちょっと離れた海岸まで走りに行くことにした。
夏こそ海の家が出て若者や家族連れで賑わうその場所は、普段はサーファーと犬の散歩する人がちらほらいるくらいの閑散とした場所なのだが、みなさん考えることは同じとみえてシーズンオフの浜とは思えない人出。
手前の漁港には何台もの違法駐車車両があり、その車に駐禁シールを貼り付ける警察の方にいつ職務質問されてもおかしくないくらい怪しげに素顔を覆いまくった姿で走る私。
足は重たいし息は苦しくてきついんだけど、とにかく外の空気をすってリフレッシュする貴重な時間が、毎日の楽しみとなるにはそう時間が掛からなかった。

ランニングアプリで毎日走った距離と時間を記録していたので、慣れるにつれ少しでも長く家を空けるために距離も伸ばし、気がつけは1日10Kmを走ることも珍しくはなくなっていた。
流石に月間走行距離が200Km超えた時には「私はどこへ向かっているんだろう」という気にはなったけど。
ちゃんとしたランニングシューズとラン用のレギンスを買って身につけてみたらその走りやすさ快適さにびっくりした。
息が上がるくらいのペースで走るからいろんなことは考えられなくて自ずと思考がクリアになるとともに、汗と一緒にストレスが発散される感じが心地よく、タイムが少しずつよくなるのが励みにもなって、天気が悪い日以外は走りに行くことが日課となった

走ることが習慣となったことで一番大きく変わったのはなんといっても体重。
それまでも何度も「7日間脂肪燃焼スープダイエット」を試みては、3日目くらいに空腹で頭おかしくなりそうになり体重変わらぬままにドロップアウト。
一念発起してジムに入会して足繁く通っていろんなプログラムに参加するも、体動かした分お腹減って食べるから全然体重減らなくて家族に「究極の無駄遣い」と笑われていたこの私が痩せたのだ。

それも見事に体脂肪だけが面白いように落ちた。
もともと落ちるほどの筋肉がついていなかったってこともあるだろうけど。
かつて私の1/3を占めていた脂肪は一番少ない時には1/5にまで減った
(今はもうちょっと戻して1/4ないくらい)
そして会う人ごとに「痩せたね」「(痩せたと)噂には聞いてたよ」と言われ、挙句には口籠もりながら「悪い病気とかではないよね?」とまで聞かれるようになった。
50歳を過ぎてこれだけ痩せられるなら、なんでもっと若い時に頑張っとかなかったんだ?とも思うけど、逆にこの歳でも頑張ったら結果がついてくるということを身をもって知り、もともと低くもなかった自己肯定感が爆上がりした。

毎日同じ浜を走ることで季節の移ろいを感じることができるようになった。
夏の賑やかなキラキラした海と冬の重たくどんよりとした海は全くの別の顔している。
何より「日が長くなる」「日が短くなる」ということは即ち、太陽が海に沈む場所が北や南にずれていくことだということを実感した。
満潮の乾いた砂浜より干潮の濡れた浜の方が走りやすいから、毎日新聞で干潮の時間を調べ、追い風と向かい風では1kmのラップが1分以上違うから、天気予報では天気だけじゃなく風速を調べるようになった。

走り初めて一年ちょっとで10kmを1時間切るくらいで走れるようになり、夏を乗り切ったら秋口には10Kmもしくはハーフマラソンに挑戦しようかと思いだした頃、とある検査値異常が見つかりかかりつけ医の紹介で総合病院を受診することとなった。
確定診断をつけるには入院しての精密検査が必要なのだが、それができる規模の病院はその時点でどこも重症コロナ患者を抱えてて大変なので、今すぐ命に関わるわけじゃない私のような患者は今は検査できないと言われ、当分は大事をとって主治医からラン禁止令が出たためウオーキングに切り替えた。
諸々の事情が重なりようやく検査して病名がついたのはそれからまた1年後。
食事運動普段通りやっても問題ないとドクターから許可をいただきランを再開。
やはりこの歳での1年のブランクは大きく なかなか以前のペースは取り戻せないのがもどかしくないと言えば嘘になる。 
黒のフェイスカバーにサングラスにキャップという銀行に入ったら窓口で取り押さえられそうな格好なので、下校途中の小学生にぎょっとされて逃げられたこともあり、もしかしたら小学校の「安全メール」の案件となってしまってたかもしれない。
レギンス履いてるけどラン用のミニスカート姿はさすがに知り合いに会うと気恥ずかしいけど、公序良俗に反するわけじゃないし、今さら他人にどう思われるかはもうどうでもいいからね。
ただ自分のために 自分が走りたいから走ってるわけで、身体がついていく限りは続けたいと思っている。
潮風に吹かれながら沈む夕日を浴びながら走ることが心地よいことだと知ってしまったから。

この夏は遠征を含む推し活や、ワクチンの効果で幸いにも軽症ではあったコロナ感染や、命の危険性感じるほどの猛暑で、ややサボりがちだったのが体重に反映されて危機感感じつつある今日この頃。
日中はまだ暑さが残るものの朝夕は過ごしやすくなってきたのでまた少しずつ距離とスピード上げていきたいと思ってる。

だから私は今日も走るのだ
思考をクリアにするために
自己肯定感を上げるために
美味しいビールを飲むために


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