基本的に大人は幼稚だから求めてはいけない。

大人でも子供っぽさって必ず残っているものなので、大人だからと言って求められすぎても、苦しいだけなんですよね。

自分が大人になってみると分かるのですが、子供の頃に見る大人と、大人になってから見る大人では、全く違って見えるんですよね。

何か大人という幻想を子供の頃は見せられていたような感じがして、その幻想からある年代になると解けるような感じが私はしました。

子供の頃に見る大人って、何か過ごそうに見えたり、とりあえず自分よりも偉く見える時期でもあるんですよね。

しかし、10代の後半に差し掛かると、その幻想も徐々に解けて来て、大人のダメな部分を認識できるようになってきます。

そして社会人になり、大人と同じ土俵に立っての生活が始まると「大人って結構幼稚な人が多のだな」と分かるようになってきます。

思い返すと、学生の時のあの先生も、当時は立派に見えたけど、今思うと普通であったり、むしろあの先生は「幼稚な大人だったなぁ」などと思う事すらあります。皆さんも同じ経験があるかも知れません。

しかし、現在の私も周りの学生達から見れば、もういい年した大人に見えているはずです。

そして自分も大人になって年を重ねると「大人は子供が大きくなった姿に過ぎないのだなぁ」と思いましたね。

子供の頃は、大人になればゲームや漫画などの子供の娯楽は楽しめなくなるものだと思っていましたが、今でも全然楽しめますし、現在は人目が気にらるので乗れませんが、公園のブランコを見ると乗りたくなってしまいます。

このように、大人になっても子供の遊びには興味があり、実際に遊べば今でも楽しめる訳なのです。

そして周りの大人を見ても、私より何周りも上の年代の人でも子供っぽい人は結構多く見られます。

中には小学生がそのまま大人になったような人も見たことがあります。あまり子供過ぎる場合には問題がありますが、しかし、大人と言っても幼稚な部分は必ず入っているものなので、大人だからと言って何でもかんでも我慢を強制したり、高度な対応を求めたりしてはいけないと私は思います。

大人という言葉は結構強制力の強い言葉でもありますよね。

子供と言われれば、大体のことは許されるとイメージする人も多いと思います。だからこそ最近では少年法適応の年齢を見直す意見がありますが、それとは逆に大人と言われると、軽はずみな行いや、でたらめな事は気持ち的に出来ないような感じになりますよね。これが大人という言葉の力だったりします。

大人という意識があると、なぜか立派にならなくてはいけないと言う刷り込みが入ってしまい、「子供っぽい事=恥ずかしい事」になってしまうんです。

つまり、何が言いたいのかと言うと、大人は内面が子供であっても、自分が大人だという意識があると「立派な人間である」と無意識に演じてしまうという事なんです。

本当に立派な人も存在はすると思いますが、ほとんどの大人は大人という立場を演じているに過ぎないのです。

相手が立派に見えると、人はすがりたくなりますし、求めてしまいます。しかし相手がすごく立派に見えても、それは演じているに過ぎない場合もあるので、必要以上に求め過ぎないように注意した方がいいでしょう。