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冷たく暖かく

12年  

20歳になった今、少しだけ真面目に向き合ってみようかなって思う

苦手な人は見ないでね( ◜ω◝ )



2011.3.11



当時小学2年生。金曜日。下校中。
幸い、私の地元は湾なので被害が比較的に少なかった。

その日はあまり恐怖を感じた記憶はない。
サヨナラしたばかりだった友達と避難所で再開し、暖を取り夜を越した。

数日後、祖母の家まで線路を辿って歩いて行った。道が線路しかなかったから。

避難所区域より1歩外にでた先はヘドロまみれ。
車が突っ込んでいる家があったり、大きな倉庫が転がってたり。

街の変わり果てた様子を目にして、そこで初めて震災の恐怖を感じた。

日が経つにつれ、そして年月が経つにつれ、悔い 恐怖 実感 全て増していく  



同じアパートに住むあの子と一緒に帰ってきていればあの子と家族は車を走らせなかっただろうか


ALTのあの先生が子供たちを避難させた後、家に帰ることを止められなかったのだろうか


沿岸部に住んでいた曽祖父は今どこにいるのか



12年

街も時代も、そして自分も全てがあの時とは変わっている

ただ、悲しい記憶は12年前のあの日から変わらずに

海とは冷たく硬い防潮堤で遮られている
私たちの生活と関係ないものとするように
まるでこの先は恐ろしいものだと言い聞かせるように

でも、海がすき

これが私の地元だって  暖かい気持ちになるから

いつまでもこの街に住んでいたいね
今年から離れるけど
絶対に戻ってくる  やりたいこと、自分のものにしてここで、この街でやるんだ〜


結局いつものように何を伝えたいのか分からなくなっちゃったな〜

もしかしたら何も伝えなくていいのかもしれないし
言葉にするだけでいいのかもね  

ん〜言葉にしなくてもいいのかも
ただ思い出すだけで

復興に目を向けて10年
今度は違う形で、世界を襲われて、
命も青春も奪われて

これでもかってぐらい次々に災害が起きて、
災害って何十年経っても美談にすることは出来なくて

でもそこから何か一つでも、感じ取ることが出来たらいいな

この日  
私は未だに誰かと遊ぶ約束をすることが出来ない

私はこの日、楽しいを感じていいのだろうか
そのほか364日は気にもせず笑顔なのに。

これから何十年先も私はこの日に自分から予定を入れることはないだろう。

この日だけでも、そして少しだけでも
思い出し、考え、口に出し、
そんなことを続けていくのが経験者であり、生き残された私達の最低限の使命なんだろうな


一生懸命生きようね

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