私が新卒で入った会社を鬱で辞めるまで

去年の12月、新卒で勤めた会社を辞めた。

会社自体には1年近く行っていなかった。

原因はパワハラやらそういうありがちなやつなのだが、終盤の自分は泣きながら会社を飛び出すOL状態だったのでおよそまともな精神状態ではなかったように思う。

私はまあまあ名前の通った大学に通っていて、そこの会社には学歴の暴力で受かったと言っても過言ではないと思う(いや採用基準とか知らんけど)

でも蓋を開けてみたら(こうなることを予想してあえて公言していなかったにもかかわらず)「○○大学なのにこんなこともわからないの」のオンパレードで、村社会みたいだなと感じて心底げんなりとした。ちなみに「こんなこともわからない」というのは書類の名称やら何やらそういう、社内に長くいないとわからない類の話。私は大学で勤怠の登録の仕方や残業申請のやり方を習っていたわけではないので、そりゃ聞かなきゃわからない。聞いたら○○大学なのに〜と言われる。何やねん。

そんなこんなが重なって始業と同時に涙が止まらないこともあった矢先、一通のメールが届く。

私は会社員の傍らで創作同人誌を描いていて、それをとある電子レーベルさんで連載しませんか、というお誘いだった。ありがたくもこの話で良縁をいただき、私は兼業漫画家として活動を始めることができた。

漫画家と正社員の両立はそこそこ大変だったがやりがいはあった。少なくとも、くだらない噂話や他人の悪口に盛り上がる社員の人と関わっている時間より、創作活動に割くほうがずっと有意義に感じられた。担当さんめっちゃ褒めてくれたし。

私が会社にいけなくなった引き金は、パートのおばさんの1人に無視されたり、軽いいじめ(というと少しだけ大袈裟だけど)を受けたことだった。

私がやってもいないことを名指しで怒られて罵倒され、朝挨拶をしても無視され、私以外全員の卓上カレンダーに「○○課女子会♡」と書かれている。(いや、誘われてもどうせ断るからいいんだけど)

原稿で疲れていたのもあったと思う。寒い冬のある日、私は彼女が出勤する時間と同時に、トイレで嘔吐して動けなくなった。

泣きながら課長にもう無理だと伝え、そこから休職に入る。この段階でメンタルクリニックには通っていて、会社の人には初めてその話をした。たまたま薬を切らしてしまっていたので、その発作だったのかもという話も伝えた。彼もメンタルをやった経験があったらしく、理解を示してくれた。

1月後、副支店長と面談。「薬をきちんと飲んでいれば防げたんでしょ?」と言われる。なんだこいつは。そもそも薬を飲まなければならないような状態を放置していたのは現場管理をしているお前じゃないのか。……と、いまならいくらでもキレ返せるが、当時は相当参っていたので「はい」と「すみません」しか言えなかった。

翌月。私が治ったと思い込んだ副支店長から、通院に人事の知らないオッサンを同行させることを聞かされる。どうやら復帰するときに病院の先生と人事の人とで話をしないといけない決まりらしい。人事は私のお母さんか?そもそも復帰の目処の話なんてしていないし、立ってもいない。不信感が増す。

人事のオッサンに対して猛烈なATフィールド(八角形のほう)を張りながら通院し、適当に相槌を打つ時間がとにかく苦痛だった。結論から言えばこのオッサンも被害者で、副支店長がクソだったというオチなのだけど。

そこから半年は、傷病手当をもらいながら生活した。これは会社に積み立てている色んな保険(給与明細から毎月アホほど引かれているアレ)から出ているやつなので、何ら気兼ねする必要はない。……と思いつつ、やはり働いてもいないのにお金を貰うのは辛かったので、水面下で就活をする。ストレス源から解放されると人間というのは少しずつ回復していくようで、半年もすればそこそこの活動は可能になった。会社に戻る気はさらさらなかったが、諸事情で扶養しなければならない人物もいたので金は必要だった。

結局ウェブ系のベンチャーに内定し、2018年の12月に退職。「明日から新しい職場です!」と言ったら人事のオッサンの目が点になっていた。あと副支店長に言われたことはチクっておいた。これが少しでも考課に関わってしまえばいいと思う。

……まあ、その内定したベンチャーも潰れるので、2019年の10月から無職になるんですけどね!!!!!どうしようね!!!と思いつつ、このときほどの辛さはなかったな、と思ったので思い出にこのノートを記しておきます。

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