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きむらのサッカー人生~高校生編③

中緩み

2年生になり、監督が変わりました。ゼロからのスタートだと、気合を入れて臨みました。1年間のスタートは、静岡で行われるスーパーリーグなのですが、最初はずっとBチームで出ていました。1年の時はセンターバックを主にやっていましたが、監督が変わりボランチでプレーすることが増えていました。監督が変わったことで多くの環境が変わり、評価基準、求められるプレーの違いに戸惑い、試合に出られないことに不満が溜まっていきました。思い通りにならない自分の環境に不貞腐れ、モチベーションも無く、「辞めたい」と何度も口にしていました。当時2年生には同じような状態の選手もいたと思います。そんな状態でプリンスリーグが開幕しますが、私自身、ベンチ入りするものの試合には出られないだろうなと思っていました。しかし、自分たちの代でプレミアリーグに昇格するためにはプリンスでリーグ優勝しなければなりません。そして、開幕戦。チームは日本文理高に負け、私自身出場はなく。ただただ不満を漏らしながらウォーミングアップしていたのを覚えています。第2節の北越高戦、なぜかセンターバックでフル出場し、敗北しました。第3節の長岡向陵戦、出場はなくチームは敗北しました。開幕三連敗。今思えば最悪なチームの状況だったと思います。私自身も、ベンチで試合を見ながら愚痴ばっか吐いてました。そこで、なんとか頑張って試合に出ようと決意しました。練習から意識を変え、環境のせいにしててもしょうがない、そう思ったんです。5節あたりから試合にではじめ、ボランチでフル出場する試合も増えてきましたが、チームの結果は出ず、そのままクラブユースの北信越予選に向かいました。寮では、同じ2年の選手と、「このままじゃまずい」「県リーグに降格する」などと話し、俺らが頑張るしかないと結論づけました。クラブユース北信越予選は、決勝で敗れたものの全国大会への出場権を得ました。私はクラブユース前に怪我をし、本戦には帯同しませんでした。チームは予選敗退し、夏の大会が終わりました。そしてまたモチベーションも無くなり、試合に出られない日々が続きます。プリンスリーグではベンチ入りすることもなく2部リーグに出場していました。2部リーグでは、やる気がなく怠慢なプレーばかりしていました。プリンスリーグも勝ててないし、大会もないし、プレミア昇格もない。やってて何も面白くない。ずーっとそう感じながら2年生は終わっていった感じです。冬のJユースカップも早々で敗退し、3年生は引退しました。

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