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一人で過ごした時間の先に現れる誰か

5年ぐらい前の夏休み、一人で奈良と三重に行った。
旅の最大の目的は、三重にある赤目四十八瀧を見ること。学生時代に車谷長吉の小説「赤目四十八瀧心中未遂」を読んで圧倒され、何の展望もない男と女が物語終盤に訪れるこの世の果てのような場所を、いつか自分も歩いてみたいと思ったからだ。要はオタクの聖地巡礼のような感じ。

誰かを誘おうとは思わなかった。私の「赤目四十八瀧心中未遂」への愛と、そこから派生した赤目四十八瀧への憧れを共有してくれそうな人が、周りにいなかった。
この小説は直木賞受賞作で、映画化もされている。しかし文体は硬めで、本に馴染みのない人にはハードルが高い作品だし、作者の車谷長吉の知名度も決して高くはない。映画はR18指定で大々的に上映されていなかったこともあり、それまでタイトルを言って分かってくれる人に出会えたことはなかった。
旅行に誘えば来てくれそうな友達なら数人思い浮かぶものの、私と同じテンションで瀧に向き合ってくれるとは到底思えない。それぞれ自分の生活で忙しい彼女たちに小説を読ませて布教する気にもなれないし、一人で行く方が気を遣わなくていいか。人と関わらず、自分の世界に籠っているだけの過ごし方はあまり良くないのかもしれないが、結局そういう展開になってしまった。
行く前にはまだ観ていなかった映画の方もチェックし(寺島しのぶが放つ生のエネルギーは圧巻)、私のテンションはますます上がった。

実際の赤目四十八瀧は、私の思い描いていた空間とはかけ離れていた。
小説や映画の中では、そこは切り立った岩だらけの深い森で、主人公の二人以外に訪れる者もなく、流れ落ちる水の轟き以外は何も聞こえないはずだった。
しかし目の前の赤目四十八瀧では、夏休み真っ只中だったせいもあるが、四方八方で親子連れや若者たちが喋り、騒ぎ、水辺で遊んでいる。映画で麦わら帽子の男の子(恐らく幽霊)が座っていた岩場には、レジャーシートを広げてお弁当を食べる数組の親子が!
森の奥へと進んでゆくと急な岩場を登ったり下りたりする険しい道もあり、物語の中の二人は生と死に思いを馳せながら通ったのだろうが、そういう場所に差し掛かったところで「ここ滑るからちゃんとロープに掴まりなさいよ!」「わかったー」などという親子の会話が聞こえてきたりするので、小説の世界観や二人の心境を追体験することが一切できない。

どうなってんだ……! もっとこう……静謐な、ミステリアスな空気に浸りたくて来たのに、これかよ……!

と心の中で叫んでみても、それを共有する相手はいない。この先あの小説を読んだことがある人に出会う確率なんてゼロに近いし、この気持ちは一生、誰にも知られずに私の中に留まっているんだろうな、と思った。その時は。

それから数年が経った。私は自分で小説を書き始め、新人賞に出し、落とされ、書き直したものを別の新人賞に出し、落とされ、燃え尽きていた。平日は会社に行き、土日はなるべく予定を入れずひたすら書くという生活を3年以上やってきて、人との関わりが希薄すぎる自分の人生に危機感を覚えた。もっと人がいるところに出ていくべきだ……。写真教室に通ったり、ミスiDのイベントに行ったり、SNSを始めたりした。

ツイッターで好きな本屋のアカウントをいくつかフォローしたら、本関係のニュースやイベント告知がタイムラインに流れてくるようになった。
ある日、東京の下町にある本屋で開かれる読書イベントの告知が目に留まった。読書会には興味があったものの、既にメンバーのコミュニティができてしまっている会にうっかり参加して浮くのも嫌なので、行ったことは一度もなかった。しかしその告知には「第1回」と書かれていて、予約不要、当日ふらっと来てもOK、時間内は出入り自由、とあった。内容も、課題図書を読むのではなく、好きな本について緩く語り合うというかなり気楽なものだった。主催している人のアカウントを覗くと、真面目に考えられた言葉がツイートされていて、信頼できる気がした。
当日行く気になったら参加してみよう。私はスケジュール帳に予定を書き込んだ。

イベントの日、私は2冊の本を持って会場の本屋へと向かった。1冊は都築響一の「夜露死苦現代史」(サイン入り)、もう1冊は「赤目四十八瀧心中未遂」。
イベントスペースになっている本屋の2階に着くと、主催者の女性がいた。その時点での参加者は、私だけだった。
「あの、好きな本について語り合う会って、ここですか?」
「はい。来てくださったんですねー、ありがとうございます」
5~6人くらいで喋るシチュエーションを思い描いていたので、初対面の人と一対一で本の話をするというのは想定外だった。ものすごく本の趣味が合わなかったら辛いが、ずっと人との関わりから刺激を得たり学んだりすることを怠ってきたのだから、今はそういう経験も自分と違う価値観を体感するチャンスとして受け止めなければ……。覚悟を決め、持ってきた本2冊をバッグから出した。

「あ、赤目四十八瀧心中未遂! これ、いいですよねー」

衝撃だった。この人、この本読んだことあるの? すごい。ディープに語り合える予感がした。

「私、この本好きすぎて、赤目四十八瀧に行ったんですよ。でも実際に行ってみたら、現地の人はトレッキングのスポットとして認識してるみたいで、親子連れだらけで、あの静謐な感じが全然なかったんですよ! 関東の人にとっての高尾山みたいな場所なんですかね……イメージと違いすぎてショックで~」
さっき出会ったばかりの人が、私の言葉に笑っている。話が通じることに、私は感動していた。

「好きな本にこれ挙げる人、初めてです。会ったことない」
「やっぱりストーリ―も強烈だし、文体も癖があるから、誰にでも薦められる本ではないですよね」
私たちはさらに延々と喋った。どんな本なら人に薦めやすいか。どんな本に惹かれるか。主催者の人がやっている、本を広げる活動、場を作る活動ってどういうものなのか。生活のための仕事と、プライベートと、その間にある生業としての活動について。
気付いたら2時間以上が過ぎていた。私がいる間、他の人は来なかった。

本屋を出て駅までの道を歩きながら、さっきまでのやり取りを思い返し、自分の価値観が静かにアップデートされてゆくのを感じた。
それまで、読書や一人旅を楽しいと感じる自分は自己完結人間で、人よりも物に満たされるタイプだと思っていた。でも今日、その一人時間の集積のお陰で、初対面の人と深い部分で繋がることができた。こんなことあるのか。嬉しい驚きだった。

対象が人ではなくても、しっかり何かを愛し、何かと向き合ってきた経験は、無駄ではないのかもしれない。自分を満たしてくれるものを知っていることが、自分と関わる誰かにとって、想像以上に大きな意味を持つこともあるらしい。

それ以来、「モテる趣味を探せ」「男受けのいい習い事をしろ」「人脈を作りたいならゴルフ」みたいな世間の声に従うより、自分の偏愛を突き詰める方が、自分に合う人を引き寄せることに繋がっていく気がしている。今は自己完結人間の人も、自分を満たしてくれるものへの愛を徹底的に(犯罪にならないような形で)煮詰めたら、それを誰かとシェアできる日が来るかもしれないですよ……?


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