タイトルなし

2つの顔

学生時代、雑誌を買っては、女の子の写真を眺めていた。
少女の面影を残した「Olive」や「Spoon.」の女の子、クールで洗練された「mini」のモデル、我が道を行く「Zipper」のクリエイター女子、それぞれの輝きに魅了された。その頃登場したお洒落グラビア雑誌「smart girls」や「月刊」シリーズなどもよく覚えている。女性の体をスタイリッシュに撮った綺麗な写真が載っていて、女なのに惹き込まれた。グラビア写真が気になり出して、たまに青年誌も買うようになった。

女性ファッション誌では、ハーフのような彫りの深い顔、ぱっちりした二重の目、スレンダーな体型が好まれることが圧倒的に多い。でもグラビアの世界の女の子たちは、顔も体型もばらばらだった。そこでは、健康的な丸みがむしろ強み。腰が太くてモデル体型とは程遠く、顔ものっぺりしている私は、少し肯定されたように感じた。

「Sabra」という雑誌を見ていた時、一枚の写真が目に留まった。細い二重の目と彫りの浅い顔立ちが印象的な、ちょっと野暮ったい女の子が、大きな口の端をにっと上げて笑っていた。太陽の下、水着姿の彼女は、豊かな胸とお尻も手伝って、素朴な生命力に溢れていた。
一見その辺にいそうな顔の子が被写体として選ばれ、美しさを引き出してもらっていることが嬉しかった。電車の中吊り広告で彼女の写真や名前を見つけるたび、密かに活躍を喜んでいた。

しかし数年後、私は彼女と衝撃の再会を果たすことになった。

その日、私はコンビニの雑誌売り場で、彼女の名前が大きく掲載された青年誌を見つけた。しかし、表紙のビキニ姿の女性は、別人の顔をしていた。どちらかと言えば細かった目がぱちっと丸くなり、鼻の鋭角が前よりも際立って、素朴な雰囲気がどこにもないのだ。体のボリュームだけが、原形を留めていた。
恐らく、整形だった。

彼女が手に入れた都会的でシャープな美人顔と、失われた素朴な顔を交互に思い返すうち、疑問が次々に浮かんできた。

なぜ、彼女は手術を受けることにしたのだろう。自分のなりたい顔になるため? タレントとしてもっと人気になるため? あの独特の野暮ったさは、彼女にとっては魅力ではなく、欠点だったのか?
彼女の素朴な佇まいをいいと思って採用したであろう事務所の人はどう感じているのだろう。あの雰囲気が魅力的だと思っていたファンやオタクは?

彼女が私に突きつけてきたのは、「美しい顔」という概念の不確かさだった。それまで整形手術の広告に「手術後」として出ている顔こそが美しいと信じていたけれど、本当にそうなのだろうか。手術によって顔面が華やかになるのは間違いない。でも、華やかさ=美しさと言えるだろうか。
バラエティ番組のひな壇なら、華やかな顔が似合う。しかし新しい顔の彼女が、太陽の下、水着で笑顔を浮かべている写真を撮るとしたらどうだろう。そこに、かつての彼女の写真が発していたような生命力は宿るだろうか。想像でしかないが、写るのはもっと異質な気配になる予感がする。

美しくなるためには、美しい顔に生まれるか、美しい顔に整形することが必要なのだと思っていた時もあった。しかし、目指すべき「美しい顔」を定義する限界を知って、意識が変わった。それなら、自分が美しいと思うものを信じるだけだ。そして彼女が、新しい自分の顔に満足していることを願うだけだ。

昔ほど雑誌を買わなくなってしまった私だが、新しい美しさを提示してくれる存在を求めて、ネットやSNSを日々眺めている。美の正解が一つじゃないなら、誰かにとっては私も美人かも? という淡い期待を胸に。

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