セルフネグレクトネットライフ

うずくまり渦になる。洗濯機の音。トイレの流水音。それらを聞きながらキッチンで膝を抱えた。タバコの煙に甘える気にもなれない。胸が塞がるような感覚とは、もう長い付き合いになる。ただただ無性に哀しいと感じるのに、その正体が掴めないまま頭を悩ませるのはいつものこと。早く眠らなければと思っていても、眠ることすら面倒くさい気がして身動きが取れない。最後に時計を見た時はもう十二時を過ぎていた。この悩みに悩むプログラムが始まってから、どれくらいが経ったんだろう。歯を磨かなければ。着替えなければ。シャワーはもう、明日の朝でいい。眠れば朝が来る。本当にそれでいいの?今日の中でやり残したことはいくつある?また仕事ができなかった。部屋が片付けられなかった。書類の手続きに必要なのは年金手帳だっけ。どこにしまったのかも思い出せないし、また今日も探せなかった。面倒くさいから後で、とし続けけた結果、また今日も十二時を過ぎてしまった。また今日も何もできなかった。面倒くさいと思っているうちに時間はずっと過ぎていく。そう思っているぐらいなら行動すればいいのに、もっと遊んでいたくて、もっと誰かと話していたくて、もっと誰かに私の話を聞いてもらいたくて、ぐるぐるとインターネットの海を泳いでいる。また今日も同じことをしてしまった。私の中に誰かに聞いてほしい何かがあるのに、それを打ち明ける相手がいない。それを打ち明ける相手が選べない。私なんかで時間を奪ってしまうにはもったいないと思う友人ばかりで、それならば私ひとりで悩みを解決させればいいと考えて。今となってはただただ人恋しい思いばかりが先行して、誰か、誰か、と、うわごとのように呟きながら声をかけられるのを待っている。
最後に人から抱きしめられたのはいつだろう。
最後に人から頭を撫でられたのはいつだろう。
最後に「愛しているよ」と言われたのはいつだろう。
最後に誰かにワガママを聞いてもらったのはいつだろう。
脳から渦巻く何かが口の中を乾かせる。渦は喉を通り心臓まで達して、哀しむ感情を増長させる。
私が私として在る必要が見えない。
私を私として必要にしてくれる人がいない。
親も友人も誰も彼も、ここにいる私が私でなくてもいいのだろう。そこにいる誰かが私だったとしても、それはそれで良かったのだろう。
最後に人から名前を呼ばれたのはいつだろう。
世界から見捨てられたような錯覚が抑えきれなくて、自分自身の尊厳がどうでもよくなる。
私がどう在っても誰にも関係ないのでしょう。
私がどう成っても世界には関係ないのでしょう。
だって私を必要としていないんだから。
私は何をすればいいのだろう。
私はどう生きればいいのだろう。
誰にも必要とされていないのに、自分を自分として際立たせておく意味もないんじゃないか。

うずくまり渦になる。そうであっても、寝なければ。明日も仕事だ。洗濯はとっくに終わっているけれど、干す気にもならない。明日の朝、干せばいい。そう、全部明日。今日はもう面倒くさいから何もしたくない。明日を迎える為に眠ることすら、面倒くさい。明日を迎えたくない。どうせ明日もまた遅刻寸前まで眠ってしまうんだ。私じゃなくてもいい仕事をする為に、眠らなければ。嫌だ。
このまま時間が止まって何も変わらずに居られればいいのに。私がいなくても進む世界に存在し続けなければならないなんて、悔しくて苦しくて嫌だ。

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