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泣かせるサウナ、泣く女

特別な日の朝は、前髪を切りたくなる。
洗面台で銀のはさみを潔く真横に入れた瞬間の、古くなった自分を削ぎ落とすような清々しさ。前髪を切ることも、爪を切ることも、サウナやアカスリも、わたしにはある種の禊ぎに近い。

待ちに待った特別な日。
男性専用サウナ「北欧」の女性解放日。
数ある男性専用サウナの中でも、ニューウイング、北欧、ウェルビーには、何か他とは違う格段に強いあこがれがあった。「絶対に入れない」からこそ無限に高まってしまう秘仏的な神聖さや、圧倒的な情報量からのバイアスを抜きにしても。
前髪を切って、爪も切る。ペディキュアを塗り直して、お気に入りの服を着た。
今日は特別な日なんだ。

そわそわしながら16時過ぎまで仕事をして、電車に駆け込んで上野駅のホームに降りた時にはもうみぞおちのあたりが痛いくらいに緊張しきっていた。
もう楽しみなのか怖いのかなんだかよくわからない感覚で、思わずホームで立ち止まってしまって動けない。空が青い。ただただ空が青かった、この空の下で外気浴するのは気持ちいいだろうなあ。
たぶんその時、笑っていた。
今この瞬間、ここで、わたしだけが、これから訪れるであろう幸せに浸っている。だってこれから、どこに行くとおもう?

上野駅、入谷口改札から出るのは初めてだった。これから北欧に行く、という人にそこで手を振ったことはあったけれど。
見慣れない景色にさらに緊張は高まって、口紅を塗り直した。これからサウナに入るのに。
いつも通り少しだけ道に迷って(裏口だった)写真でよく見たあの赤い看板に胸が高鳴る。来たんだ。来たんだよ。

イベントとはいえサウナだし、なるべく平静を装ってゆっくりと「いつもどおり」かそれ以上に念入りにに全身を洗う。今日のために出してくれたのだろう、新品の石鹸が嬉しい。洗い場に吹き抜ける風が、まだ外の気温を残して火照る身体をなだめるようだった。

サウナを知りたてのころは、未知のサウナ室にはやく入りたい一心で、烏もびっくりの大慌てで身体や髪を洗っていたけど、最近は初めての施設ならなおさらサウナ室に入るまでに時間をかけるようにしている。
浴室の持ち物をしっかりチェックしたり、時間をかけて洗ったり…サウナに入るまでの過程をより丁寧に焦らしていくような。

イベントよろしく、サウナ室にはおそらく定員ぎりぎりの人数の女たちがずらりと並んで座っていた。あいているスペースを見つけて滑り込む。20名ほどは入っているだろうか、でも、皆それぞれ一人分のスペースで「自分の世界」を楽しんでいるようで、この人数が入っても(奇跡的に)静まり返ったサウナ室に、小さな古いテレビのどこか懐かしいような音声と、浴室からきこえる音だけが響いていた。
サウナ室は聞いていたとおり、素晴らしかった。100℃を超える熱さに程よい湿度。もう本当に最近は毎回これしか言っていない気がする、「熱さと程よい湿度で、痛くない重くないやさしくて力強い熱」。

どんなサウナ室も、どんな水風呂も愛しい。温度が低くても乾燥していても、水風呂の温度が高くても、入りかた次第でそれをそれとして楽しむことができるし、毎回、よかった〜!と思うのは事実。だから、わたしは意地でも、「こういうサウナが好き」「こういうセッティングだと最高」というのを突き詰めたくなかったし、あまり言いたくなかった(言うけど)。
ヒリヒリのサウナ室や真夏のぬるい地下水も愛したかったし、事実愛しているし、なにかとなにかをを比べたりいちばんを決めるようなこともしたくなかった。
それでも、思い出すだけで涙が出るような、そんなサウナがあることも、悔しいけど事実だった。

この熱さならいつも早めに出るところを、ぐっと堪えてじっくりと芯まで蒸しあげる(蒸す、という表現があまりにもしっくりくる)。
そうは言ってももともと堪え性のない性格なので、長くは座っていられないのだが。
水風呂はよく冷えていて、意外な深さに思わず耳まで一気に浸かってしまった。
あ、これはもうだめだ。もうだめだ。
思考が停止して、ただ水風呂が血管の奥まで冷やしていく感覚、その感覚だけがわたしを形成していた、ただ熱されて冷やされるだけの器になる、いま、今…

外気浴スペースの椅子に身体を預けて、ただなまぬるい夏の風と重力を感じていた。ふっと身体が軽くなる瞬間が好きだ。

何セットか繰り返して、何度もこの感覚を、このサウナをこの水風呂をこの空間を刻み込もうとした。
もう二度とここには来られないかもしれない、たぶん、たぶんもう二度はないことを、その度に思い出して悲しい。こんなに好きなのに。

はやく現実に戻りたい。戻れなくなる前に。

恋してるみたいだね、と言われた。
みたい、じゃなくて、恋なんだ。
いつかサウナを嫌いになる日が来るのかもしれない。好きじゃなくなる日が、あるいは、好きなのに行けなくなる日が。
まるで10代の恋愛みたいに、くるかもこないかもわからないいつか、を考えて、泣いてしまう。
でも、今はただサウナが好きで、好きで、それでいい。今日もなにものでもないわたしを、なにものかでありたいわたしを、サウナはただそこにあって、許す。

#北欧女子会 #サウナ北欧


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今日の子

なにものでもない サウナが好き
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