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【回顧体験記】ボクは障害者21歳。〜ボクが中途障害者になってからの21年を紐解く〜①

ずっと書きたかった。

ずっと残したかった。

ずっと伝えたかった。

ー今回は、ボクが中途障害者になってからのこの22年の積み重ねてきた思いを、1年1年紐解いていきながら、ボクの五感で感じてきたもののを共有させていただくことで、 このノンフィクションの回顧体験記を読んでくださる皆様の人生に、少しでも何か感じるもの、得るものなどお役にたてることができれば幸いです。

では、ボクは心の「タイムマシーン」に乗って、現在の2022年から中途障害者の発端となった2000年までタイムスリップすることにしましょう―(気分はのび太くんの机の引き出しから入っていく感じ。ドラえも~ん(笑))。

2000年(平成12年)


序章 嵐の年の前夜ともいえる結婚という節目


2001年ーつまりこの年は、ボクが結婚した翌年になる。
さらに1年前の2000年の10月8日、28歳になろうとしていたボクは大学時代のゼミのクラスで一緒だった1つ歳下(つまりはボクは一浪入学、妻は現役入学ということがバレたわけだ(笑))の同級生の彼女、つまり現在の妻と約5年あまりの付き合いの末、妻の希望であった家族だけを招待した結婚式を20世紀末というレア感満載のミレニアムウエディングをハワイで挙行した。

1週間あまりの新婚旅行を兼ねたハワイから帰国後、ボクと妻の結婚生活が始まった。どちらも両親含む家族と同居の実家からの引っ越しで初めてのことだらけだった。

でも何もかも新鮮で、それでいて毎日が楽しくて、何よりもこんなボクでも結婚できたという信じがたい事実と嬉しさが交差して充足感に包まれていた。

さらには、その1ヶ月を過ぎたときには、妻のお腹に一人目の子(後の娘)の命が宿る。

まさにボクには人生の絶頂期だったと思う。

結婚前まで抱いていたボクの全身に当てはめられた自信のないキャラはどこへやら(笑)、何もかも自信で満ち溢れ、困難があったとしても、乗り越えられるといった自信がまさにを覆っていた時。

と同時に、うまれてくる子供の父親になるという緊張感というか、身の引き締まる思いがしていた。一方で「こんな子供同然といった父親でいいのか?」という一抹の不安を抱えていたのも事実だった。

そうこう言っているうちに、いつの間にか新居で迎える初めての年末になる。そしてまさに20世紀最後の日である大晦日を、当初ボクが介護職として、勤務していた福祉施設では当たり前の出勤日で過ごしていた。

そんな絶頂期のボクを奈落の底へ突き落とす出来事が、この翌年2001年にボクを襲いかかるようになろうとは、ボクはもちろん、周りの誰一人知る由もなかったー(②2001年へつづく)。



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