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【回顧体験記】ボクは障害者21歳。〜ボクが中途障害者になってからの21年を紐解く⑧〜

(その⑦より続く)
昨年(2003年)のまさかの肺への転移性腫瘍の発覚により予想外の再入院・手術を受け、右足のみならず胸にも傷をつくることになったボク。
改めて、この腫瘍、つまりは「ガン」の恐ろしさを思い知ったのであった。

2004年(平成16年)

第7章 転移性肺腫瘍という存在


この転移性肺腫瘍が新たに自分の既往症になったおかげで、この腫瘍の再発などもしばらく様子観察することになったボク。
それまでも再入院した病院へも半年に一度くらいの間隔で、再診を受けに行っていたが、こんな再発という残酷な運命を迎えるまでは、結構この再診日は「楽しみ」になっていた。

というのも、自分の中では、「もうあれだけ右足の過酷な治療をしたあとだし、転移ももうないだろう」という根拠のない安心感をなぜかボクは持っていて、病院の場所もちょっとした郊外の観光地だったためか、ちょっとした旅行だったのだ。

だが、この再治療を機に、一瞬にして再診日自体が「恐怖」の日になってしまった(笑)。

ちなみにこの頃の再診の流れとしては、これまでの右足「整形外科」のみならず、前年入院した「呼吸器外科」という医科も増えてしまったボク。

遠方の病院へかかっていたため、なんとか2つの科を一日で回れるよう診察日をあわせていただき、仕事も希望休をとって・・・と体力勝負の通院だった。

ただ、これらの通院でやっぱり緊張・・というかもう恐怖感を覚える一瞬は、やっぱり検査結果が出て診察室に呼ばれるとき。

永遠に来てほしくないとありえない期待をしながらも、さらに前年、肺への転移性腫瘍発覚時の告知の「あの」日のフラッシュバックが必ず起きていた。

足の場合と違うのは、再発への注意だった。

脚のときは、むしろ同じ場所の再発、さらにはボクにとっては健足となる左足への転移というのもほぼ起こりにくい(むしろ起こるとすれば新たに発生するパターンだとのこと)ということもあり、再診は脚に異常さえなければ大丈夫という気持ちがあったのかもしれない。

しかし肺は自覚症状もないうちの再発だったので、いつまたどこかに潜んでいてレントゲンなどの画像に姿を現す可能性がある。

3ヶ月ごと、半年ごとと再診の間隔が長くなるほど再発率が少なくなるとは言われているものの、ゼロではないため、毎回再診日の朝は憂鬱だった。

ボクはだいたい病院に限らず、外出時の移動中は大概音楽を聞いていることがほとんどだ。

しかし、この曲だけは聞けない、聞きたくないというものがいくつかある。

それは、その曲を聴いた日に、今回の再入院といったショッキングなことがたまたま起きたという理由からだ。

だからこそ、この曲は絶賛というアーティストなどは、こんな日には聴かないよう配慮していた。

フラッシュバックでその時のことを思い出し拒否反応を起こすことになるからだ(笑)。

そんなことにも注意しながらも、このときは再発可能性がほぼゼロになる治療して5年後になる2008年を本当に心待ちにしながらも、まだ始まったばかりの再発への恐怖と必死に対峙していたのだ。

(その⑨へつづく)























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