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【回顧体験記】ボクは障害者21歳。〜ボクが中途障害者になってからの21年を紐解く⑬〜

(その⑫より続く)
さて、右患足の運命の人工膝関節置換術を受けた2007年から年も変わり、なんとなくやら,いつの間にかやら、徐々にではあるが、人工膝関節もボクの足たに馴染んできたようだった。

ではそんな2008年に振り返ってみることにする。

2008年(平成19年)

第12章 人工膝関節の使い方

2008年になり、ボクの患足に入った人工膝関節はボクの生活を激変してくれた。

というのも、手術前から歩くごとに右膝に走る激痛、いつも腫れた膝のときのような熱感、歩くのに膝負担をかけないようにと、松葉杖でおそるおそるあるいていたストレスフルの毎日から開放されたのだから。

手術直後まで歩行で使用していた松葉杖から、杖は両脇を挟む手間を省いた構造になっているロフストランド杖というものに変わった。

すると、ボクの場合どうなるのだろう?

予備知識としてここでお伝えしておくと、自分でいうのもなんだが、もともとボクは歩くのが速い。ようはせっかちなのだ。

ちなみに前職の職場でもボクが通り過ぎたあと、壁に貼られている掲示板のプリントが風圧で飛ぶほどの勢いだったという逸話がある(笑)。

それほどのスピードをもつボクの右足は、術後の仕事復帰後というもの、周囲の環境に流されやすい性質を持つボクが、ほぼ自分の骨で歩いていたころとほぼ変わらない程度にまで筋力が回復するのに、そう長い時間はかからなかった(笑)。

ここからがボクの悪い癖。

もう「ダイジョブ」とばかり、自分の力を過信、無理な荷重を無意識にかけ続けていたように今となっては思う。

その証拠に実は一度だけ、この頃足のリハビリ目的で通っていた市民プールの脱衣場でうっかり患側の右足からつるっとすべり、しばらく痛みで立てなかったアクシデントも起こしている(おいおい、おじさん(笑)。

この転倒が原因かどうかは断定できないが、その後の定期的なメンテ目的の病院検査で、特殊な接着剤でくっつけていた股関節ぶぶんの自骨と人工関節部の継ぎ目に「隙間」が早くも見えるようだと主治医は当初から懸念していた。

さあ、このショッキング内容も当初は同居していた妻子には伝えまいと腹の奥底に無理やり押し込んでいた。

そんな少しずつの人工関節ずれやひずみが実はひたひたと音をたてながらボクの足を狙っていた。

このようなフリをかくと、来年もしや''・・・と勘のいい参加者の方からお叱りを受けそうだが、まあご想像におまかせすることにする(笑)。(その⑭へと続く)





















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