創作をはじめ、続けられること

ちょうど1年前の今日、初めてnoteに記事を投稿しました。拙さと必死さに溢れた文章で、正直もう読み返したくないくらいですが……(しかも厳密には2ヵ月後くらいにリライトかけてるし)。意識していたわけじゃないけど、せっかく気づいたので少しnoteについて書いてみます。

大学の先輩が「noteでいろんな人の記事やデザインtipsを読むのがマイブーム」と話していて、なんとなく情報収集の名目で登録。正確にはいつ作ったか思い出せないcakesのIDが存在していたので登録らしい登録すらしてないんですが。ちょうどその頃Twitterで見かけるtipsやデザイナーさんのブログのリンクが着々とnoteに引っ越され、ユーザー登録していないと「スキ」も押せなかったので、始めた当時はクローズドな環境の1アカウントからいろんな情報を取りに行く感覚でした。

それが今ではイベントに行けば感想や参加メモを書いたり、エモか呪いかわからないような感情を爆発させたようなデザイン備忘録を書いたりしているから不思議な話です。

はじめこそ「情報収集」なんて一丁前な目的を呈していましたが、初記事を投稿した当時、私は就職活動と生活環境の問題とそれらのストレスからくる強制泣き+自律神経失調で創作どころかデザインのデの字も怪しい状態にまで落ち込んでいました。スキルもクオリティも落として正直このままでは(一人の人間として)死んでしまうと毎日恐怖に呑まれていたあの時間は忘れられません。そんな状態で大好きなIllustratorを開いてもまともに手が動かなかった自分にとって、唯一できることはスマホを見て何か呟くか、それらをつなげてモヤモヤを言葉にしたり文章を組み立てたりすることでした。

重くて暗くて悩んだ文章が散乱している状態に変わりはないけれど、気づけば初めの遺書のような投稿の後も少しずつ見たこと聞いたことをnoteに記録するようになりました。勇気を出してブログ枠で申し込んだイベント参加やレポート記事が出会いやチャンスにつながることも。なんか未だに奇跡のように思えることもたくさんあります……。

今も昔もデザインについてあれこれ悶々とする自分にとって、noteの世界はとても不思議です。シンプルな目で見ればブログサービスですが、書くこと、作ること、話すこと、伝えること、あらゆる創作に寛容。皆が白紙に怖じけず初めの1ページを記せるお題やコミュニティ、ユーザー同士の知識や学びの共有文化もあります。さらにはユーザー同士が自身の作品に価値をつけたりサポートしたりできる制度もある、小さな経済システムまで成立している。

お前に言われても説得力がないと度々いろんな人に突っぱねられるのですが、私は何かを作ることやデザインに必要なのは資格や経験よりも世界を観察と丁寧な創作の積み重ねだと思っています。その小さなアクションが共有されたり、スキと言われたり、背中を押してもらえるような「始めるきっかけと続けるモチベーション」を作るシステムもnoteにはあるのです。

進化の過程で新しい課題やチャレンジもたくさんあるのだと思いますが、その変化の様子は自分自身毎日泣くくらい向き合っては深い宇宙に飛び込むデザインや編集の世界と似ている気がしました(メンヘラ)。追求するテーマに対してモヤモヤすることやポジティブなこと、課題を持つことの構造の近似性に気づくことも、私にとってnoteでよかったことの一つかもしれません。

実はnoteを今更始められないと話す友人にnoteでよかったことを紹介するためだけに非公式ファンブックをこっそり作ってしまったのですが……勇気がないので載せません。。

自分自身メンタルがくじけたり、周囲の仲間や世の中との価値基準のずれはたくさんあるので、ぱっと見でデザインを続けているように見えても「楽しく作り続ける」って本当に難しいなと思います。多分、楽しさだけで全てが続いてたら、泣きながらエントリーシートとか履歴書とか書いてないです(だからこそ自分にできることなんて限られているのにクリエイターがどうか希望を持ち続けられますようになんて言ってしまったりもする)。デザインがデザインになるまでが平和とは限らないけど、デザインが誰かを陥れたり苦しめたりするような手段にならないようにデザインをデザインする力もまた大事。

そんな中、noteにはプロダクトの世界を広げたり整備したり、あるいは守ったりする人々がたくさんいます。ユーザーでありクリエイターの人々も同じです。ちょっとした変化や催しも使い手それぞれにメッセージを送り、その元となる彼・彼女らの顔も見える。イベントを開いて交流の場を持つこともある。デザイナー、エンジニア、ディレクター……立場は様々なのかもしれませんが、みんなの顔が見え、全ての人がnoteを編む編集者のように思えます。雑誌系の編集をされていた先生のゼミに在籍していたせいか、私はこのプロダクトの優しさや真面目さ、何よりもエディターシップの塊のような誰もが心に持っている創作マインドの背中を押す世界が大好きです。

これからもnoteでよかったことが続きますように。

----------

追記

タイトルに「創作をはじめ、続けられること」とした割にあまり言及出来てなかったことに公開してから気付いたのでちょっとだけ……。このタイトルはnoteのミッション「だれもが創作をはじめ、続けられるようにすること」に由来します。

私にとってのデザインの話に限らず、何かを作るためのモチベーションやエネルギーは案外些細なことでばっきり折れたり、ふとした瞬間に途切れてもう二度と続けられない感覚になったりすると思います。デザイナーなのかそうでないのかふらふらしている身分ではありますが、共にデザインを学び、何かを作り、世界を広げた友人たちの中には、ある日突然作ることを辞めた人、どうしようもない不可抗力に諦めざるを得ない状況になった人もたくさんいます。

またいつかと言いつつ、もう二度と何も作れないかもしれない。

世界でこれほど焦りと無力感とプレッシャーに陥る感覚はありません。スランプや不可抗力に耐えきれず、どうしようもなく力が出せない時に手も頭も動かない自身に絶望するのは、制作を生業にするクリエイターに限った話ではないと思います。私はこの半年くらい、まさにそんな状態でした。

「だれもが創作をはじめ、続けられるようにすること」

デザインがデザイナーだけのものではないように、作ることが誰もに備わる力だと信じられるnoteのミッションに出会ってから、石頭の私の思考は少しだけ変わりました。泥臭くデザインのあらゆる方向に関わりながら「誰もが始められるなら、続けられるなら、続けるための休みの後に始め直しても間違いでは無いんじゃないか」と屁理屈スレスレの思考が少しづつ育てられ始めたのです。

手が付けられない状態だった「誰かのデザインの一歩を押す」ような意識も、noteの懐の広さを学んでいると「視野を広く持ちいろんなひとに伴走する」従来自分が一番自然体でいられる感覚を取り戻すことにつながりました。

私にとってのデザインは、きっとツールでも手段でもなく「デザイン」であって、強いて別な例えで言うなら「メディア」なのだと思います。それは他の人から見てとても扱いづらく、世の中の仕事の形にはうまく馴染まず、仲間やチームを混乱させるのだろうなといろんな人と話していて感じました。ごめんなさい。

ギャップや分かり合えない事実に自分が自分でいるきとを諦め、創作を辞めようかと思う瞬間だって毎日のようにあります。けど、作ることは自分にとっても力になるはずだから、自分のためにあるいはデザインのためにまた何か作っていいんじゃないか。そんなふうに落ち込んでは自分に言い聞かせる。

こんな根暗野郎がちょっと元気の源にしてると言ったからなんだという話ですが、私はこのミッションの存在もnoteでよかったと思えることの1つです。作り手とすべてのユーザーがこれからも作ること、編むことを続けられるよう祈っています。

これからもnoteといろんな出会いと制作とデザインが続きますように。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

noteを読んでいただきありがとうございます。サポートは自分とデザインへの投資に充てたいと思います。

「スキ」ありがとうございます!今日のラッキーブルーは…コバルト!
8

n300

〇〇デザインとデザイン〇〇をキーワードに、デザイナーとデザイン学者の間くらいを彷徨っているひと。色彩、基礎造形、グラフィック、エディトリアル、インタフェース周りが興味・制作対象。広報、体験ドリブンまわりの事例も勉強中。お金で買えないバリューのデザインが最近の問い。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。