デザインの原点とネガティブな昔話

自分にとってデザインを学んだことや続けたい理由を話すのは、よっぽど信用がある環境でない限り、もう死んでしまうのではと思うレベルで難しいことだったりする。口が裂けても話せない、ってこのことかなあと思ったり。理由は簡潔にいうと、ネガティブな歴史が結びつきすぎているから。

だからといって、デザインが悲しいことから逃避してのめり込んだり、不幸なエネルギーを燃料にしてポジティブ昇華を起こしたりした結果の存在じゃないことは、どうにか伝えたい。昔からある「人を常に疑う」ような視点や頭の使い方や、表面的な態度の先の心理を探ることと、多角的にテーマを見てコンセプトや表現のアプローチを決める思考はおそらく、自分の中の本質としては一緒なんだと思う。悲しいけど。

デザインをすることは少なくとも当時のような悲しい理由や恐怖感からくるものとは違うし、何か作ることは純粋に楽しく、その過程で人を陥れたり疑ったりするものではなかった、という判例が淡々と増える、それだけ。病むほどにいいものを作れることは基本的にないし、負のエネルギーを燃料にし続けていたら一生悲しいことだらけの世界を生きることになってしまう。デザインをしているときは、自分で自分を疑うこともたくさんある。付き合いの長い人と話した時でさえ「不幸なことを糧に昇華できたのがデザインなんじゃないの?」と言われることもあるけど、そういうこととは違うのだ。

デザインで大切とされる一番伝えたいことを明確に伝える工夫というのは、使い方を誤れば一番知られたくないことを大々的にバラしたりする罠にだってなり得る。マイナスとプラスの、常に中立的な視点を持ちたいし、どちらかに偏った瞬間、たぶん自分もデザインという存在も両方信用できなくなっていくんじゃないかと思う。

学生時代、日常的に会ったり親しい人ほどデザインと自分の結びつきを認めてくれることを知った。自分で「私はデザインが好き」という話をできたことは多分一度もなかったけど、何でもかんでも真面目すぎるくらい実直に、真摯に制作に向き合った。それが自分なりのデザインが好きという表現だったのかもしれない。「デザインは生きる術」なんて言い方したら壮大すぎるしあまりにアバウトだけど。単純なスキルや夢や職業としての存在じゃなく、人生のライフハックだということ、面接でなんて話せるのだろうか。飲み会でもしらけるだろうし、ランチタイムは全部を話しきれないうちに終わると思う。何よりあんまり知られたくない話と結びつきすぎて切り分けが未だにできない。きちんと話せたこともない。緊張したからとかじゃなく突然面接で泣いたことも数えきれない。

どうしたら自分の口でデザインの大切さや関わりを正確に伝えられるのだろう。みんな、どうやって伝えてて、どうやって伝えられるようになったんだろう。

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