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トイレについて

今日は珍しくトイレの掃除をしてやろうと思った。

掃除機の掃除は割と好きだが洗面台やトイレの掃除となるとちょっとばかし気合いを入れないと取りかかれない。
水回りの掃除こそ、こまめに掃除をしなければいけないと分かっていつつもうまくスイッチが入らない。

水回りの掃除をするタイミングというのが僕の中にはある。それは自分が口に物を入れる前から逆算して間を開けなければならない。なぜならトイレ掃除した後にチョコレートを食べたり、食事をすることはなんともばっちいからだ。
手を洗えばいいじゃないと言われそうだが、僕はとってもナイーブなのだ。手洗いの話題でナイーブなんて言えばとてもややこしいから表現を変えよう。僕の性格はとってもデリケートなのだ。


だからトイレ掃除した後は、その流れで風呂に入る段取りをしている。下着の変えにタオルを用意してからトイレの掃除に取り掛かる。そこまでして今日という今日はちゃんとトイレ掃除をするぞと思い立ったのに、いざトイレに入るとトイレクイックルが残り二枚しかないのだ。仕方がないがその二枚でできる限りの事はした。



トイレ掃除はやはり嫌いだ。


小学校の時、昼食後に掃除があった。教室を掃除したり、廊下の水拭き、そしてトイレ掃除。トイレ掃除はみんな大嫌いだった。臭いし汚いし、なんだかずっしりと心が重くなるのだ。

ある月曜日のこと。毎週月曜日の朝は全校朝礼があった。校歌を歌い、校長先生の話を聞く。そして司会の先生が「先生方で他に連絡はありませんか」と尋ねた。すると仲村先生が手を挙げた。この仲村先生という女の先生がとても怖かった。ショートカットで背が高くて声が大きくて、仲村先生が喋るということは即ち説教だった。僕たちはビクビクしていた。


仲村先生は開口一番、「みんなは掃除の中でどこを掃除するのが嫌いですか?」と言った。

みんなは静まり返った。
すると、場の空気を読んで一人の児童が手を挙げた。
「図書室です。椅子が多くて邪魔だからです。」


仲村先生はにこやかな表情で
「図書室は椅子が多くて大変やなぁ。他にはある?」

そして違う児童がまた手を挙げ、廊下と言った。理由は水拭きが大変だからだ。
しかし、先生は腑に落ちず再度児童に質問をした。

先生が言って欲しかった答えはみんな分かっていた。ただ怒られないように当たり障りのない答えを選んでいた。
先生はもどかしそうにしていた。僕は意を決して手を挙げた。
「トイレです。汚いし臭いからです。」

僕は怒られるかと思ったが、先生は笑顔だった。
「そう、トイレの掃除はみんな嫌いやんな。汚いから嫌いっていうのは先生もよく分かる。でも、お寺の人は修行の時に手で便器を綺麗に掃除するんやで」


そう言われたのだ。仲村先生の意思としてはだから君たちも汚いなんて言わずにちゃんとトイレを掃除しなよ。ってことだったのだと思う。
僕たちは驚愕の事実に納得した気になったが今になって思うのは、だからって僕たちもトイレ掃除をしなくちゃいけない理由にはならない。先生が言いたいところでは「下には下がいるから」と言っているだけに過ぎず、根本的な解決になってはいないのではないか。

全然話が変わるのだが、こんな風に一つのテーマを思いおこす時、脳裏に蘇るのはいつも小学生の記憶だ。どこまで本当の記憶でどこからが大人になるにつれて脚色した記憶かは分からないが、思い出すのはいつも小学生の僕だ。熊よけの鈴を鳴らしてランドセルを揺らす。そんな情景にいつも思い起こされる。

そう言えば小学校のトイレってなんであんなに怖いのだろうか。大人になった今でもあのトイレに入るのは怖いのではないか。そして小学1年生の時、僕はその怖いトイレに行くのが嫌で我慢をしすぎて学校の玄関でおもらしをした。そんな記憶は水に流そう。もちろんトイレだけにだ。これはNGワードか?


次回は「情報について」


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