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職業はエッセイストではないという事実

先日友人宅へ撮影に行った。

撮影のモデルとなるのは彼と同居している猫のニケだ。ニケにはたびたびモデルになってもらっている。ホントに可愛らしい猫なのだ。

撮影もそこそこに友人と昼食を食べに行くことになった。
そして家を出ようとした時、ニケが「僕も連れていってよー」と言わんばかりに玄関のドアの前まできた。ニケを連れて行きたいのは山々だけれど飲食店に連れて行くわけにはいかない。
友人は玄関脇にあった掃除機をニケに向けた。するとニケはあっというまに部屋の奥へと退散していった。猫はこぞって掃除機が嫌いなのだ。その習性を利用して友人はニケを玄関から遠ざけた。
なんだかとても悪いことをした気持ちになった。僕も連れてってよーと擦り寄ってくるのを追い払うことがとても不憫な気持ちになった。友人にもなんだか申し訳ない気持ちになった。


そして昨日、妻が自宅で落書きをしていたのだけれどその落書きの一部に掃除機が描かれていた。そこで猫はこぞって掃除機が嫌いだなということを思い出した。なんで嫌いなのかなと考えてみたら答えはすぐに出た。
よく考えたらわかることだ。自分と同等、もしくはそれ以上の吸い込む機械があれば誰だって怖くて逃げるということだ。だから猫に限った話ではないはずだ。人間も車の洗浄機に追いかけられたら死にものぐるいで逃げるだろう。なんだそんなことか。僕は一人納得した。


最近首の調子がすこぶるいい。何度も首の痛みに悩まされたということをこのnoteで書いてきたのだが最近は特にいい。そこには理由がある。
それは筋トレを始めたからだ。二日に一回、首の筋トレと背筋を反るような首のストレッチをしている。10分以内で終わるようなトレーニングしかしていないがそれをやりだしてからすこぶる調子がいい。首の痛みに悩まされて10年。病院、整形外科、整骨院に行き、ようやく自分にあった治療としてカイロプラクティックにたどり着いた。治療の効果が一番出たのがカイロプラクティックで、現在もメンテナンスという形で月に一回施術をしてもらっている。
病院、整形外科、整骨院、カイロプラクティック、先生の立場は様々だが共通して言われていたことがある。それは首の筋肉を鍛えろということだ。
散々言われて、散々言われて今回ようやく筋トレを行うようになった。そしてその筋トレは効果があるということがようやくわかった。なんだそんなことかという話である。

今まで筋トレをしてこなかった理由は、面倒だからだ。そして治療後は痛みがないから筋トレを怠ってしまう。痛くなってから治療を受けると筋トレをしてくださいと言われる、その繰り返しだった。それが今回四月になったことをきっかけに筋トレを始めたら効果があらわれたのだ。
たったそれだけのことで長年の悩みが吹き飛んだ。






なんだそんなことか。




なんだそんなことか。難しく考えてうまくいかないことがある。誰かの助言を素直に受け入れない時がある。でもきっとそのヒントは生活のなかで散らばっていたりする。

僕はエッセイストじゃない。エッセイストなのだけれど、エッセイで生計を立てている訳ではない。職業はエッセイストではない。こんなことはひた隠しにして君野ユウという人物は職業エッセイストだと言いたかったのだけれどそうじゃない。


本当は工場で働く会社員だ。
やりたい仕事ではないし、なりたかった職業でもない。ただ衣食住を安定させるために労働をしているにすぎない。それはそれで立派なことだと思う。世のサラリーマンの大半はそうであると思うし、僕はそういった人を尊敬する。
しかし、そう割り切ろうとしているものの割り切れないのが今の僕の現状だ。そして自己肯定感を高めるためにたどり着いたのが、会社の自分は労働としての働きであり、家に帰ると家での仕事をするという考え方だ。

家での仕事とは皿洗いや洗濯、掃除といった妻との家事分担の中で僕が任されている夫としての役割に加え、こうしたnoteでエッセイや記事を書いたりすること、LINEスタンプの制作である。
この家での仕事が自分を救っている貴重な時間である。家での仕事は全くもって苦じゃない。収入としては家での仕事はてんでダメだけど、価値としては充分にある。きっとこれは僕にしかできない仕事だ。


そんな風に思っていたのだけれど、一日の中で労働に占める時間の方が圧倒的に長い。その時間はホントにゾンビみたいな感覚だ。生きているのに死んでいる。そんな言葉がピタリと当てはまる。
もちろん給料をもらっているからそれ相応の働きはしなければいけない。しかしそのおよそ8時間という時間をただこなすということに脳が破壊されている感覚になる。ならば会社員としての働きをもっと頑張れよと言われたらグーの音も出ない。そのような人間をクズだと言われれば僕はきっとクズだし大人として社会人として失格かもしれない。




今、妻のお腹の中に赤ちゃんがいる。

父親が暗い顔して嫌だ嫌だと思いながら会社に行くより、生き生きと仕事をしている姿を見せたい。
夫としての仕事に加え、父親としての仕事が増える。父親としての仕事には生き生きと働くということが含まれていると僕は思っている。
収入を会社員としての労働から、自宅での君野ユウの仕事へと移行したいとおもっている。そんなことを考えているのだけれど、その方法がまだうまくつかめていない。
なんだそんなことか、という方法があり、そのヒントはきっと近くに転がっているはずだ。

僕はそう思っている。


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