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エッセイを書くときのポイントは「人となり」を伝えること

ズバリ、エッセイを書くときのポイントは人となりを伝えることではないかと思っている。


エッセイの定義はない。だからこそ自分なりのルールを作らなければならない。
いくつかあるルールは「エッセイストになるための7つの秘訣」で書いているのだが、「そういえばあれも自分に課しているルールの一つだなぁ」と時々思うことがある。

そのうちの一つが「人となり」を伝えることである。


人となりとはなんぞやとなると哲学めいた答えに迷い込んでしまいそうである。端的にいえばパーソナルな部分である。




つまり、今までどんな経験をして、どんな価値観を身につけたかそんなところに面白さがあると思う。その人が自分と同年代であったり、自分と同じような興味を持っている人であれば親近感も湧くことができる。時には新たな「気づき」を得るチャンスが転がっているかもしれない。


僕が書くこのエッセイはどうだろうか。
何かの「気づき」になるだろうか。そんなのはなくても一日の中でほんの箸休めとなるようなことを綴れたらいいなと思っている。


パーソナルな部分を自分に置き換えて考えてみたとき、それはなんだろうか。
男、32歳、バンドをしていたこと、小説を書いていること、どれも特別ではないがまず根本にあるのは僕は田舎出身であるということは大きいかもしれない。


この「田舎」とは一般的にどれほどの規模を指すだろうか。
大阪は東京より田舎で山形は大阪より田舎だ。


単に田舎といっても聞く側にとって捉えようはまちまちだが、僕が指す田舎は「ド」がつくほどの田舎だ。


小学校の全児童は12人。同級生は6人。
体育のサッカーは先生が入って4対3に分かれ、ペナルティエリアに入ったら誰でも手が使えるというルールだった。

僕たちにとってはそれが当たり前で、クラス替えの経験など高校に入るまでなかった。

なので、大人になってから友人と小学校の話などすれば時々違いが生じる。
世間にとっての当たり前と僕が育った環境の当たり前。どこからどこまでが共通することで、どこからが田舎特有のものかというのがわからなくなるのだ。



僕が田舎特有の経験をしたなと思ったことの一つに「リクエスト献立」というのがあった。

小学校は学校給食だったのだが、給食のおばちゃんが毎日一人でその小学校の給食を作っていた。少ないといえど教員も合わせて20人ほどの給食を一人で作るのは大変なことだ。

そしてこの給食でのお楽しみの一つが「リクエスト献立」である。
その月の誕生日の人が好きな料理をリクエストできるのだ。

当日までは、リクエストした人以外何の献立か分からない。
この秘密めいたところも好きだった。


僕は確か「ハンバーグカレー」をよくリクエストしていたと思う。
大好きなハンバーグとカレーが一緒になっているなんてなんて贅沢なことだろう。
僕は子ども心にウキウキしていた。

しかし、今ではハンバーグカレーを食べる時などない。


もし今ハンバーグカレーを食べたらどんなことを思い出すだろうか。
ただ、文面上で懐かしいなとなぞるよりも、実際に食べて味を思い出してから湧き上がる感情というのはあるはずだ。
同級生が放送室に立てこもったことや、宝探しをしたこと。そんな情景を通り越した記憶が蘇ってきそうな気がしてハンバーグカレーが食べたくなってきた。

皆さんの思い出の味はなんですか?

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