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ひと探し

羊をめぐる冒険もダンスダンスダンスも人探しをしたり、しようとしたりしてるんだけどさ、読んでる分には「はよ探しはじめなよ」とか思うんだけど、いざ自分が主人公の立場だったらと思うと、わたしも探せないんだよな、断りもなくいきなり消えちゃった恋人探すの、怖いよ
不幸になっていてももちろん悲しいし、なんか幸せになっちゃっててもそれはそれでさあ...って
幸せになっちゃってる失踪した恋人を捜し当ててさ、再会して、その時に、かれこれ理由を教えてくれたらいいよ
あの時はこれこれこういう事情があってさ、なにも説明する暇がなくて、とかなんとか
納得するしないは別として、まだ救いがあるんじゃないかって
「そんなこと言ったってさあ~!」と相手を責めることもできます

でもさ、”生きてたくせに”、これまでなんの連絡もないままやってきて、いま幸せにやってる時点で、向こうは当時意図的に失踪してる訳だから、理由説明してくれるような真摯な姿勢は持ち合わせてないと思うんだよ、なにいまさら追いかけてきてんだよ、察しろよ、みたいな対応でしょきっと
「終わってんだよ」、と。
突然に姿をくらました時点で、向こうには向こうの「そうするべき理由」があって、そこには「恋人に説明しないまま消える」という部分まで含めた確たる意志があって、それはもう「決定事項だった」というか。
勝手に終わらせられちゃったんですよね
わたしは毎度毎度恋愛をし、毎度毎度それを相手に強制終了されてきたような気がします

村上春樹の「羊をめぐる冒険」は「ある羊」を探して北海道へ行く話、「ダンス・ダンス・ダンス」はその続編で
(「羊」以前に「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」もあるけど割愛...)
主人公、羊をめぐる冒険の後半、旅の途中でこれまで行動を共にしていた恋人になにも言われないまま、ある朝突然失踪されちゃう、そんで、失踪されたまんま「羊」は終わるの
ダンス・ダンス・ダンスでやっとその恋人を探し始めよっかな~~~と動き始めるんだけど、その時もう失踪から四年半も経ってる
その間主人公はずーーーっと「生活」してる、「小説にしなくていいような生活」をしてる
恋人が連絡先を持たない人間であったり(そもそも本名も知らない)、SNSはもちろん携帯電話もない時代の話だったりと、現代よりずっと人探しに向かない状況であったりはするんだけど、ちょっとした手がかりはそれなりにあったはずなのに、それでも四年半、なんにも動かなかったわけ

そりゃ~~~探したくねえよな~~~~~~

と思っちゃうんだよ
だって傷付きたくないじゃんね。
わたしだったら新聞すら読みたくないね、お悔やみ欄に恋人の名前あったらどうするよ?(本名知らんけど)
ヤフーニュースのヘッドラインも見たくねえわ、傷害事件の被害者の年齢性別職業なんかが恋人と類似してたらどうするね?
恋人に「なにも告げられないまま去られる」時点でもうだいぶ傷付いてんのに、しかも不幸になっちゃってたらもうやってらんないでしょう
それとも
なんか全部嘘で、自分は「恋人」だと思ってたけどそうじゃなくて、または恋人は突然気が変わっちゃって、お別れを言う気持ちすら持てないほどにいきなり冷めちゃって、「勝手に終わらせて」、姿をくらましていたとする
で、そのことをしばらく経ったあとに、自分で調べるなり、誰かに聞くなりして、知ったとするよ、「あいつ生きてるよ」って。
かつて好きだったひとです、死んだり怪我したりしてるよかましでしょう
幸せになっちゃってたらそれはいいことだ
わたしの元から去り、なんやかんや普通の生活を送り、幸せにやりはじめた
それはそれでなによりだと思う
けどその結果って「生きててよかったけど」っていう前提がつきまといすぎるよね(そんな悲しい前提ある?)
失踪した(元)恋人の現在の幸福に安堵する現在の自分の傍らで、当時なにも言わず失踪されたことに対して傷付いた自分はなかなか解消されなかったりする

チャラにはならない

なんで言ってくれなかったの?とかやっぱり思う
なにがいけなかったんですか?とかも思うよな
でもたぶん聞いたところで納得しないんだよ、どんっっなに正論を言われたところでもうこっちはこっちで傷付いちゃってるわけだし、向こうは向こうで終わらせちゃってるわけだし

だから知りたくない。

探せないんだよ
結局保身です、もうこれ以上傷付きたくねえ~~!!です


フォークナーとフィリップ・K・ディックの小説は神経がある種のくたびれかたをしている時に読むと、とてもうまく理解できる。僕はそういう時期がくるとかならずどちらかの小説を読むようにしている。

ダンスダンスダンスの主人公はこう言っていて、わたしにとってのフォークナーやフィリップ・K・ディックは村上春樹(のダンスダンスダンス)だ
中学生の頃から、事あるごとにこの小説を読み返してきた
直近で読み直したのは今年の春先だった、「誰かが自分を訪れ、しかしその誰もが自分を去っていく」主人公の孤独にがくがくと共感していた
で、いま読み返すにあたりフォーカスしているのは、その誰かを結局、ダンスダンスダンスの主人公は探す、探し始めることを決意した点
だってそうしないと小説が、物語が始まらないからです

わたしは毎度毎度恋愛をして、毎度毎度「失踪に近い形で恋人が消え去ってしまう」という終わり方をしてます
自分で書いててちょっと引いたんですが、でも本当にみんないきなり消えたなって
何年も付き合ってて、ある日突然引っ越しちゃったりするんですよ、ある日突然メアド変えられちゃったりね、三日前に結婚しようって話とかされたのにです
真摯な説明はなかったなって
喧嘩もしないんです
別れようの言葉さえなかった
それでわたしは探さなかった
意味わからないなー悲しいなーもう死のっかな、とか散々思うけど、探さないんです、探して「知ってしまうこと」がなにより怖かったから

でもそれって結局「小説にしなくていいような四年半」なんだよな
無意味とは言わないけど、「小説にならない」。

わたしはそろそろ小説になる人生を歩んだ方がいいのかもしれない

(エアリプは通じる、という言葉を信じこの記事を投稿した、だからきっと通じるのだ)


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祟りちゃん

人生ソロ活動。自分を落ち着かせる手段をたくさん持っています。

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