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摂食障がいの克服139【海の上のピアニスト】

 おはようございます。

 やはり夜は眠れない。いつかすやすや眠れるのでしょうか。

 15年前ぐらいにバーベキューに誘ってくれたお友達は、もうこの世にいません。あれだけよくしてくれたのに、もういない。私のことをみかけると笑顔で手を振ってくれて、私ががりがりだったころきっと心配してくれて、もう少し元気になったら一緒に飲もう、と誘ってくれていた。

 それこそ、私の中では今もずっといる。
 けれど、今会えないことが悲しい。悲しいし、残念。残念ということばが的確かわからないけれど、悔しい。残念。悲しい。会いたい。

 今日バーベキューに誘ってくれているお友達はいつも書いている方です。(耳の悪い・・・ってその形容詞、失礼でしょうか・・・)

 けれど今日は恐らく参加できません。
 実はお仕事スタートしています。
 お仕事をするのは久しぶりのこと。
 そして尊いなあと感じます。
 時給で働いています。なので、今後も倹約して、生きて行かざるを得ない、全く余裕ない暮らしです。けれど、お金のために働くという今までの人生とはまた違う、自分の時間を遣って、世界と関われることに、感謝をしたいと、そんな気持ちです。(スタートしたばかりだからかな。またそのうち泣き言が始まるのかも。。)

 エネルギーが低いと、同じことをするにも、非常にパワーが必要となります。例えば、顔を洗う、歯を磨く、洗濯する、掃除する。

 おふろにはいる、買い物に行く、摂食障がいになると、これらをするために、『食べないと』と思うほどに、エネルギーを必要とする。もうへとへとなんです。(今の私ではなく、振り返りの事象)

 自分のための家事、人のための家事、人のためだとマストだから何があってもがんばってしまうけど、・・気づけば自分のためになんてエネルギーが残らないというか。

 仕事を休むということは、つまりそんなエネルギーを貯める時期。
 けれど、まじめな気質だったりすると、休むこともどうしていいのかわからなかったりする。いつのまにこんなに不器用になったんだろう。

 とはいえ、今もこの瞬間きっと、あの時の私のように、ただ1日休みたいとがんばっていらっしゃる方もいる。

 また仕事をずっとずっと続けたい!ときらきらしている友達もいる。
 本当に人それぞれでありながら、ひとつわかるのは、エネルギーはそれほどチャージできないということ。無理は効かない。
 ずっと仕事しつつ、毎日家事できて、毎日家族の愛を感じて幸せ、という友達は、『無理』していない。適度に休める、適度に手を抜ける。だから続けられる。

 本題ですが、今日バーベキューには参加できそうにないです。

 参加すると、明日からのお仕事に、またきっとからだとか心が辛くなるとおもうから。人間には、『ストレス』を感じる脳があり、これは楽しくても辛くても同じぐらい振れ幅があるとおもうから、今の私の脳をぱんぱんにすると、また危険になるとおもうので。

 友達に、ごめんね、参加できないって言ったら、友達は察して、『気にしないでいいよ』って。(さすが毎日5時起きでもう起きていた笑)

 私は摂食障がいには相当特化というか、もう経験も長いので、苦しい方の状況って手に取るように、わかると言えなくても想像ができるんです。
 昨日思ったのは、例えば仕事終わりに、ああ・・食べたい。と思ったとき。恐らくそれに従えば昨日頂いたはずの時給の2倍食べるだろう、と。

 つらいですね。何のために働くのだろう。働くことによってストレスがたまり食べすぎるとしたらどうしたらいいんでしょうね。でも働かないと生きていけないし。

 私自身が今後、仕事を(決して無理のない範囲で)していって、生活費を得て、その中でやりくりして、・・そして将来に備えて貯めて・・・って考えるとまた混乱する。結果、将来への不安って混乱するので、まずは今、なんでしょうね。今、に特化する。いつもいつも、なぜか漠然と将来が不安、これは私の常に持ち合わせる癖。逆に言うと『今』が幸せというか満たされていない状況が続いているので、せめて将来の自分を楽させてあげたい、この欲求。でも将来将来、って将来より今なんだから!!(・・・と無理やり)将来に備えて貯めるのはもう少し将来の自分に時折任せないと。

 その昔、『海の上のピアニスト』という映画があり。

 私も貿易の世界にいたので、船便(コンテナー輸出・輸入)に携わっていたのでわかるのですが、納期まで数ヶ月かかるんです。海外と契約をして、その後納期までに仮に輸入し、通関、決裁、無事倉庫へ納入するまでのこの長い月日。この月日、船の中で仕事をしている人たちがいる。
 
 海の上のピアニストは確か、そういった輸送船ではなく、客船だったとおもう。そのお客様が船の上で赤ちゃんを産む。今思えばそのご両親はどんな人たちだったんだろうとおもうけど、その船で働く男性の手元で育つ。
 海の上で産まれて、海の上で育つ。

 最悪なのは、海の上の事故で、その育ての父親が亡くなる。
 しかし、その子供は海の上で船上で、育ち、やがてピアニストとなる。

 産まれてから一度も海以外の世界を知らないまま大人になる。

 やがて、船上で、ある女性に出会い恋をする。
 そして、初めて海を出ようと決意。
 しかし、・・地上に足を踏み入れようとする際に、それができない。

 女性とわかれ、海に戻る、というストーリー。

 真剣に考えるともう辛い要素がありすぎるのですが、
 私はよく、思う。私もこの小さな町を出ると手が震える。
 もうこの小さな世界でいいし、仕事は自転車の距離までがいい、と。

 (なのに先日イギリスとかアイスランドに行ったのですが、それは特例。・・・特例でありつつ、私の夢になってしまったけど・・・)

 人には、耐えうる環境の変化、耐えられない変化があるとおもうんです。環境の変化だけではなく、日常にも当てはまる。耐えうるというのは、心、そしてからだ。このピアニストが外に出るというのは、例え愛する人のためでも、自分が、自分の心が崩壊するとイコールの恐怖が伴う。

 だって、海の上しか知らないから。

 ・・・それで私は今日のバーベキューを不参加としたんです。
 恐らく仕事を始めたところの私には、たとえプラスのエネルギーであっても、おそらく大きすぎる。明日からの自分の心や体に大きすぎる影響があると判断したので。

 心に不調を抱えるまでに、何度海の上のピアニストだったはずの自分が地上に出るということを繰り返したんだろう、そんなことを想像した今朝でした。

 

 

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