摂食障がいの克服59【人間だからこそ、摂食障がい】
とても不思議だとおもうことは、誰からも摂食障がいという症状を習ったことがないのに、自然と身についてしまったことです。
そして、私が本格的に、摂食障がいだったころと、今も変わりなく、摂食障がいが存在すること。
私は、本格的に苦しんだころ、たくさん調べたり、どうすれば治るのか必死に考えて、本当自分で、色々試したりして、摂食障がいについては、ほぼ理解したのでは・・・と今も思っています。
拒食心、過食脳、禁止食品、吸収、カロリー、そして、カロリー云々でなく、ボリュームのある食べ物が怖い、一番小さいサイズ着れないと価値がない、誰より痩せてないと意味がない・・・過食の時は、果てしなく過食に追われ、なのに、実は拒食症っていうあの矛盾、等・・・。
過食が止まらない・・・ということは本当に苦しいこと。
自分は確か人間だったはずなのに、一旦スイッチがはいると、人間だったことを忘れてしまう。
でも、人前では、起こらない、この過食スイッチ。というより、過食。
・・・きっと、誰より、『人間らしい』、症状なのかも、摂食障がい・・・ふと、そう思いました。
極限まで、自分の心に、我慢を強いてきて、それが爆発しているのに、なお、孤独の時にしか、その行動を爆発させない。あくまでも、人前では、『いい子』を演じたり、『理想的な自分』でいたり、『小食であるはず』の、本来の自分でいたり。
もしも、人間じゃない自分になったとしたら、誰の前でも、その過食行動を恥じることなく、みせれるのでは。
でも、きっと、多くの摂食障がいの方は(私も含めて)、どれだけひどい過食衝動がおそったとしても、人前でそれをありのままには、できないと思うんです。
私にとっての過食って、(私は通常食べるのが非常に遅いのに)、なんだか、わーって食べてしまうことなのですが(次々解凍したり、次々棚という棚を、何かない?と探し出す)、私も知らなかったけれど、普通にお食事のようにもぐもぐ・・・と食べられる方もいるそうです。たくさんの量を。
でも、吐く前提で。
その後吐いてしまう、それを、じゃあ、ありのまま、人前で絶対に見せられないんじゃないかなあ。
あくまでも、摂食障がいの方が、その過食行動を(代償行為)を人にみせる前提ではできないんじゃないかな、って思って。これって、すっごく人間らしいことじゃないかな、って。
きっと、人間でいたかった、っていう、そういう気持ちが、摂食障がいへの道に、至ったんじゃないかなあって。
・・・とはいえ、本当に本当に若い方、小学生とか中学生で発症する方もいらっしゃるから、それはそれで、脳の働きがまた違うのかもしれない。
食べるということは本能だけれど、本能がゆがむから。
何か外的要因があったのか・・・私みたいに、倉庫に閉じ込められたらあり得るのか(5才)。
ご両親がいくら愛しても、本当に、狭い狭い周りの人たちが、小さいと、自分の世界すべてで、そこに拒絶されたら、人は苦しいものですよね・・
小学生の方や中学生の方や、そして、10代、20代、若い方たちが、それでも摂食障がいを経験してしまう、ってとても心が傷みますが、人間らしくいたい、そんな心であり、そして、人間が人間関係をもう一度再構築する、それまでの道のりじゃないのかなって。
食べることが症状だけど、原因って、やっぱり、生きづらさというか、孤独というか、・・・
何かのボタンの掛け違えというか。
私の大好きだった友達が、摂食障がいだったんですが、重篤な。
でも、好きな人に出会って、この先、摂食障がいを、手放す、そんな決意かもしれない、って。
人間らしいとかいいながら、逆に言うと、孤独のときに、人間なのに・・・そんな行動をしてしまう、摂食障がい。私も何度も経験したから、その友達のことばが、突き刺さりました。
誰より、人間でいたいから、人には言えずに頑張っている症状。
誰かひとりで、いいから、味方がいたら、救われる症状だって思うんです。それでも、手放すということの。この、恐怖もまた、大きな決意です。
そう、もしもその相手の理解が、100%じゃないと、また傷つくんですよね。。マイナスからのスタートだから、誰より受け入れてほしいという気持ちが大きいはず。
本当に本当に難しい。人間として生きたいのに、何度でも、踏みつけられたり、だから、ああもう、手放していいなって思うときは、本当に誰かを、自分以外のひとりを、信じられたときじゃないかなあー、その友達を思い出してそう思います。
難しいけれど、私はこの、noteに救われていて、人間らしく(??)もがいています。
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