パレードは続く

地元に4日間帰省をしてきました。
久しぶりにゆとりのある日々で、いつもは会えないようないろんな人に会えたり、いろんな話ができたり、ゆっくり景色を見たり、食べたり、そんないろいろができてとてもよい時間だった。
離れてるからこその心地よさもあるし、もう少し近ければいいのになぁなんて思いもあるしで複雑な感情があります。そんな街です。大事なものがたくさんある街です。札幌。

時間がたくさんあったぶん、家族と自分なんてものを見つめてみたりもしました。離れたからこそ大事だと思える存在の筆頭に上がるのが家族なんですけど、離れている間に家族の状況にいろいろと変化が生じていて、わたしも少し変わらなきゃいけないのかなぁとか思ったりした。だけど、結果無理だなと4日間の中で結論づけられました。4日間、ほんとうに色々ぐるぐる考えた。そばにいたほうがいいのかなぁとか、あーしなきゃいけないのかな、こーしなきゃいけないのかなって。でも、その裏にある気持ちにもいろいろ気づいて、その気持ちってきっとこれからも消えないなと思って、むしろまたそばにいることで自分を傷つける事になる気がして、大なり小なりある程度の距離は取ろう、と。じゃないと自分が苦しすぎる。

親元を離れて三年くらい経ちます。離れて以降、親への感覚が健全なものにだいぶ変わったって感じる。ほんとに。感謝とか大事さとか、今まで上辺だけだったようなものにちゃんと温度がついた感じ。だけど、たった3年じゃ変わらないものもあるのだということも気付かされました。それは自分が小さい頃からずっと抱えてるしこりのようなもので、まだそれをちゃんと自分で手当てできていなくて。むしろ、つい最近そのしこりの存在に気づいた。だから、きっと離れて三年経った今も、ずっと変わらずに苦しさが残るのだと思います。それはもしかしたらいつかちゃんと手当てできるものかもしれないし、そうしなくても自然に消えるものかもしれないし、もしかしたら一生抱えていくものかもしれない。

親のことは嫌いでもないし、かといって好きでもない。薄情かもしれないけど、手放しにやっぱり好きとは言えない。だって、たくさん傷ついたから。わたしは傷ついた。そのことをちゃんとまず認めて見つめたい。でもそれとは別に、大切だという想いや感謝もある。楽しかった思い出もたくさんある。相反するような2つの感情だけど、わたしの中で共存してる。その2つの気持ちを両方尊重できるような関わり方がきっとあるはずで、それを探していければいいんだろうなぁと薄々わかってきた。今はまだ模索途中だけど、そのうちちゃんと見つけたいな。

最後の日家を出たら、聴こえてきた歌。
今よりももっと優しくなれたら、いつか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?