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「東大生かけ算」についてのたくさんのご意見について

先日投稿させていただいた東大生はかけ算に順序が必要だと考えますには大変大きな反響がありました(誤解を招く表現ということで、現在はタイトルは変わっております。少し下に以前のタイトルについてもう少し書いてあります)。
当該記事の要約

・順序を採点基準に含むことで、教師が採点時に子供のかけ算の理解度をより正確に測れ、より個別的で適切な指導につながる。
・子供が文章題のかけ算を理解するときも順序という制限を加えることで、「次にやるべきこと」が明確になり、理解の手助けになる。
・かけ算習得後も順序を意識した方が効率よく作業できる状況があるので、可換だからと言って順序を気にしなくていいわけではないと意識させるメリットもある。

(ここで、あくまで順序は採点基準(本来の学問には無影響)であり、かけ算理解、使用、採点の手助けのための推奨ルールとしての導入の提案ということを強調させてください。)

たくさんのご意見ありがとうございました。
分かりやすく書いたつもりですが、なかなかすべての人に言いたいことを伝えるのは難しいですね。
件の記事への意見について少しだけ僕の意見も書き記しておこうと思います。
以下、全部読むと長いので、気になる箇所と最後のまとめだけ(まとめだけでも!)読んでいたただければと思います。
参考までに、1, 2, 3が論理に関わらない部分へのご意見について、
4, 5, 6が僕が舌足らずであったがためのご意見について、7, 8, 9, 10, 11が教育的な観点からのご意見についてです。

1. 「東大生はかけ算に順序が必要だと考えます」というタイトルについて

「主語が大きい」、「東大を代表するな」という意見がありました。
やはりこのタイトルだとそう思ってしまう人もいたようです。
誤解を招く表現だったと思います。
すみませんでした(「とある東大生はかけ算に順序が必要だと考えます」に変更いたしました)。

僕の意図としてはこの「東大生」は、僕一人のことを指しておりました(記事には初期段階(3/8 午前11時ごろ)に追記)。
バックグラウンドの明示として、「東大生」と書いたつもりでした(「30歳会社員はかけ算に順序が必要だと考えます」というタイトルだと、書き手が30歳会社員で、自分のバックグラウンドを明示してから話を進めているのを想定するので)。
記事全体を見て、東大生の総意という線を補強する論はなく、主語も「僕」ですので、誤解は免れるかなと思っておりましたが、多くの誤解を生んでしまいました。
誤解を招く表現をしてしまい大変申し訳ありませんでした。

2. 一言のみ、もしくは内容に具体的に触れていない意見について

ご関心をもって頂いたことに感謝いたします。
次の3もそうですが、内容に具体的に触れていただき、もう少しだけご意見を頂戴できますと嬉しく思います。

3. お前は教育者でも何でもないだろう、という意見について

その通りです。
教育者しか持っていない知見などで具体的なご意見があれば是非お教え願います。

4. 採点者の都合でルールを変えるな、という意見について

「採点者の都合」というのは合っています、僕も「理解度を測りやすくするため」と書きました。
しかし、それはつまるところは採点者のためではありません(順番を気にして◯付けするほうが手間がかかる)。
採点者が子供の理解度をより把握することで、より適切な指導(理解が乏しい子供に時間を割く等)ができ、結局は子供のかけ算能力の向上子供のメリットになると考えます。
「子供が将来かけ算やその考え方で躓かないようにする」という目的を最初に書いておりましたが、理解度の把握までは書いていましたが、それにより子供へのより適切な指導が可能になり、子供のメリットにつながることまで最初は書いていませんでした、言葉足らずで申し訳ないです。

5.学問の本質をゆがめるな、という意見について

確かに、乗法は可換なのに、算数とはいえ順序逆にしたら間違いとはけしからん、という意見も分かります。
ただ、僕は「採点ルールとしての順序」を、かけ算の手助けになる単なるフレームワーク、推奨ルール、詭弁として書いてきました。
何度か記事には書いたのですが、伝わっていなければ足りなかったようです、すみませんでした。
あくまで、学問をきちんと修めるための方法(僕はこれが教育につながると認識しています)のひとつとしての、初学段階での順序の導入なので、学問そのものには無関係だと思います(可換性をきちんと説明した上、とも書きました、現在の算数もそうなっているようです)。

全てを説明するのではなく、まず理解しやすいような形に制限するのは有効だと思います。

また、何度か折衷案も提示しました。
順序が間違っていた場合の、「式はバツ、答えは◯」、「△」、「◯にして注意書きにとどめる」などです。
この折衷案なら、学問に長けた方でも、学問が歪まされてしまった印象も持たないで済むかと思います。
それでも歪まされてしまった印象があるのなら、問題文ひとつひとつに採点ルールを明示することになるのでしょうか。

ちなみに、推奨ルールなのに実際にテストでもバツにするのは、テストでは◯になるから順序は気にしなくていいや、とルールが形がい化(実質意味をなさなくなること)しないようにです。

6.学問と教育は別物だというのか、という意見について

分かりやすいツイートを拝見しましたので、載せさせていただきます。
https://twitter.com/flute23432/status/1104558629087145984https://twitter.com/flute23432/status/1104558629087145984(と、この前後のツイート)

要約すると、密接な関係のある別物ってありますよね、ということです。
少し脚色して例に出させてもらいますと、

AさんとBさんは全くの別人であり、混同してはいけない。しかし二人は兄弟かもしれないし、親子かもしれない。密接な関係の可能性も十分ある。

混同すべきでない別物でも、密接な関係があるものはいくらでもあると思います。
ということで、学問と教育は密接な関係がありますが、違うものではあるので、
学問を修めるための単なる採点ルールには、それが本来の学問とは異なっていることを明示した上で、違う基準を採用するのもありではないでしょうか。
「学問と教育の混同」は、学問的に正しいことが教育的に正しいとは限らない(なぜなら教育と学問は別物で目的も違うから)ので教育の場面で学問的な正しさを問うのはおかしいのではという意味です。
Google Scholar で調べて下さった方には申し訳ありません、一般的な言葉なので載っていなかったようです。

7. 題意を読み取る練習は他の教科でやればよい、という意見について

文章題には、題意の汲み取り⇒立式⇒答えを出す、という流れがあるかと思います。
その流れを断ち切り、教科ごとに分けるというのはいささか不自然な気がします。
それでよいなら、国語+九九だけでよく、文章題は不必要だと思います。
もちろん、かけ算初学段階で制限(順序)を設けて理解しやすくするように、流れを小分けにしてまずはそれぞれ習得という方針もありますが、
それはそれまでの国語と九九で一通り終わっており、「さぁ、実際に 題意の汲み取り⇒立式⇒答えを出す が出来るかな?」という統合の段階に入っている文章題であれば、その流れが大事であると考えます。

8. バツだとわかると、順序を逆にする子供が出てくるだけだ(正答率に理解度が反映されない)、という意見について

もちろんそういった子供は出てくると思います。
しかしながら、それで正答率が上りはしないと思います。
解答する ⇒ 提出する ⇒ ◯付け ⇒ 返却
の流れにおいて、返却の時に初めて子供はその問題がバツだったかどうかわかります。
そのころには教師側では点数の集計はもちろん終わっています。
ランダムに順序を変えても、理解している子のよりも正答率は低いと思われます。

また、
バツだとわかると、かけ算を理解しようとするのではなく、そういった小細工で正解にたどり着こうとする
という意味だとすると、「順序無しでも正解」ルールならその問いは正解にされているので、どちらにせよかけ算を理解しようとは試みないと思います。

そもそも式が間違っていたからバツなのに、バツなのは順番のせいかなと思ってしまう場合に備えて、順番による間違えには△をつけて何が間違いか明示することもやはり考えられると思います。

結局、バツというフィードバックによって子供がかけ算を学ぼうと思うとは思っていません(これは文中に記載しておりませんでした、すみません)。
採点という理解度のチェックをより正確に行うためのバツです。

9. 式に意図を込める必要はない、という意見について

すみません、ここも僕が舌足らずかつ、少し誇張だったかもしれません。
記事のまとめにも書きましたが、本当に欲を言えば、子供側から、理解しているということを示せればいいですね、というレベルです。
ただ、その後の人生において、所定の位置に、所定の概念に対応する数値を記した方が良い(他人からの要求や意識のリソースの節約等のため)場合が多々あるため、「意図のある式」に慣れるのには必要ではないかと思います。

10. 順序を決めれば理解度が上がるのか、という意見について

十分なサンプルのある研究データも持ち合わせておりませんのでわかりません。
ただ、概念と数字が散らばっている文章題において、まず何を探し出し、次に何を探し出せばいいのかが明確に決まっているというのは、とてもわかりやすい道しるべなのではないでしょうか。
文章を組み立てるときにも、まず主語を考えて、次に動詞を考えて、のようにフレームワークが決まっていれば、全体の作業コストを下げられるでしょう。
それは個々の作業に、より集中できることを示していると思います。
幼児教育に限らず、ある部分を入れ替えて別のものを作るというのは、初学段階においては有効であると考えます。

11. 順序を決めれば理解度をテストで測りやすくなるのか、という意見について

これも、十分なサンプルのある研究データも持ち合わせておりませんのでわかりません。
絵ではかけ算を表現できても、式にすると逆に書いてしまう子がいるという(サンプル数、サンプルサイズ共に少なく参考程度にしかなりませんが)データはあることにはあります。
理解している子にバツをつけてしまう可能性があるということです。
理解していない子に◯を与えるのよりはマシですが、子供のモチベーション的にそれは問題です。
しかし、理解通りに文字に起こす、という能力を直すきっかけになると思います。

そして、最もやってはいけないのが、理解していない子に◯を与えてしまう
ことです。
しかし、理解していないのに順序を高い確率で当てられないと考えます。(理解とは何かについては割愛させてください)

まとめ

さて、結局僕は何のデータも持ち合わせておりません。
何日もかけて既往の説を調べるなんてこともしていません(記事自体よくありそうな展開ですし、全く同じこと考えていた、というのも実際多々聞きます。しかし、これだけの反応をいただけたということは投稿に値したのかなと嬉しく思います)。
なぜなら、プロフィールに書いてある通り、思考の整理的に書いて(当時フォロワー数1でしたし)、何かご意見があったり間違っている部分があったらお教え願いたいなと思ってnoteに書いているからです。
ですので、今回これだけの方に見ていただけたことは大変嬉しく、ご意見をたくさん頂戴できたことをとても幸せに思います。

今回僕がたくさんの方にお世話になったのは、きっと肩書によるものが大きいでしょう。
「東大生は~と考える」というタイトルならばある程度中身を書けば何を書いていたってたくさんのご反応をいただけた気がします。

また、それ以外にも「教育」という分野の性質も大きいかと思います。
教育学に詳しいわけではありませんが、人の成長を扱う以上、むやみな実験などは出来なさそうというイメージがあります。
実験が限られる以上、議論に必要な定量データが得られず、思想や感情が優位に話を進めてしまいそうです。
また、思想を拘束、修正するデータがない分、独り歩きした、語弊を恐れずに言うならば「宗教チック」な考えがある可能性もあるかもしれません。

データがないなら何も語るなと言われそうですが、仮定をすることで思考実験をしておき仮説まで昇華させることに意味があると思います(僕は今回主に、上記10と11を仮定におきました)。
データはその仮説検証のために使えばいいと思います。

先ほども申し上げたとおり、記事は思考の整理的に書いただけです。
普段から「かけ算は順序がなきゃダメ!」なんて考えておらず、確かにいろんな意見があるけど、順序導入するとこんな子供へのメリットがありそうだよな、と思って筆を執りました。
その子供へのメリットが(もちろん教師への負担も考慮しつつ)、もし何か(例えば、多くの現場の人間の声や、サンプルの大きな、いろんな指導法も試した研究データ)によって否定されるなら、そうなのか、じゃあ順序は要らないですね、となります。

タイトルには気をつけながらもまたネットの隅で細々とnoteを書いていくつもりなので、興味を持たれた方がいらしたらまた読んでくださるとありがたいです。

今回は本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
ありがとうございました。

サンキューかけ算、かけ算フォーエバー




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